第22話 あの頃とは反対に

 唯華が熱で倒れた翌週の休日。


「さてっ! 行こっ、秀くん!」


 朝からせっせと作っていたお弁当が詰められたバスケットを手に、唯華が張り切った調子で俺の方を振り返ってくる。


 一方の俺は、唯華に渡されるままレジャーシートやら水筒やらが入った鞄を背負っているんだけども。


「それはいいけど、今日は結局どこに行くんだ?」


 何やら唯華は行きたいとこがあるらしいけど、俺はまだ目的地を教えてもらってないのだった。


「ふふっ」


 唯華は、ニッとイタズラを企む子供のような笑みを浮かべる。


「題して……思い出の場所、周回ツアー!」


「……なるほどな」


 それを聞いただけで、大体のところは察せられた。



   ◆   ◆   ◆



「こちら、かつて足がハマって抜けなくなった秀くんが半泣きになっていた溝でございまーす」


「俺がどうにか抜けた後、『こんなの、抜けなくなるわけないじゃん!』なんて言ってわざわざ自らハマりにいった唯華が半泣きになった溝でもあるな」


 道中、何でもない側溝を指してツアーガイドのようなことを言い出した唯華に軽口を返す。


「おっ、ペス! 良かった、まだまだ元気そう! 秀くんに吠えかかって泣かせようとする姿勢、昔っから変わらないね!」


「昔っからだけど、こいつ明らかに唯華の方を向いてるからな……?」


 門扉の間から俺たち……というか唯華に対してガウガウと吠える大型犬、ペスの前を通り過ぎ。


「この駄菓子屋、変わんないねーっ」


「店主の婆ちゃんも、マジで十年前から全然変わってねぇからな……時間止まってんのか? って感じだよ」


 駄菓子屋の中を覗いて、笑い合った。


 そんな風に、俺の実家近辺を練り歩きながら昔を懐かしむような会話を交わす。

 二人で昔よく走り回っていたこの辺りは、何でもない場所でもそこら中に思い出があって話題は尽きない。


 俺にとっては今でもそれなりに見慣れた道だけど、唯華にとっては十年間離れていた土地だから随分懐かしい気持ちなんだろう。


「あっ……ここの空き地、マンション建ったんだ」


 変わらないものもあれば、もちろん変わるものもあって。

 鬼ごっこにかくれんぼにヒーローごっこにと走り回っていた空き地に建てられたマンションを眺め、唯華は少しだけ寂しそうに目を細める。


「ところで」


 けれど、俺の方へと振り返ってくる頃にはそんな寂しさはすっかり消え去っているように見えた。

 それはたぶん、俺が心配しないようにっていう唯華の気遣いだろう。


「せっかくだし秀くんちにも寄ってく?」


「や、いいよ。急に帰っても、向こうもバタバタするだろうから」


「オッケー」


 このまま真っ直ぐ行けば俺の実家だけど、スルーして右に曲がる。


「この辺りも、秀くんちの私有地なんだっけ?」


「あぁ、ほとんど放置されてるけどな」


 なんて言いながら歩いているうちに、景色にだんだん緑色の割合が大きくなってきた。


「っと、あったあった。良かったぁ、昔とほとんど変わってないね」


 と、山に続く獣道を見つけて唯華は嬉しそうに笑う。


 この道に沿ってしばらく登ると、ちょっと開けた場所にたどり着く。


 そこは、かつて俺たちが『秘密基地』を築いていた場所だ。


 今日の目的地、一つ目である。


「それじゃ、行くか」


「えっ……? あ、うん」


 先に歩き出した俺に対して、なぜか唯華はちょっと驚いたような様子を見せた……ような、気がした。


「どうかしたか?」


「……ん、何でもないよっ」


「ならいいけど……」


 少し気にはなったけど、気にするなってことだろうと思っておく。


「っと、記憶にあるより随分窮屈だな……」


「あははっ、それは秀くんが大きくなったからでしょ」


「確かにな……そこ、枝が突き出てるから気をつけてな」


「ん、ありがと」


 子供の頃でも問題なく登れてた程度の山道だ。

 邪魔になる木の枝なんかを時折払いながら、俺たちは息を切らせることもなく順調に進んでいく。


「よっ、っと」


 少し高めの段差に足をかけ、一気に上がる。

 昔はよじ登らなきゃいけなかったけど、今じゃ一足だ。


「ほい」


 そして、振り返って唯華に手を差し出した。


 唯華なら別に一人でも大丈夫だろうけど、上からの補助があった方が楽だろう。


「ふふっ」


 俺の手を見上げて、なぜだか唯華は小さく笑う。


「昔と、逆だね」


「……確かにな」


 特に、意識しての行動じゃなかったけど。


 そういえば……昔は、唯華の手を見上げる方が俺だった。


「ホント、すっかり頼もしくなったよねー」


「……引っ張るぞ」


「ありがとっ」


