第105話 初めての夫婦喧嘩・決着

 ──これより、『初めての夫婦喧嘩』を始めます!


 と、高らかに宣言した唯華。


 けれど、勿論本気で怒ってるわけじゃない。


「喧嘩するほど仲が良いっていうし、たまには喧嘩くらいしないとねーっ?」


 むしろ、ちょっとワクワクした様子さえ見せていた。

 まぁ、そういう遊びってことなんだろう。


 とはいえ、こういう言い方されちゃ流石に無視するわけにもいかないよなぁ……仕方ない。


「要はディベートってことだよな? なら俺からは、まず今これを片付けておくことの妥当性について語るけども……」


「あっ、被告人は許可なく喋らないように」


「俺の知ってる喧嘩と違うんだが……!? 俺の辞書にはこれ『裁判』って書いてあるんだけど、もしかして違う言語の辞書採用してる……!?」


「あとさー、裁判で思い出しんだけど」


「もう自分で裁判って言っちゃってるし……そして、裁判で思い出すようなものが良いことである気がしない……」


「秀くんさ。こないだのプールの時、やっぱり華音のおっぱい見てなかった? 今回は別に、私の方を見づらかったって感じでもなかったよね?」


「余罪が追加された!?」


 いやまぁそれに関しては、正直に言えば……『妹』同士の比較で、ちょっと見てしまったのは事実でもあるんだけど。


「その、決してやましい気持ちで見ていたわけではないと言いますか……学術研究的な観点でチラッと見たと申しますか……」


「へぇー? やっぱり、見てはいたんだねー?」


「余罪の方の話広げるの一旦やめない!?」


「……まぁいいでしょう。確かにこれは本題じゃないし」


 とりあえずこっちの話が終わってくれてホッとする。

 けどこれ、完全に唯華のペースに乗せられてるよなぁ……。


「被告人、自らの『仕事しすぎ罪』について何か申し開きはありますか?」


「あー、っと。だから土日に俺が自分だけで完結する仕事を片付けておくことで、平日は臨機応変に皆の方に対応できるようにと……」


「ギルティ」


「どこの国の法律適用されてんの!?」


 弁明の途中で有罪を宣告され、思わず声が大きくなってしまった。


「……あのね、秀くん」


 そこでふと、唯華は表情を改める。


「引き受けたお仕事を責任持って果たそうとする姿勢はえらいと思うし、バッファを作る重要性だってもちろん私もわかってるよ?」


 だけど、と続けて。


「それで秀くんが無理して……万一身体なんて壊しちゃったら、全部台無しでしょ?」


 真っ直ぐ俺を見ながら、そう言った。


「別に、無理って程では……」


「それはウソ。さっき言った通りクマが酷いし、瞬きの回数だっていつもよりずっと多い。あと声もちょっと掠れ気味だし」


「いや、ホントにこの程度は無理のうちには入らないっていうか……」


「秀くん」


 相変わらず、唯華は俺を真っ直ぐ見つめたまま。


「こんなに心配してる奥さんより……まだ、文化祭を優先しちゃうの?」


 少しだけ、その瞳が揺れた。


「っ……!」


 あぁもう、この言い方はズルいよなぁ……!


「わかったよ。確かに、どうしても家でやらなきゃいけないってレベルではないし……もう、家庭に仕事は持ち込まない」


「それでよしっ」


 俺が書類を手放して降参を示すと、唯華は満足げに頷いた。


「それでは被告人を、なでなでの刑に処す!」


「罰は科されるのか……」


 思わず半笑いが漏れたけど、これも唯華なりの気遣いだ。


 ゆーくんが泣く気配を見せ始めると、喧嘩は終わりの合図で。

 俺がゆーくんをなでなでして泣き止ませるのが、仲直りの証だったから。


「よしよーし」


 尤も……今は、俺が撫でられる側のようだけど。


「頑張っててえらいねー? でも、休むのも仕事だからねー? よしよーし」


 この歳になってあやすように撫でられるのは、流石にだいぶ恥ずかしいけれど……心配させてしまった罰として、甘んじて受け入れているうちに。


「……ふわ」


 抗いがたいくらいの眠気に襲われる。

 気ぃ張ってるうちは気付いててなかったけど、確かに無理をしていたようだ……。


 ありがとう、唯華……。



   ♥   ♥   ♥



 秀くんは、うつらうつらと船を漕いで。


「……すぅ」


 ソファに背中を預けて、うたた寝し始めた。


「おぉっ」


 何気にレアなその姿に、つい声が漏れる。

 なんだか野生動物が気を許してくれてみたいで、嬉しくなっちゃよねっ。


 それに、ふふっ……寝てる顔はいつもよりあどけなくって、なんだか昔を思い出してちょっと懐かしい気持ちになっちゃった。


「文化祭、楽しみだねっ?」


 引き続き秀くんの頭を撫でながら、寝顔に話しかける。


 正直、秀くんの気持ちだってわかるんだ。


 ホントに無理してるつもりはなくて、文化祭が楽しみで、ついついやっちゃうって感覚なんだと思う。

 私だって、そう感じてるんだから。


 でも、だからこそ私がセーブさせてあげないとだよねっ。


「あっ、そうだ……!」


 ふと思いついて、私はそっと秀くんの肩に手を伸ばした。


「おぉっと……! 流石は男の子、上半身だけでも結構重い」


 秀くんを起こさないよう慎重に慎重に、身体を倒していって。


「ほい、いらっしゃーいっと」


 いつかの河原でやって以来久々に、秀くんの頭部を私の太ももの上……秀くんだけの特等席に、導く。


「むにゃ……たらこ……」


「ふふっ、何の夢見てるのかなー?」


 秀くんの寝顔を間近で堪能出来るこの距離感。


 私にとっても、特等席だよねっ。

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