第四章 6 意識が飛んでいてもおかしくない容態で……。

 「おっと、もう抵抗はやめてください。あなたのこと、個人的に気に入りました。これ以上傷付けたくはありませんので」


 世にもおぞましい告白。あの気持ち悪い御神体ごしんたいにわたしを喰わせようとしたくせに、今さらふざけたことを抜かすものだ。

 

 こんな狂信野郎に好かれるぐらいなら、ベルウッドさんに十時間のぶっ通しジョリジョリ攻撃を毎日された方がマシである。

 

 ……やっぱり前言撤回ぜんげんてっかい! そっちの方がイヤだ。


 そもそもこの絶体絶命の状況下で、あのオッサンのことを思い浮かべるなんて、今のわたしは救いようのないほど錯乱さくらん状態におちいっている! 間違いない! そうに決まってる!

 

 「調子に乗るなよ、この若造」

 

 軍曹がうなり、立ち上がった。


 立ち上がれる状態ではないはず。ただでさえ出血が酷いというのに、動いたらそれこそ血が噴き出してしまうのではなかろうか。


 さすがのナヒトも驚いたようで、小さく嘆息たんそくした。


 軍曹が雄叫おたけびと共に雪を蹴り、瞬く間にナヒトとの距離を詰める。


 意識が飛んでいてもおかしくない容態ようだいで、軍曹の爆進は凄まじかった。


 ナヒトの反射神経もまた人間離れしており、瞬時に拳銃から両手ナイフに持ち替え、軍曹の横払いを弾き退けた。


 無傷で体力の消耗がない分、ナヒトの方が数段有利であることはいなめない。


 いやしかし、軍曹の太刀たちさばきもわたしの動体視力ではとらえるのが困難なほどの速さだった。


 一体全体、何が軍曹の体をこれほどまでにき動かしているのだろう?


 案のじょう、体中の傷口という傷口から激しく出血する。もう、生命力そのものが流れ出ていると言っても良い。


 その疾風しっぷうのごとき太刀捌きに対応できているナヒトも常軌じょうきいっした反射神経だ。二本のナイフでたくみに受け流している。

 

 両者の体捌きが、剣風けんぷうが、そして打ち合うたびに生じる火花が、吹き荒れる吹雪さえも裂き散らす。


 仮に今のわたしが万全な状態であっても、入り込んだら一秒で血祭りにあげられてしまいそうだ。


 「さすがです、軍曹殿! それほどの重傷で、まだこんな力が出せるとは!」


 この兄ちゃん、喋る余裕すらあるんかい。


 「あのお美しい局長のためですか? 分かりますよ。私も男ですから」


 もう黙れっつーの!


 それに、もう軍曹もこれ以上頑張らないでほしい。苦痛が増すばかりだ。このままでは失血死してしまう。


 「魅力的な方です。十年もご一緒できたなんてうらやましい」


 その刹那せつな、軍曹の手から剣が飛んだ。


 たぶん、故意こいに投げ捨てた。もちろん、もう防御はできない。


 軍曹は首に目掛けて振られてきたナイフを歯で噛み止め、左脇、脾臓ひぞう辺りをねらってきた方は甘んじて受けた。


 さすがに想定外だったらしく、驚いたナヒトは目を見開いた。


 同時に、軍曹は脾臓に刺さったナイフをナヒトの右手ごと抑え込み、ナイフを噛み押さえたままニヤッと笑った。


 軍曹の左手には小さな青緑色の光球。


 それはまばたきするほどのいとまの出来事だった。


 ナヒトは軍曹の体を蹴り、二本のナイフを離してのけり気味で後ろへ跳ぶ。


 その鼻先を、軍曹の放った光球がかすがした。


 速過ぎて、もうわたしには何が何だか分からない。


 ただ一つ言えるのは、軍曹がなけなしの練識功アストラルフォースり出したエネルギー弾を、ナヒトは間一髪かんいっぱつかわしたということ。


 みずからの血で真っ赤に染まった雪の上に、軍曹は仰向あおむけに倒れ込み、口からナイフを離した。


 また激しくき込んでいる。もう見ているわたしも辛い。


 「お見事です、軍曹殿。やはりあなたが瀕死ひんしの状態だったのは、私にとっては幸いでした」


 相変わらずのお喋り野郎。だが、その言葉には本心からの尊敬の念が感じられた。

 

 「敬意を表して、これ以上苦しまれないように介錯かいしゃくして差し上げます」


 カイシャク⁉ この兄ちゃん、むごいことをサラッと口走りやがった。冗談ではない。


 ナヒトは拳銃を軍曹の頭に向けた。


 「御神体にささげるのは死体でも問題ありません。最期に何か言い残したいことはありますか? 聡明そうめいで美しい局長に、愛する女性に、伝言がありましたら私からお伝えしておきます」


 つくづくかんさわる物言い。わずか数歩の距離なのだ。片脚を折られていなければ、飛び蹴りでも喰らわしてやるのに。


 軍曹はまた吐血し、そしてやっとのことで上半身を起こした。


 「じゃあ、一つだけ伝えてくれ」


 射竦いすくめんばかりの眼光。持ち前の人並み外れた胆力たんりょくいささかもえてはいない。


 「俺の代わりに……貴様をぶちのめしてくれってな」


 「色気がありませんね。もっと甘美かんびな遺言を期待していましたが……」


 当てが外れたナヒトはつまらなそうにつぶやき、引き金に指を掛けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る