第104話 初めての夫婦喧嘩

 俺とゆーくんは、過去に一度も喧嘩したことがなかった。


 ……なんてことは、勿論なくて。

 むしろ、喧嘩なんてしょっちゅうで。


「だから、最後の一つはゆーくんが食べてって!」


「秀くんのために残しといた、って言ってるでしょ!」


「でもゆーくん、このお菓子大好きだし!」


「秀くんだって好きじゃん!」


「僕はそこまで好きなわけじゃないし……!」


「ボクだって……!」


 なんて、しょーもないことを理由にしては喧嘩してきた。


 そして、昔のゆーくんは意地っ張りだけどちょっと泣き虫なとこもあって。


「嘘だよ、だってゆーくんさっきからずっとチラチラお菓子見てるもんっ!」


「それは……でも……うぅ……ぐすっ……せっかくあげるって言ってるのに、なんで素直に受け取ってくれないのぉ……!」


「あっあっ、ごめん泣かないでっ!」


 こうなると、仲直りのターンだ。


「わかった、じゃあ半分こ! 半分こにしよ! はい、ゆーくんの分!」


「ぐすっ……それなら……ありがと……」


 理由がしょーもないので、仲直りもいつもあっさりとしたものだった。




 ……さて。


 俺がなぜ、こんなことを思い出しているのかというと……。


「これより、『初めての夫婦喧嘩』を始めます!」


 唯華から、こんな宣言をされてしまったためである。


 事の経緯は、ついさっき。



   ♥   ♥   ♥



「んあー、これだとちょっと予算から足出ちゃうかー。や、待てよ? 烏丸家ウチが使ってる業者さんにも当たってみよっかなー……」


 とある土曜日、私は朝からリビングで文化祭実行委員の仕事を進めていた。


「なぁ唯華、仕入れの件なんだけど……」


 そんな中、秀くんが自室から出てきた……けれど。


「うわ秀くん、クマすっごいよ?」


「んー……? 色々やってたら、昨日寝るの遅くなっちゃってさ……」


「それならもっと寝てなよ……」


「や、土日で進めときたい案件もあるし……」


 たぶん、全部文化祭関連のことなんだろうね。

 一度引き受けたからには全力で責任を果たそうとするところは、秀くんらしいけれど……。


「家庭に仕事を持ち込まないのーっ」


 それなら、無理を止めるのが私の役割でしょう。


「唯華もゴリゴリ持ち込んでんじゃん……」


「だから私も、もう終わりにするねっ! これは週明け、学校でやりまーすっ」


 秀くんが私の手元にジト目を向けてくるものだから、私は書類を鞄に突っ込んだ。


「我が家は本日より、家庭内での仕事を禁じます!」


「わかったわかった、じゃあこっちの書類だけ片付けたらな……ふわ」


 眠そうにしながらも、秀くんは私の隣に座って書類をテーブルに置く。


「だから禁止でーすっ」


 それを、私がサッと取り上げた。


「あっ、こらっ。返しさなさいっ」


「駄目駄目ーっ。今日は、休養しか認められませーんっ」


「ホント、それ一枚だけだって……いや、もう一枚……二枚? やっときたいけど……」


「ほら、キリないじゃんっ。どうせスケジュールも巻き進行なんだしさー、わざわざ休日潰してまでやることないでしょっ?」


「順調な時こそ、有事に備えてバッファを作っとかないとだろ……本番が近づくにつれて、リカバリも難しくなるんだから。ほら、返しなさいって」


「ふふっ、なら捕まえてごらーん?」


 書類を取ろうと伸ばしてくる秀くんの手を、サッと避けていく。


 コツは、私の身体の近くで書類をヒラヒラさせること。

 私に触れることをやたら遠慮してる節のある秀くんは、こうするとあんまり速く手を伸ばせないのだっ。


 秀くんなら……いつだって、どこだって触ってくれて良くて。


 どこだって……触って、ほしいのにねっ?


「こら、いい加減にしなさいっ」


「おっと」


 だけど今日の秀くんはちょっとだけ強引で、そっと私の肩に触れて動きを止めようとしてくる……ので、私は。


「おっとー」


「おわっ……!?」


 秀くんを巻き込んで倒れ込む。

 寝転がる私の上で、秀くんがソファに手を付く形。


「ねっ、それより…………楽しいコト、シちゃわないっ?」


 そっと、甘く囁いてみる。


 まっ、こんなことをしても?

 いつも通り秀くんは何もしちゃわない……。


「……いいんだな?」


 ……んんっ!?


「いくぞ?」


 あれ、なんだろう……秀くん、真剣な表情でちょっとずつ近づいてきて……えっ、ウソホントに!?


 ちょっと待って流石に心の準備がっていうか先にお風呂入らせてください隅から隅までめちゃくちゃ丁寧に身体洗ってくるからでも強引な秀くんも大好きですっ!


 なんて、内心ドキドキアワアワしている私に対して……秀くんは。


「ほいよ」


 と、私の手から書類を取り上げる。


「……はぇ?」


 一瞬何が起こったかわからず、ちょっと間抜けな声が漏れちゃった。


「あー、お仕事楽しいなっと。これだけ埋めたら、終わるから」


 なんて言いながら、秀くんは座り直して書類仕事を始めちゃった。

 むむぅ、秀くんめ……私の乙女心を弄んでぇ……!


 でも、そっちがそんな態度を取るなら私だって……!


「私と文化祭、どっちが大事なのっ?」


 めちゃめちゃめんどくさい女みたいなこと、言っちゃうんだからねっ!


「それは勿論唯華だけど、文化祭も大事だから。ちょっとだけ、大人しく待ってて」


 くっ、如才ない返答を……!

 むむぅ、文化祭めぇ……私の秀くんを横取りしてぇ……!


 あっ、そうだ閃いた!

 これなら、秀くんも無視はできないはずっ!


 というわけでぇ?


「これより、『初めての夫婦喧嘩』を始めます!」



   ♠   ♠   ♠



 といった次第なのだった。

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