第五章 18 それは現実となってしまった。

 【⚠ このエピソードには残酷描写があります ⚠】


 刹那のすきを逃さず、ベルウッドさんはナヒトの左膝を蹴り踏み砕く。

 

 「お前が喰われろ! このイカれ野郎!」


 とどめに、左肩から右脇に掛けて容赦ようしゃなく袈裟斬けさぎり。


 大蛇の鼻息がかかるほどの超至近距離まで迫ったところで、ベルウッドさんはナヒトの腹を踏み台に後ろへ跳んだ。


 わあああ駄目! やっぱりストップ! 


 ナヒトの能書きを思い出し、ある結論にいたったわたしはさけぼうとしたが(叫んでみたところでどうしようもないが)、時既ときすでに遅し。


 猿顔大蛇の口の中で、骨が砕ける生々しい音と、肉や内臓がつぶれるジューシーな音が鳴る。


 ……唖然。


 この結果まで持って行ったベルウッドさんでさえ、やはり少々顔をしかめた。


 だが、わたしの中では気持ち悪さより、世にも恐ろしい危惧きぐが先行していた。


 その危惧は―――




 単なる取りし苦労なら、杞憂きゆうに終われば、どんなに良かっただろう。


 しかし、わたしの希望に反し、それは現実となってしまった。




 大蛇型紅衣貌ウェンナックの変異はすぐに始まった。


 肉片を噴き出し、散らし上げ、はじけんばかりに。


 まるで新芽が種子の外皮を裂くように、ひなが卵の殻を割るように……。あたかも、元々肉体の内にひそんでいて、この瞬間ときを待ち兼ねていたかのように、肉塊が生えてきた。


 そしてみるみるうちに形を成した。


 いや、形なんてお上品なものなどない。


 泥濘ぬかるみが煮えたぎるような音を立て、ただただ真っ赤なほうと、腕とも脚とも付かぬ、長さも太さもまちまちの触手状の物体が無数に発生し、どんどん巨大化してゆく。


 例えるなら、こぶ付きイソギンチャクを長く巨大にして怪物にしたような風貌ふうぼうだが、よく見ると、胞の一つ一つが人の顔のようになっている。不気味過ぎて、引き合いに出したらイソギンチャクに失礼かもしれない。


 巨大化は続く。長くなり、次から次へ胞が産まれ、触手が生え、さらにさらに膨張ぼうちょうしてゆき、ひたすら大きく気色悪く。


 もはや頭も尾も判別が付かず、大蛇の面影すら皆無。あえて見出すなら、全体的に長いその形状のみ。


 いわゆる、全身に胞と触手を有す細長い鮮血色の肉塊である。


 細長いとは言っても細くはない。直径数メートルはある極太ごくぶと胴体だ。


 ナヒトの体内には新奇器官エキゾチックオーガンがあった。この規格外の変異はその新奇器官の作用なのだろう。


 わたし達の体内にも存在するそれは、あまりにもエネルギーが強大過ぎるのだ。ナヒトが執拗しつようにわたし達を紅衣貌に喰わせようとしていたのもうなずける。


 ―――いやしかし、この変異は本当にそれだけによるものなのだろうか?


 ナヒトが抱え込んでいた負の思念……情念じょうねん執念しゅうねんが尋常でなかったのでは? そもそも、あれほど人格が破綻はたんしていたのなら、すでに抱え切れていなかったとも言える。


 いずれにしろ、変異は絶望的なほど常軌じょうきいっして起きている。原因究明より、この怪物を止める方法を考えなくては。


 ―――壊、滅、殺、斬、裂、姦、爆、死、怒、憤、恨、怨、憎、悪……!


 出し抜けに、悶絶必須もんぜつひっす兇気きょうき的激情が、嵐のように襲い掛かってきた。


 まるで、この世に存在し得る全ての負の感情が、わたし達の意識と精神をむさぼり、喰い荒さんばかりに。


 耳の奥に、脳内に響き渡る阿鼻叫喚あびきょうかん


 このままでは全員気がれて、精神崩壊を起こしてしまう。


 皆、頭を抱え、雪上にひざを突いた。立っていることさえ困難だ。


 絶体絶命と思われた時、突如とつじょ、鮮血色の紅衣貌の全身に、まるで葉脈のように青緑色の筋がほとばしった。


 すると、どうしたことか、世にも恐ろしい兇器的激情が止んだ。


 巨大化のペースも鈍化どんかしてきたような……?


 それに何だろう? 漠然ばくぜんとだが、誰かに呼び掛けられているような気がする。


 紅衣貌が雷鳴のようにたけり狂い、体をくねらせ、触手を地面に叩き付け始めた。


 まるで何かに激昂げっこうし、地団太じだんだを踏んでいるかのよう。


 程なくして、巨大化は完全に収まった。とはいえ、全長三十メートル近くはありそうだ。


 あの兇器的激情の波動も発せられるきざしがない。


 確かなことは言えないが、何らかの妨害ぼうがいが入ったのだろう。ナニモノかが際限さいげんなき巨大化と兇器的激情を阻止そししている。そのナニモノかに対して、この巨大イソギンチャクは腹を立てているのかもしれない。


 八つ当たりのように、紅衣貌はわたし達に向かってきて、触手をビュンビュンと振り回してきた。直撃しようものなら、いくら肉体強化をほどこしていようと即死も有り得る。


 わたし達は触手をかわし、剣で叩き退けながら、何とか奇岩の陰へと逃げ込んだ。


 「どうなってる? やっこさん、ほんの少し元気がなくなったようだな」

 

 「さあ……? でも、あんなに形が変わると、原体の位置が分かりません」

 

 「あの……たぶん、ですけど、わたし分かります」

 

 わたしはおずおずと述べた。

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