第106話 二人だけの前夜祭

 初めての夫婦喧嘩から、しばらく経った頃の放課後。


「これにて、準備の全工程が終了です。皆さん、お疲れ様でした」


『うぇーい!』


 俺の言葉に、クラスメイトの皆がテンションも高く声を揃える。


「明日の本番も、張り切って参りましょー!」


『うぇーい!』


 唯華の言葉にも、同じく。


「八組優勝目指してー? ファイ、オー!」


『うぇーい!!』


 最後に高橋さんの号令に一際大きな声で応えた後、解散の運びとなった。


 ちなみに、ウチの文化祭には何かしらの順位を決めるような制度は存在しない。

 けど、まぁこれに関してはそういう意気込みで臨もうってことだろう。たぶん。


「……これで準備期間もおしまい、か」


 皆が帰った後、教室を施錠しながらの声は我ながら随分と感傷的な響きを伴っていた。


「準備は終わって、文化祭本番は明日。だから……ねっ?」


 施錠に付き合ってくれてる唯華が、何かを思いついたような笑みを浮かべる。


「今からちょっと、校内を回ってみない?」


「いいけど……?」


 どうせ、職員室に鍵を返しに行く必要がある。

 ちょっと寄り道するくらい全然構わないけど、何のために……?


「私たちだけで、今から前夜祭っ」


「ふっ、なるほどな」


 本当に、唯華は楽しそうなことを考える天才だな。

 準備期間が終わってしまう寂しさが、ワクワクに変わっていくのを実感する。


「それじゃ、下見がてらの探検といくかっ」


「おーっ」


 廊下なので、ヒソヒソ声で軽く手を上げる俺たち。


 とはいえ、既に人の姿はまばらだ。

 流石に、前日までガッツリ作業が残ってるクラスもあまりないんだろう。


「同じフロアのクラスは、流石に見知ったもんだよねー」


「出来上がっていく過程から、ずっと見てきたもんな」


 夕日に照らされる廊下を、会話しながらゆったり歩く。


「よし、次のフロアへゴーッ」


「おぅ」


 俺たちの教室は三階で、職員室は一階。

 普段はあまり踏み込まない二階を回ってみる。


「おーっ、なんか一気に違う世界に来たみたーいっ」


「やっぱクラスによって個性が出るよな」


 風船やのぼり旗、教室の窓全部を使ったでっかいイラストなど、お客さんの目を引こうとする各クラスの努力を感心の面持ちで眺めていく。


「ウチもバルーンアート、外にも飾ってみよっか?」


「いいね、完成済みのを付けるだけなら明日パパッと出来るし」


 高橋さんが張り切りすぎた結果ぶっちゃけ余り気味のバルーンアートを有効活用する一石二鳥のアイデアだ。

 明日の朝、皆に提案してみよう。


 そんな風に身のある話だったりない話だったりを交わしながら、校内を回っていく。


 あちこち歩いているうちに結構時間も経過し、気付けば周囲に人の姿もなくなって。


「ねねっ、あっちの方も行ってみよっ」


 と、唯華は自然に俺の手を取って先を行く。


 本当に……それが、当たり前だとでも言うように。

 実際、かつては当たり前だったことだけど……また、これが当たり前になってくれると良いのにな。


 そんな願いも込めて俺がそっと握り返すと、唯華の口の端が小さく上がった。


「もうすぐ、一通り回り終わっちゃうねー」


「だな」


「あっ、そうだ。最後にさ」


 少し先行している唯華は、こっちを振り返って後ろ向きに歩き始める。


「ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ?」


「大丈夫大丈……ぶっ!?」


 爆速のフラグ回収。

 放置してあったマジックを踏んでしまった唯華は、グラリとバランスを崩す。


 俺は咄嗟に繋がった手を引き、唯華の腰に手を回し抱き寄せた。


「……だから言ったろ?」


 どうにか、声に動揺は乗らなかったと思う。



   ♥   ♥   ♥



「……んふっ、ホントだ。ごめんね、ありがとー」


 どうにか、動揺を声に乗せないよう意識しながら。


 近い! 力強い! 顔が良い!


 と、無論のこと私は大変テンパっておりました。


 だって、手を繋ぐだけでも結構いっぱいいっぱいだったのにこの距離はさぁ……!


「で、さっき何を言いかけてたんだ?」


 んおっ!? またもや離れないままのパターン!?


 嬉しいけど……!

 めっちゃ嬉しいしずっとこうしていたい気持ちはあるけども……!


 心臓が……!

 心臓が、早くも限界を迎えている……!


 ……ということで。



「最後、帰る前に──」


 離脱のためにも、さっき言いかけた提案を口にする。



   ♠   ♠   ♠



「こうして実際に飾られると、なかなか立派なものに見えるよな」


「だよねーっ」


 唯華の提案で、俺たちは文化祭への来訪者を迎えるアーチを見上げていた。

 文化祭実行委員でコツコツ作り上げ、本日満を持して設置されたものだ。


 明日になると人の行き来が多いし、確かにじっくり見るなら今のうちだろう。


「先生方も、今年は特に出来が良いって褒めてくださったしねっ!」


「まぁそれは、毎年言ってるのかもしれないけど」


「もう、また捻くれたこと言ってー」


 とはいえ……俺の目にも、このアーチは例年のものより立派に見えた。


 それこそ、贔屓目ってやつなのかもしれないけど。


「でも、こんな達成感……いつ以来だろう」


 勿論、一人だけで作ったわけじゃない。

 だけど、こんな大きなものを自らの手で作り上げられたことを誇らしく思う。


 皆の協力のおかげとはいえ、クラスの方もここまでは無事に進行出来た。


「これも、唯華の……」


「違うよ」


 おかげだな、と続けようとした言葉が遮られた。


 実際、唯華のおかげで俺が変われた結果だと思うんだけど……。


「これは秀くんが自分で選んで、掴み取った成果なんだから」


 その言葉が、じんわりと胸に温かく広がっていく。


「むしろ、今回は私がお礼を言う方っ。秀くんが実行委員に立候補してなかったら、私もやってなかったと思うし。楽しい準備期間を、ありがとねっ」


「……ありがとう」


 お礼にお礼を返すという妙な構図だけど、感謝を伝えたかった。


 唯華にそう言ってもらえると、ちょっと自信を持てるような気がするから。


 君の、隣にいて良いのだと。

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