第一章 9 ―――もう耐え切れない。

 青緑色の人物のこと、とても爽やかな風のこと、その時、物凄く幸せを感じたこと。

 

 しかし、パパは嫌悪感もあらわに、みっともないからほかでは話すんじゃない、とだけ言った。

 

 この人には理解してもらえない。

 

 ママはわたしと弟を生んで間もなく亡くなった。

 

 双子の兄弟 雄介ゆうすけとは仲が良かったが、奇妙な体験について、わたしは一切いっさい話さなかった。パパみたいな反応をされたら、また自分の家族に失望しつぼうしてしまうので。

 

 それから、わたしは自分の不思議な力を意識することなく、ほとんど忘れたまま日常生活を送り、時は過ぎて行った。

 

 一体どこからどのように知識を得ていたのか、雄介は筋金すじがね入りの超常現象ヲタクだった。もちろん、アンブローズという組織についても夢中で話していたことがあった。もしかして、わたしが普通の人間ではなくなってしまったことに薄々うすうす勘付かんづいていたのだろうか。

 

 ヲタクでないわたしも、時々新聞やラジオで見聞きしていたので、アンブローズの存在だけは知っていたが、まだその頃は自分とは縁遠えんどおいものだと考えていた。

 

 ひょっとしたら理解者になってくれたかもしれない雄介だが、残念ながら今年の春に死んでしまったので、今となっては本当のところは分からない。

 

 遺体が発見された場所が、自宅からずいぶんはなれた山林の中であった。猟師りょうしがたまたま発見したのだが、雄介の体には謎の爪痕つめあとが深々といくつもきざまれていたとのこと。

 

 いつものように超常現象研究の目的で、そんな山中におもむいたのだろうが、発見した猟師でさえ、果たして何の猛獣もうじゅうに襲われたのか皆目かいもく見当も付かなかったそうだ。

 

 それからというもの、家にいるのがますます息苦しくなった。

 

 数学者であり大学教授のパパから、二人分の期待がわたしにし掛かる。いや、超常現象以外には丸っきり意欲いよくの湧かない雄介に、パパは初めからほとんど期待していなかったのだろう。

 

 世間体せけんていというものか、パパは自分と同様にわたしにまで将来高尚こうしょうな職業にくように求め、家庭教師を五人もやとった。

 

 元々、学校の成績は良くも悪くもない中間だったが、今まで通りの成績ではパパからなじられるようになった。

 

 戦時中を思えば、今こんなに学業にはげめるお前は幸せだ。最高の環境だ。それなのに、なぜ成績が悪い? 私に対する嫌がらせか? 一度、頭を割ってどんな脳味噌のうみそか見てやりたいものだ。

 

 ―――もうえ切れない。

 

 雄介が死んでから約半年後、夏休みも残り少なくなった頃、わたしは実家を飛び出して、雄介から聞いていたアンブローズの情報をたよりに、一路いちろ契羅城ちぎらきへと向かった。


 

 

 ひたいをピン! と弾かれ、わたしは目覚めた。

 

 目の前にはベルウッドさんの姿。

 

 ……って、なんでわたしの寝室に入って来てる⁉

 

 「わっ! ちょっと何です⁉ まさか夜這よばい⁉」

 

 「何を寝惚ねぼけてる? またこんな所で寝て、風邪引くぞ。それに、朝から夜這いはできない」

 

 「え?」

 

 わたしは起き上がり、辺りを見回す。

 

 リビングのソファの上だ。窓の外も明るい。

 

 まあ、本気で夜這うつもりなら、デコピンなんかしないか。

 

 向かいのソファには茶色い柴犬しばいぬが眠っている。ベルウッドさんの愛犬ガン助だ。

 

 美味しそうな味噌汁みそしるの匂いがした。ベルウッドさんが朝食を作っているのだ。もうすぐ出来上がるのだろう。それまでわたしを寝かせておいてくれたのだから、結構いいとこあるなぁ。

 

 ドSのくせに、妙に気をつかってくれる時がある。

 

 なかなか朝起きられないわたしは、朝食を作ることが滅多めったにないので、ちょっと恐縮きょうしゅくしてしまう。

 

 変な夢を見たせいか、気怠けだるい。

 

 わたしはめ息を吐き、ソファに寄り掛かって天井てんじょうあおいだ。

 

 寝ても覚めても超常現象に夢中だった雄介は紅衣貌ウェンナックに殺されてしまったのだろうか? 

 

 それほど超常現象に興味もなかったわたしに、なぜ練識功アストラルフォースあたえられたのか? 本来、わたしより雄介の方がしかるべき性質だったはずなのに。

 

 もう一度、あの青緑色の人物に会うことができたらいてみたいものだ。

 

 家出をしたのは正しい選択だったと信じている。あの地獄のような環境からだっすことができたのはもちろんだが、練識功を持つわたしの居場所はきっとアンブローズなのだから。

 

 今この契羅城ちぎらきでアンブローズのメンバーとして活動できているのは、雄介のおかげであるところが大きい。ヲタク兄弟に感謝万歳!

 

 こんな所で危険な仕事にいていることが知れたら、パパは激昂げっこうするだろうか?

 

 今となっては、あの人のことはどうでも良いはずだが、でも少しは想いをめぐらせてしまう。

 

 ただ逃げてきただけではないかと言われれば反論はできないが、逃げた先で結構頑張がんばれている。危険でつらいことも多いが、毎日が充実しているのは事実なのだ。たとえパパが反対しようと、大統領命令が下ろうと、わたしはアンブローズをやめる気はない。

 

 「おい、こら」

 

 唐突とうとつに、ベルウッドさんがあごを掴んで左右にってきた。

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