 クスクス笑う唯華の視線がなんだかくすぐったくて、顔を逸らしながら引っ張り上げる俺なのだった。



   ◆   ◆   ◆


   ◆   ◆   ◆


 大して力を込めている様子もないのに、秀くんはひょいって感じで私を引き上げてくれて……腕相撲の時も感じたその力強さに『男の人』を感じて、ドキドキしちゃう。


「もうちょいだな」


 なんて言いながら先を行く秀くんの背中を、何とはなしに眺めていて……ふと。


 昔は見慣れていた風景の中に、一点だけ違いがあるせいなのかな。


 私がこのまま立ち止まったままだったら、秀くんはこのままズンズン進んで……どこかへ、行っちゃうんじゃないかって。

 そんな、馬鹿げた考えが浮かぶ。


 ありえない妄想だってわかってるけど、なんだか急に不安になっきて。


「待っ……」


 慌てて駆け出したんだけど。


「ん?」


「わぷっ」


 ちょうど秀くんが振り返ってきて、その胸に飛び込む形になってしまった。


「っと」


 秀くんは、咄嗟に……だけど危なげなく、私の身体を抱き留めてくれる。


 少しだけ汗ばんだ、秀くんの匂い。

 胸に当たった耳から、秀くんの鼓動も伝わってくる。


「唯華? どうした、足でも挫いたか?」


 いつまで経っても私が離れないせいで、秀くんが心配そうに声をかけてくれる。


「……ん、そういうわけじゃないけど」


「ないけど?」


「もうちょっと……このままで、いい?」


「えっ……?」


 私の言葉に、秀くんはいかにも意外そうな声を上げた。


 なんとなく、今は秀くんの存在を間近で確かめていたい気分で……だけど、なんて言い訳しよっかなぁ?


 熊が後ろにいるから、動かない方がいい……とか?

 いやいや、だったらこんなことやってる場合じゃないでしょ。

 大体、この辺りに熊なんて生息してないし。


 えーとえーと、それじゃあ……そう、蜂!

 でっかい蜂の群れが後ろを通ってる……これなら、ワンチャンいけないかなっ?

 ほら、蜂は動くものを優先的に攻撃するっていうし……!


 ……なんて、頭の中で苦しい言い訳を考えていたんだれど。


「……まぁ、いいけどさ」


「えっ……?」


 秀くんは理由も聞いてこないもんだから、思わず疑問の声を上げちゃった。

 だけどすぐに、きっと私を気遣ってくれたんだと気付いて。


「ありがと、秀くん」

「……ん」


 微笑んだ私に、秀くんはどこかぶっきらぼうにそれだけ言って小さく頷いた。


 あぁ……駄目だなぁ、私。


 離れてた時間が長すぎて。

 前の別れが、辛すぎて。


 何より……今が、幸せすぎて。


 未だに、フッと秀くんがいなくなっちゃうんじゃないかって不安に駆られちゃう。

 全部、夢だったんじゃないかって。


 だけど、大丈夫……秀くんは、ちゃんとここにいてくれる。

 ちゃんと私を、待っててくれる。


 十年前から、ずっと。



   ◆   ◆   ◆


   ◆   ◆   ◆



 なっ……。


「この先、だったよね?」


「え? あ、あぁ、うん」


 何だったんた、さっきのは……!?

 唯華がそうしたいって言うから、黙って受け入れたけど……あれはどういう状態だったんだ……!?


 ちょっと休憩したかったとか……?

 それならそうと、唯華ならハッキリ言う気もするけど……。


 いずれにせよ、鼓動を落ち着けようと深呼吸して、そしたら間近からなんだか良い匂いが感じられて余計にドキドキして、と俺の内心はてんやわんやだった。


「基地、跡くらいは残ってるかなー?」


 そんで唯華の方は、あの後しばらくして「じゃ、行こっか」って何でもないように言って進み始めて。

 これまた何でもない顔で現在に至るわけだが……それが余計に俺を混乱させる。


 割と気まぐれなとこあるし、なんとなくそんな気分だったってだけ……か?


 まぁ何にせよ、いつまでも動揺しているわけにもいかん……と、どうにか気持ちを切り替える。


「……どうだろうな。流石に、どっかのタイミングで撤去されてるかも」


 ダンボールやらビニールシートやらで子供なりに頑丈に補強していたつもりながら、十年も放置した『秘密基地』だ。


 当然俺たちも、無事な姿で現存してるだなんて考えてない。

 残骸にでも再会出来たら御の字……くらいに、思ってたんだけど。


『……えっ?』


 いざ視界が開けた先に、あの頃のままの・・・・・・・秘密基地の姿を見つけて。


 まるでタイムスリップでもしたかのような感覚に陥って、俺たちは揃って呆けた声を上げた。

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