第32話 恋を知った日
「唯華、お父様が今手掛けている事業が本格的に海外展開することになりました。私たちもお父様と共に居を移し、家族としてお父様を支えますよ」
「……はえ?」
ある日、お母様から淡々と告げられた事実にボクの頭はフリーズした。
「あっ……えっ、っと……?」
なんだか難しいことを言ってたけど、つまりは……。
「ボク、外国に引っ越さないといけないってこと……?」
それだけは、ぼんやりと理解出来た。
「ヤダ!」
そして、理解した瞬間に拒絶する。
「そんなの、ヤダ! ボク、一人でも残るもん!」
「唯華……困らせないでちょうだい」
叫ぶボクを、お母様はそっと優しく抱きしめてくれた。
「お父様とお母様は、貴女と離れたくないの」
「そ、それは……ボクだって、もちろんそうだけど……!
「それに貴女だけが残ったら、お祖母様と二人きりになるのよ?」
「う……」
正直に言えば、それは避けたい。
ボクに対して、女の子らしくありなさいって強要してくるお婆様……お母様やお父様が盾になってくれてることを、ボクはちゃんと知っている。
ボクと二人になれば、本格的に洗脳みたいなのが始まっちゃうかも……。
……それでも。
「だ、だとしても残る!」
「唯華」
お母様の手に込められた力が、少しだけ強まる。
ボクだって、本当はわかってた。
ボクが何を言ったって、これはもう変わらないことなんだって。
ボクは子供で、何の力もなくて、一人で暮らすことも出来ないんだから。
わかってる。
「お引越しのこと、秀くんに伝えられますね?」
この話は、ちゃんとボクの口から秀くんにしないといけないってことも。
だから……酷くぼんやりする頭で、お母様に小さく頷いて返した。
◆ ◆ ◆
その日、ボクたちは初めて会った時の公園で遊ぶ約束をしていた。
「……ゆーくん?」
砂場にいた秀くんは、トボトボと近づくボクを見て不思議そうな顔になる。
「何か、あったの?」
どうやら、全部表情に出ちゃってるみたい。
「あ、はっ」
ホントは今にも泣きたい気持ちだったけど、ボクは無理矢理に笑う。
全然笑えなくて、ちょっと口元が動いただけだったけど。
泣けば、引っ越しがホントになっちゃう。
泣きさえしなければ、引っ越しなんてそのうち嘘になる……なんて。
そんなわけないってことも、もちろんわかってたけど。
それでも、涙はどうにか堪えて。
「ボク、外国に引っ越すことになっちゃったみたい」
冗談を言うみたいに、軽い調子で伝える。
「えっ……?」
秀くんは最初、ボクが何を言ってるかわからないって感じでパチクリと目を瞬かせていた。
「そう……なんだ」
だけど徐々に理解していったみたいで……たぶん、冗談なんかじゃないっていうのも伝わって。
「うん」
なのに、秀くんはニコリと笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ」
そして、なぜだかボクをそっと抱きしめる。
ボクの方が背が高いから、ちょっと背伸びする格好。
トクントクンと、秀くんの落ち着いた鼓動が伝わってくる。
「絶対、また会えるから」
「っ……!」
それは、ボクの不安を的確に見抜いた言葉だった。
「だ、だけどっ、戻ってくるとしても、何年後になるかわからないって……」
「何年経とうと、僕たちが友達なのは変わらない。ゆーくんがここで声を掛けてくれた時から……ずっとずっと、いつまでだって変わらないよ」
ゆったりとした口調で、ボクを安心させるように耳元で囁く秀くん。
「でもっ……! 何年も経ったらボク、凄く見た目とか変わってっ……きっと秀くん、ボクのことわからなくなっちゃう……!」
「どんなに変わったって、ゆーくんのことなら一目でわかってみせるよ」
秀くんは、ホントのボクを知らないから!
そう叫びかけたのを、どうにも喉元で飲み込んだ。
秀くんがボクのことを男の子だって勘違いしていることを知ってて、あえて何も言わなかったのはボクだから。
それを知っちゃうと、秀くんまで離れていっちゃうんじゃないかって怖くて。
「でも、だって……!」
胸に渦巻く不安を上手く吐き出せなくて、そんな言葉を繰り返すことしか出来ないのがもどかしい。
「大丈夫だよ」
そんなボクの背中を、秀くんはポンポンと優しく撫でてくれた。
「今日は、僕がゆーくんの分まで笑ってあげるから」
「えっ……?」
思わぬ言葉に、目をパチクリ。
「泣くの、我慢しなくていいよ」
「っ……!」
その優しい言葉が、胸に突き刺さった。
秀くんは、全部全部見抜いてる。
ボクが、まだ引っ越しを全然受け入れてられてないこと。
気持ちの整理が付かなくて、ちゃんと悲しむことさえ出来てないこと。
ボクにはわかる。
秀くんだって絶対今すぐ泣き出したいはずなのに、ボクのために笑ってくれてるんだ。
ボクの涙を、受け止めるために。
二人共が泣いちゃうと、どんどん悲しくなるだけでどうしようもなくなっちゃうから。
「その代わり、また会えたその後は」
「う、ぁ……」
目の奥から、たちまち熱いものが湧き出てくる。
「今度こそ、二人でずっと笑ってようね」
「う゛、んっ……!」
頷いた拍子に、最初の涙が零れ落ちた。
「ぁ……」
一度流れ出ると、次々止まらない。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
大声を上げて泣くボクを抱きしめたまま、秀くんは黙って背中を撫で続けてくれる。
この時、ボクはどこか不思議な感覚に陥っていた。
胸が張り裂けそうに悲しいのに、同時に何か暖かい感覚も広がっていく。
たまらなく寂しくて泣きわめいているのに、なぜだか幸せだって気持ちも確かにあった。
心臓の音がやけに大きく聞こえる気がするのは、ボクと秀くんの二人分だから?
「大好きだよ、ゆーくん。僕のこの気持ちはいつまでだって変わらないって、約束する」
嗚呼。
この瞬間、ボクは知った。
ボクが、ずっとずっと友情だと思っていたもの。
それも絶対、嘘じゃないけど……それだけじゃなくて。
「ボクも……」
優しくて、努力家で、普段はちょっと頼りない感じで。
だけど、本当はこんなにも頼もしい。
そんな、秀くんへの。
「ボクもっ……!」
ボクの……私の、この気持ち付けるべき名前は。
「大好きぃっ……!」
恋、っていうんだなって。
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