第2話 現在の孤立と過去の邂逅

 偶然か運命か、全ては俺がたまたま過去の思い出を振り返ることになるこの日から始まった。


 春休みを直前に控えた、三学期。


「あの、九条くん……今、いいかなっ?」


「……何か?」


 クラス委員の白鳥さんへと短く返事すると共に、読んでいた本に栞を挟んで閉じる。


「ひぅ……」


 俺のぶっきらぼうな返答に、白鳥さんはビクッと震えて怯んだ様子となっていた。

 別に脅すつもりはないんだけど、いかにも気弱そうな彼女にはどうやら俺が余程恐ろしく見えているらしい。


「そ、その、進路希望調査票を集めてて! あと、出してないの九条くんだけなんだけど……!」


「あぁ、それならもう先生に直接出してあるから」


「あっ……そう、なんだ……」


「用件は、それだけ?」


「う、うん……」


「そう」


 白鳥さんが頷いたのを確認して、開き直した本へと視線を落とす。


「えっ、と……」


 横目に白鳥さんがオロオロする様子が見えるけど、特に反応しないでいるとすぐに離れていった。


「ひぃっ、怖かったよぅ……!」


「頑張ったね、白鳥ちゃん……!」


「よくあの話しかけんなオーラを突破した……!」


「九条くんの機嫌、損ねてない……かなぁ……?」


「大丈夫……だと思うけど……」


「九条くんも、もうちょっとくらい愛想良くしてればいいのにね……」


 白鳥さんの去っていった方向から、そんな声が漏れ聞こえてくる。


 別に今に始まったことでもないんで、気に留める程のことでもなかった。


「ねーねー、九条っち」


 と、今度は妙に馴れ馴れしい声に邪魔されて再度顔を上げる。


 髪を明るく染めて制服を着崩しているのは、同じくクラスメイトの天海さん……だが、話すのはこれが初めてである。


「アタシと、ちょっとお話しない?」


「……なぜ?」


「や、もうすぐ二年も終わりじゃん? なのに、一回も九条っちと話したことなかったなーって。それって、なんか寂しいじゃん?」


 軽く目を細めて尋ねてみても、怯む様子はない。


 一般的に見れば、明るい女子がぼっちに話し掛けてあげている優しい構図……ってことになるんだろうか。


 俺は、頭の中のデータベースから彼女の情報を引き出す。


「……確か今度、仲間内でベンチャー立ち上げるんだって? 素晴らしい、上手くいくことを陰ながら祈っているよ」


「えっ……? ……あー」


 驚きに声が跳ねた後、続いての天海さんの声は気まずげな調子となっていた。


「えっと……なんで?」


 この「なんで?」は果たして、なぜ知っているのかという意味なのか、なぜ今その話をしたのかという意味なのか。


 前者であれば、クラスメイトの目立つ動向は大体把握してるから。


 後者であれば。


「言っとくけど、俺個人の資産なんて一般の高校生並……ウチの学校の中で言えば、むしろだいぶ下の方だよ。そして、経営者としても個人としてもウチの家族が俺の『お願い』なんて聞いてくれるようなことはない。投資話なら、残念ながら相談には乗れそうにないかな」


