第103話 夜の教室、二人きりで

 文化祭本番も近づいてきた、とある放課後。


「財前会長、ウチのクラスについてのご報告は以上です」


「ありがとうございます、九条先輩。非常に順調なようで、流石ですね」


「皆が優秀なので。俺なんて、ただのカカシですよ」


「ふふっ、ご謙遜を」


 生徒会室で二人、俺と財前会長はそんな会話を交わす。

 最初の頃に比べれば、お互い随分砕けた態度になってきていると言えよう。


「それで会長、例の件・・・については?」


「こちらも順調に進んでいますよ。無事、屋上についても許可を取り付けました」


 俺の質問に、財前会長はニヤリと笑った。


「あとは、ゲリラ的に実行して構わないでしょう。問題が生じるとすれば、文化部の部長さん方への『お願い』ですが……首尾はいかがですか?」


「全て完了しました。特段揉めることもなく、皆さん快くご承諾いただきましたよ」


「それは何より。九条先輩にご担当いただいたのも効いているのかもしれませんね。ふふっ、去年までの九条先輩は敵対すると何をされるかわからないって噂でしたもの」


「敵対者を潰したとか、そんな実績一個もないんですけどね……」


 思わず苦笑が漏れる。


「実際にお会いしたら思ったより愉快な方で、安心しましたよ」


「まぁ俺自身、こんなに自分が変わるとは思っていませんでした」


 早くも去年までの自分がちょっと黒歴史と化しつつある俺である。


「……時に、九条先輩」


 ふと、財前会長が表情を改めた。


「この件、本当に……文化祭を盛り上げるためだけに、わざわざ?」


「……違います。財前会長を利用する形になってしまって、申し訳ないですけど」


「私自身の判断で始めたことですので、それは構いませんが……では、その真意は?」


 どこか試すような財前会長の質問に、俺は。


「決まってるじゃないですか」


 流石に恥ずかしくて、苦笑気味に頬を掻きながら──



   ♠   ♠   ♠



 財前会長との会話を終えて、教室に戻る。

 本日のウチのクラスの作業は全て完了しており、中には誰もいない……と、思っていたら。


「おっかえりー」


「!」


 窓際に立っている唯華に出迎えられて、少しだけ驚いた。


「もしかして、待っててくれたのか? 先に帰ってくれてよかったのに」


「やー、一応同じ実行委員としてそれもどうかと思ってねー」


「そんなの気にしなくても……」


「ていうか、秀くんもマメだよねー。デイリーで会長さんに報告なんて」


「……こういうのは、後になって問題が発覚する程に手戻りが大きくなるからさ」


 露骨な話題逸らしではあったけど、乗っておくことにする。

 正直に言えば……俺だって、待ってくれていて嬉しい気持ちもあったから。


 ……にしても、夜の教室に二人きりっていうのもなんだかちょっと不思議な気分だ。


 俺も唯華も部活には所属してないので、この時間まで学校に残るってこと自体が今までなかった。

 いつもなら家で一緒にいる時間だけれど……それともまた違って。


 窓の外はもう真っ暗で、静まり返る教室内は昼間より少し寂しく感じられる。

 だけどまだ作業しているクラスもあって、少し遠くから楽しげな声も届いていた。


 どこか現実離れしたような、夢の中みたいなフワフワしたような雰囲気。


「それで? 本日のご報告には、何か問題とかあった?」


「あぁ、うん……コスプレ衣装について、ちょっとだけ注意事項が」


「ほんほん」


 書類をヒラヒラさせながら、自分の席に向かう。


 俺が椅子に座ると、唯華もその一つ前の自席に座る……のかと、思いきや。


「んふっ」


 あっ、これは何かイタズラを思いついた顔だよなぁ……なんて、思っているうちに。


「ここ、座っちゃおーっと」


「!?」


 こないだの華音ちゃんと同じく、俺の膝の座ってきて。

 当然、大きく動揺してしまう。


「確かに、座り心地良いかもー」


 なんて言いながら、背を預けてくる唯華……心臓に悪いってレベルじゃない。

 こんなとこ誰かに見られたら大変だし、すぐに離れてもらうべきだ。


 ……そう、わかってはいたけれど。


 俺は普段、極力唯華に触れないようにしている。

 それは、女性に対して当然の配慮だと思っているけれど……許されるなら、ずっと触れていたいとも思っている。


 だから……君の方から、触れてくれるのなら。



   ♥   ♥   ♥



 んー、なるほどねー?

 この体制、想像以上に……。


 めっっっっっっっっっっっっっちゃ恥ずかしいんだけど!?


 だって秀くんの太ももに、私のお尻が……それに、背を預けちゃったらほとんど全身で秀くんと触れ合ってるようなもんで……華音、こんなエッチなことやってたの!?


 あっ、ヤダ、ていうか深く考えてなかったけど……この女重いな(物理)、とか思われちゃったらどうしよう……!?

 だけど自分から始めた手前、すぐにどくわけにもいかない……!


 大丈夫、経験上そろそろ秀くん側からストップが……。


「なら、ずっと座ってくれてていいよ」


 ……んんっ!?


