今さらのプロローグ 8 あ、やっぱりいいです。

 「なんてざまだ」

 

 「チンピラなんてあんなもんですよ。どうせ、箱の中身だってびんカケか何かを入れてあるんでしょうし」

 

 面倒くさいので、いちいち中身を確認する気もないが。

 

 「そうじゃない。紗希、お前さんのことだ」

 

 ベルウッドさんの人差し指が、わたしの頭を軽く小突こづいた。

 

 「あんなチンピラ相手に、いちいち練識功アストラルフォースを使ってるのか? 無駄むだづかいもいいとこだ」

 

 「分かるんですか? わたしが練識功を使ったって」

 

 「近くで使われると、鼻の奥がビンビンするんだ。そんなことより、あの程度の連中、体術たいじゅつだけで対処たいしょできないのか?」


 「無理ですよ。力くらべではかないませんし」


 「意表いひょうを突いたり関節技かんせつわざを使ったり、方法はあるだろ。そんなんじゃ紅衣貌に簡単に殺されるぞ」


 「れ、練習ならしてます!」


 わたしはベルウッドさんにプイと背を向けて再び歩き出したが、ふと一つの疑問が浮上し、チラリとガン助を見てからたずねる。


 「ところで、さっきガン助がチンピラ達を威嚇いかくしてましたけど、なんで昨夜はわたしに吠えなかったんですか? ご主人様がすね蹴りを喰らって悶絶もんぜつしてたのに」


 すると、ベルウッドさんは急にしたり顔になった。

 

 「ガン助はちゃんと空気を読めるんだよ。どれだけ利口かっていうとな……」

 

 これはもしや愛犬自慢? 

 

 「出張娼婦の女の子が来た時が天才的なんだ。俺は冷たくされると熱くなるタチだからな。俺がどれだけののしられたれようと……」


 「あ、やっぱりいいです」

 

 わたしはベルウッドさんの台詞せりふを断ち切った。


 愛犬自慢から助平オヤジのエロ談話になってきたので。

 

 


 それから十分程度歩き、ようやくオフィスの前に辿たどり着いた。

 

 薄汚れた古いコンクリート製の建物。それでも、バラックばかりのこのスラム街では数少ない真っ当な建造物の一つだ。

 

 普通なら足を踏み入れるのさえためらうような陰鬱いんうつな外観であることはいなめないが。


 ベルウッドさんですら、盲目でなかったらドン引きしているかもしれない。


 「ここです。階段を上ったところです」

 

 わたしが言うと、ベルウッドさんは薄暗い階段の前で立ち止まり、頭をゆっくりと左右に動かす。

 

 「なかなかいい感じの場所だな」

 

 すでにドン引きしていたようで、明確な皮肉をらす。きっと何らかの臭いや雰囲気を感受しているのだろう。鋭いのは聴覚だけではないようだ。

 

 「慣れればみやこ、です。行きますよ」


 わたしは軽い反論も込めて言い返し、階段を上り始めた。


 念のために振り返ると、ガン助が上手に先導せんどうし、ベルウッドさんは問題なくついてきていた。


 二十段上り切ってドア。


 中に入ると、外観からは想像も付かないような明るく清潔感のある内装だった。


 灰色のコンクリート製の床には群青ぐんじょう色の絨毯じゅうたんかれ、その上には長方形の木製テーブルをはさむ形で一人掛け用と二人掛け用のソファが二つずつ置かれており、東側と天井に明り取りの窓もある。一応、わたし達は談話室サロンと呼んでいるが、ようは一般家庭のリビングに当たる。

 

 ノエル先輩が左側のソファに一人で座っていた。

 

 「やあ紗希ちゃん、おはよう」


 世界一すずやかで素敵な声。いつ聞いても晴れやかな気分になれる♫ イケメンだし、ただ座っているだけでもになるなぁ。

 

 「おはようございます、ノエル先輩」

 

 自然と声がはずむ。

 

 明らかなわたしの声の変化に気付いたのか、ベルウッドさんがほんのりまゆひそめた。


 ノエル先輩はベルウッドさんに軽くお辞儀じぎをし、両手でベルウッドさんの右手をそっと握る。


 「初めまして。長我部おさかべノエルです」


 「ルーサー・頼悟らいご・ベルウッドだ。さっさと局長に会いたい」


 ベルウッドさんの物言いはぶしつけだった。どちらかというと喧嘩腰けんかごしにも聞こえる。


 「何がそんなに気に入らないんです?」


 いい大人が、初対面で無礼な振る舞いとは感心しない。


 「気に入らないも何も、昨夜お前さんに言ったはずだ。局長に会ってビシッと……」


 「おお来たか、紗希」


 ベルウッドさんが台詞半ばのうちに、もう一人奥からやって来た。


 がっしりとした壮年そうねんの男性。精悍せいかんな男前と言っても差しつかえはなく、無精髭ぶしょうひげも様になる。


 「軍曹、おはようございます」


 「軍曹?」


 ベルウッドさんの眉間みけんしわがますます深くなる。


 なぜか突然、ガン助がクゥンクゥンと鳴きながら、軍曹の脚に鼻をり付けた。


 仕込しこみの良いはずのガン助にしては珍しい。


 ベルウッドさんはガン助の頭を撫でて落ち着かせた。


 わたしの気のせいだろうか? ベルウッドさんがほんの一瞬だけ表情を強張こわばらせたように見えたのは。

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