第5話 新生活と隔てられた時間
見合いの席からこっち、両家の顔合わせやら結納やら引っ越しの準備やらでを慌ただしく日々は過ぎ。
「ここが私たちの新居かぁ」
「だなー」
今日から俺たちは、一緒に暮らすことになっていた。
3LDKの新築マンション。
言ってもここまでは流されるままにイベントをこなすだけで、結婚するだなんて実感は薄かったけど……本番は、ここからかもな。
「いやぁ、何もないねぇ」
唯華さんはリビングをグルリと見回し、クスッと笑った。
「そりゃな」
この後に引越し業者に来てもらう手筈になってるんで、今は本当に空っぽの状態だ。
「そういえば話し合ってなかったけど、寝室ってどうする?」
「うん? どうするとは?」
唯華さんの言っている意味がわからず、首を捻る。
「や、一緒の部屋で寝るのかなって」
「ごふっ!?」
平然と言う唯華さんに、思わず咳き込んでしまった。
いやまぁ、『夫婦』って形ならその方が自然なのかもしれないけど……。
「……寝室は、分けよう。お互い一室ずつで、残りの一室を客間にすればちょうどいい間取りだろ」
「小さい頃みたいに、夜遅くまで一緒のお布団でお喋りするのも楽しいと思わない?」
「それは、追々検討させていただければと……」
「ふふっ、楽しみにしてるね」
どうにか絞り出した俺の返答に、唯華さんはイタズラっぽく笑う。
からかわれただけなんだろうけど、俺が了承を返したらどうしてたんだよ……。
「それより、唯華さん……」
「それ、ずっと気になってたんだけど」
俺の言葉を遮って、唯華さんは俺の唇の辺り指す。
「なんでそんな他人行儀な呼び方になってるの?」
「そうは言っても、今更『ゆーくん』ってのも変だろ……」
「なら呼び捨てでいいよ、呼び捨てで」
……実際、俺としても『唯華さん』って呼び方は微妙にしっくりきてなかったんだよな。
確かに、俺たちの間柄なら呼び捨てくらいでちょうどいいのかもしれない。
「わかったよ……唯華」
「ん、それでよろしい」
ご希望の形で呼ぶと、唯華さ……唯華は、満足げに頷いた。
俺としても、この方が自然に口に出来る気がする。
「それで秀くん、さっき何を言おうとしてたの?」
「や、そろそろ業者が来る時間だなって言おうとしてたんだけど……俺が呼び捨てにした以上、そっちも呼び捨てにするのがフェアってもんでは?」
「いやぁ、やっぱりこの呼び方が一番しっくりくるからさ」
「なんかズルくね?」
「子供時代、私のことを『ゆーちゃん』と呼ばなかったのが秀くんの敗因だね」
「なるほど、十年以上前に勝敗は決していたか……」
なんて会話を交わしているうちに、ピンポーンと呼び鈴が鳴って。
俺たちは、慌ただしく新居の環境を整え始めるのだった。
◆ ◆ ◆
一通り荷解きも終えての、夕刻。
『ごちそうさまでした』
引っ越し蕎麦を食べ終え、揃って手を合わせる。
さて、そんじゃ食後のお茶でも……。
「お茶、淹れるね」
と思ったところで、唯華がそう申し出てくれた。
「あ、おぅ。サンキュ」
ちょうど、唯華も同じことを考えてたみたいだ。
ぼんやり俺が観察する中、唯華はまず急須じゃなくて湯呑みへとお湯を注ぎ入れた。
俺と唯華、二つ分。
それから急須に茶葉を入れ、続いて湯呑みに入れてたお湯をゆっくり注ぐ。
そして、優しい目で急須の中を見守り始めた。
「そろそろかな」
そのまま一分くらい経ったところでゆっくり急須を回し、最後に数回ずつに分けて湯呑みに注ぎ入れる。
最後の一滴まで、しっかりと。
「はい」
「あぁ、うん。ありがとう」
やけに手間をかけたな……お作法的なやつなのか……?