「そこは、唯華の席だから」


 んおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?


 この体勢からの耳元イケボは危険水域余裕でオーバーなのですがぁ!?


 えっ、ていうか許されちゃったの!?

 これホントに大丈夫なのほら絵面とか!


「それで、注意事項についてなんだけど。手元に紐状の装飾がある場合は、バンドで括るなどして飲食物に触れないよう対策しておくようにって」


「ソ、ソウナンダー?」


 ホントにこのまま進めるの!?


 今の私、微妙に声が裏返っちゃったし既に限界なんですけど……!


「あと、『今からでもコスプレメガネ喫茶にしませんか』って提案は丁重にお断りしといた」


「アハハッ……」


 ……ていうかさ。

 秀くん、普通にしてるけど……これ、つまりは華音の時と同じリアクションってことだよね?


 やっぱり最初の頃は女の子慣れしてなかったから私にも反応してくれてただけで、今はもう純粋に『親友』としか思われてないんじゃ……。


 それとも、嫁は女として見れなくなるっていうけどまさか早くもそのターンに入ってるとか……!?

 帰ったらお母様に電話して、結婚してもラブラブでいられる秘訣を……。


「……あっ」


 違う。

 背中に伝わってくる鼓動で、気付いた。


「秀くん……すっごく、ドキドキしてるね」


「……そりゃな」


 そして、きっと。


「唯華も……ドキドキ、してるな」


 やっぱり、私の鼓動も秀くんに伝わっちゃってた。


「……そりゃね」


 マネして返すけれど、私がドキドキするのは当たり前。

 だって、好きな人と触れ合ってるんだもん。


 だけど……秀くんは、どうなの?


 私でも、ドキドキしてくれるの?

 それとも……もしかして。


 私だから、ドキドキしてくれてるの?


 ……なんて考えているうちに。

 そろそろホントに顔がフニャッちゃう限界タイム!


「あっ、そういえばさー」


 いかにも今思い出したって調子で、私は立ち上がる。

 ちょっとわざとらしかったけど、緊急脱出のために仕方ない……!


「ほら、野球部ってこんな遅くまで練習してるんだねー」


 窓際まで行って、さっきまでぼんやり見てた光景について話すことで誤魔化す。


「ホントだ。皆、頑張ってるんだな」


 ……ん゛んっ!?


 秀くん……!?

 なにゆえ、カーテンでフワッと私たちをお包みなさった!?


「……んふっ、どうしたの?」


 ギリ……!

 ギリ、ちゃんとイタズラっぽく笑えた……はず!


「こんな時間に二人でいるとこ、誰かに見られたらマズいかなって」


「なるほどねー?」


 むしろたった今、決して見られてはならない光景が完成してしまったと思うのですが……!?

 カーテンの中っていうちょっとした密閉空間に二人でいる時点でなんかエッチだし、触れてこそないもののカーテンごとほぼ抱きしめられてるようなもんだし……!


 なにこの幸せ空間!?



   ♠   ♠   ♠



 ふと思いついた、ちょっとしたイタズラのようなもの。


 さっきより密着度は少し下がったものの、狭い空間に二人きりっていうのはむしろさっきよりドキドキしてしまう。


 今度はギリギリ触れ合ってないから、鼓動は唯華に伝わっていないと思うけど。

 当たり前に、さっきと違って唯華の鼓動も伝わってこない。


 今、唯華は何を考えているんだろう?

 さっきのは、どういう意味のドキドキだったんだろう?


 俺相手でも……仮にも、男が相手だからドキドキしたのか。


 あるいは……。


「よっしゃぁまだ明かりが点いてるってことはギリセーフですねっ!」


『!?』


 っぶね!?

 教室の扉が開く音と元気な声に、思わず声出そうになっちゃったよ……!


「あれ? 誰もいない? あぁ、九条くんが報告に行ってるパターンのアレですか!」


 今度のドキドキは、高橋さんが戻って来ちゃったやべぇって意味で満場一致だ……!


「にしても、よりにもよってお弁当箱を忘れるとは……お母さんにド叱られるところでした……! まだいてくれてありがとうございます、九条くん!」


 どういたしましてだけど、それは俺の存在に気付いて言ってるわけじゃないよね……!?


「……あれっ?」


 んんっ……!?

 流石に気付かれたか……!?


「最後に食べようと思って残してたミニトマト、結局食べるの忘れてたーっ!」


 ……うん、どうやら俺たちの存在に気付いたわけではないらしい。


「ラッキー、食べちゃおーっと」


 高橋さん、だいぶ涼しくなってきたとはいえこの時間まで常温放置したミニトマトはちょっと危険じゃない……?

 と、友人としては出ていって注意すべきなのか。


 若干迷っているうちに、高橋さんの足音が遠ざかっていき……教室を出たようだ。


 それでもまだ息を殺したままで様子を見ること、数秒。


『……はぁっ』


 俺たちは、カーテンから抜け出して大きく息を吐いた。


「……やっぱりカーテン、必要だったろ?」


「んふっ、かもねー?」


 気まずい思いと共に冗談めかした俺に対して、唯華はイタズラっぽく微笑むのだった。

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