「あー……んー……」


 引き続き気まずげな表情で、天海さんは所在なさげに髪をイジる。


「まー……ね? そういうのを全く考えなかったっていうと嘘になるけど……純粋に九条っちと話したいって気持ちも、本当なんだよ?」


 こうして本音も晒してくれている辺り、たぶん事実なんだろう。


「そうか、それは申し訳ない」


 だからこちらも、本心を込めて頭を下げ。


「だけど、今は読書に集中したいから。ごめん」


 拒絶する。


「や……なんか、こっちこそ? 邪魔しちゃって、ごめんねー……」


 それだけ言って、天海さんは少し寂しげに笑って離れていった。


 きっと彼女は言葉通り、純粋に俺と親交を結びたいって気持ちを持ってくれてたんだと思う。

 投資の話も、たぶん俺から切り出さなければ彼女が口に出すことはなかったんだろう。


 でも、今はそうでも今後はどうかわからない。

 例えば彼女たちの事業が危機に瀕した時、俺に対してそれまでと全く同じように接することが出来るだろうか。


 さっきはあぁ言ったけど、実際問題として俺の伝手を使えば解決出来る問題というのはそう少なくもないんだから。


 それでも彼女は、俺を頼ることなく変わらない態度でいてくれるのかもしれない。


 でも、そうじゃないかもしれない。


 いちいち判断するのも面倒で、俺は全てを遠ざける道を選んだ。


 名家と呼ばれる九条の本家長男として生まれた男、九条秀一が高校生に至るまでに身に着けた処世術だ。


 俺も含めて、小学校からエスカレーター式で上がっていく奴が多いこの私立朋山ほうせん学園。

 いわゆる名門ってやつで、良家のご子息ご息女の見本市である。


 その中でも九条家はだいぶ上の方に位置するとなれば、親の指示も含めて子供ながらに色々と考えて・・・近づいてくる奴のなんと多かったことか。

 人間不信になったのは、もはや必然と言えるんじゃないだろうか。


 俺は今まで、誰にも心を開くことなんてなく……あぁ、いや。


 たった一人だけ、いたな。


 十年程前に別れた……親友が。



   ◆   ◆   ◆



 これは、幼い日の俺の記憶。




「ねぇキミ、どうしていつも一人なの?」


 一人しゃがみこんで砂場で遊んでいた僕は、その声に顔を上げた。

 するとそこにいたのは半袖半ズボン、短い髪の男の子。


「……みんな、僕を嫌な目で見るから」


 みんな……作り笑いを浮かべて、こっちの機嫌を伺って。


 僕に話しかけてくる子は、パーティーで父さんに挨拶した後に話しかけてくる大人の人と同じ表情をしている。

 そういう人の目は、妙にギラギラして見えて……近くにいると、なんだか気分が悪くなっちゃう。


「なにそれ、変なの」


 僕だってそう思うけど……それは、僕にはどうしようもない。


 もうすっかり、一人で遊ぶのにも慣れちゃった。


「じゃあさ、ボクと友達になろうよ!」


 だから、そう言って手を差し出してくる男の子の言葉も素直に受け取れない。


「僕は……」


 差し出された手を見た後で、男の子の顔をジッと見つめる。


「九条秀一、って名前なんだけど」


「あぁ、キミがそうなんだ」


「っ……!」


 どうやら、彼も僕のことを知ってるみたい。


 だとすれば、やっぱりこの子も……。


「じゃあ、秀くんって呼ぶね!」


「えっ……?」


 さっきと何も変わらない口調で言ってくる男の子に、思わず目を瞬かせちゃった。


 僕を見つめる男の子の目は真っ直ぐで……少しも、嫌じゃない。


「ボクは烏丸、ゆ……」


 男の子の方も名乗りかけて、なぜかそこで言葉を止める。


 迷うように、口をパクパクさせて……もしかして、名前を言いたくないのかな?


 九条の名前を出来れば出したくない僕も、なんとなく気持ちはわかったら。


「じゃ、ゆーくんって呼んでもいい?」


「っ……」


 僕が尋ねると、驚いたみたいに少し目を見開く。


「……うんっ」


 それから、男の子……ゆーくんは、嬉しそうに笑って頷いた。


「よろしく、ゆーくん!」


 ずっと差し出してくれていた手を、ようやく握る。


「よろしく、秀くん!」


 力強く握り返してきたゆーくんがグイッと引き上げてくれるのに合わせて、立ち上がる。


 ゆーくんは、僕より少し背が高いみたいだ。


「ねぇ秀くん、裏山に行こっ! ボクが作った秘密基地があるんだ!」


「うん! 行く!」


 少しも迷うことなく頷いて……僕は、ゆーくんと一緒に駆け出した。




 その後、俺たちは裏山を駆け抜けた。


 俺もゆーくんも割と身体能力が高かったこともあり、時に木に登り、時に坂を滑り降り、時に川へとダイブした。


 結果、身体中泥んこになったせいで帰ってから母さんにド叱られることになったんだけど。


 その日は、俺にとって人生で一番楽しい日となって。

 そしてそれ以降、『人生で一番楽しい日』は毎日更新されることになるんだ。


 ゆーくんが海外へと引っ越す、その日まで。



   ◆   ◆   ◆



 ──ヴヴヴヴッ


「ん……?」


 人生で唯一の友人との思い出を振り返っていると、ポケットから着信の振動音。


 スマホを取り出すと、表示名は『爺ちゃん』だった。


「はぁ……またかよ」


 用件は容易に察せる。


 スマホ片手に廊下に向かうと、進路上にいたクラスメイトがサッと道を開けてくれた。

 ははっ、楽でいいね。


「もしもし? その件なら断る」


『まだ何も言っとらんわ!』


 開口一番でお断りすると、やかましい声が鼓膜を震わせる。


「どうせ見合いの話だろ?」


『……まぁ、そうだが』


 だけど、溜め息混じりで指摘すると少し声量が落ちた。


 案の定……またいつもの議論を繰り返さないといけないのかと思うと、なんともめんどくさい……。

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