、なんて思いながら、口をつけて。
「……美味いな」
思わず、軽く目を見開いてしまった。
ほんのりとした甘さの他に適度な渋みと苦味も感じられ、調和の取れたそれを飲み干した後には心地よい清涼感が口の中に広がっていく。
「このお茶っ葉、俺が持ってきたやつだよな?」
「そうだよー」
だとすれば、適当にスーパーで買った安物なはずだ。
「ちょっとした手間をかけるだけで、結構変わるものでしょ?」
俺の驚きを察しているらしい唯華が、クスッと笑う。
「あぁ……凄いな、唯華」
「知ってるか知らないかだけの話だし、別に凄くはないよー」
謙遜なのか本気で言っているのか判断がつかず、迷っているうちに返事するタイミングを逃して。
『………………』
部屋に、沈黙が満ちた。
「あー……っと」
なんとなく部屋の中を見回しながら、話題を探す。
「家具とか家電とか、色々と買い足さないとな」
「うん、明日買いに行こっか」
「あぁ」
けれど、そこでまた会話が終了してしまい。
『………………』
再び満ちる沈黙。
『………………』
いや……。
『………………』
気まずいな!?
うーん……昔は、俺とゆーくんの間じゃ会話が途切れることさえ稀だったってのに。
だけど、俺たちには十年の隔たりがあるんだ。
当然だけど、あの頃と同じってわけにはいかないよなぁ……なんて、今更ながらに実感した。
「ねぇ、秀くんはお休みの日とか何してるの?」
唯華の方はどう思ってるのかわからないけど、少なくとも表情は平静に見える。
「うーん……主に、読書?」
「あや、随分インドア派になったんだ。昔は外を走り回って、泥んこになってお母さんに怒られるまでがセットだったのに」
「それは、唯華に連れ回された結果なんだよなぁ……」
「でも、楽しかった……でしょ?」
言いながら微笑む唯華は、俺がそう思っていたと確信している様子で。
「あぁ、もちろんだ」
俺も、大きく頷いて返した。
「唯華があちこちに連れ回してくれたおかげで、一人じゃ絶対行かないようなところに行けた。一人じゃ経験出来ないようなことが経験出来た。一人の時より……ずっと、楽しかったよ。ありがとう」
今更ながらのお礼を伝えると、唯華はまたクスリと笑う。
「それは、私だって同じだから。秀くんと一緒だからこそ、凄く楽しかった……ありがとうね」
その微笑みに、思わず見惚れそうになって。
「んん゛っ……にしても、色々とヤンチャしたもんだよなぁ。自転車で、行けるとこまで行ってみようとか無茶したりさ」
誤魔化すのも兼ねて、咳払いをした後に思い出を語る。
「あぁ、あの時は大変だったよねー。帰りの体力なんて考えてないもんだから、二人共もうヘロヘロになっちゃって」
「マジで一生帰れないかと思って、半泣きだったよな」
「そうそう。まったく、秀くんのおかげで酷い目に遭ったよね」
「確かに提案したのは俺だけど、唯華がまだ行けるまだ行けるって全然引き返そうとしなかったせいだろ……」
「でも、秀くんだって止めなかったでしょー?」
「そうは言ってもだなぁ……」
なんて、俺たちの会話は徐々に弾んでいき……。
◆ ◆ ◆
「そんで、俺はミカン食ったって話してんのにさ」
「あはっ、私はその前にしてた綺麗な石の話だと勘違いして」
『あの石、食べちゃったの!?』
「って私が叫んだら、秀くんキョトンとしちゃったよね」
「ははっ、だって俺からしたら意味わかんねーもん」
「んふふっ、そりゃそうだよね」
「そうそう、石といえば……」
気がつけば、さっきまでの気まずさが嘘だったみたいに間断なく会話していた。
離れていた時間を、埋めるかのように。
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