第6話 お風呂上がりに

「でさ、『夜に泣く梟』って小説がめっちゃ良くて」


「あっ、読んだ読んだ! ラストシーンには泣かされたよねぇ」


「直前まで完全にコメディだったのに、あれはズルいよな」


「そうそう! やられちゃったよ!」


「あと、同じ作家さんで『限界社畜』シリーズっていうのもあるんだけど……」


「とーぜん、全巻読破済み」


「ははっ……この家の本棚、重複率が高そうだな」


「ふふっ、確かに」


「ところで『限界社畜』シリーズといえば、あれ舞台がこの近くなのは知ってた?」


「えっ、そうなんだ? 初耳初耳」


「今度、行ってみるか」


「行く行く! 楽しみー!」


 思い出話から、今の話へ。


 新居への引っ越し初日の夜、俺と唯華の会話は盛り上がりっぱなしだったけど。


『……っと』


 示し合わせたわけでもないのに、ふいにお互いの視線が外れる。


『もうこんな時間か』


 時計を見ながら完全にハモった声に、『ははっ』とまた笑い声が重なった。


「ふふっ、語り始めると止まらないね」


「それな」


 さっきまで、隔てられた時間に寂しさを感じていたけれど。

 そんなもの、俺たちの間には関係なかった……今は、そう思う。


「とはいえ、今日はここまでにしとこうか」


「うん……これからは、いつだって話せるんだしね」


「……だなぁ」


 唯華の微笑みに若干心臓が跳ねて、俺はさりげなく視線を外した。


 そ、それはともかく。

 この後、風呂を沸かすのと洗い物で分担するのが効率的なわけだが……。


「私が片しちゃうから、秀くんはお風呂をお願い出来る?」


 と思ってたら、唯華も同じ考えだったらしい。


 じゃあ、後は……。


「沸いたら、秀くんから入ってくれていいよ。私、まだもうちょっと残ってる荷解きも済ませたいから」


 続いて風呂の順番について相談しようとしたところ、これも先回りされる。


「オッケー、了解だ」


 なんつーか、話が早いな……。



   ◆   ◆   ◆



 その後、風呂を唯華と交代してから自分の部屋でしばらく寛いでいたところ。


「秀くん、今いい?」


 そんな声と共に、ドアがコンコンコンとノックされる。


「あぁ、いいよ」


 まだ寝るつもりもなかったので、軽い気持ちで了承を返した。


「それじゃ、お邪魔しまーす」


 開いていくドアの方に、何気なく目をやって。


「っ……」


 その向こうから歩いてくる唯華に、思わず目を奪われた。


 上気した肌に、少しだけ張り付いたパジャマ。

 風呂上がりで暑いんだろう、上着のボタンは二つ目まで開けられていた。


 どうやら着痩せするタイプらしく……って、あんまりジロジロ見るもんじゃないな。


 その姿に動揺したことを悟られないよう、少しだけ視線を外しながら小さく深呼吸する。


「……どうかしたか?」


 どうにか、声に動揺は乗らなかったと思う。


「うん、おやすみの挨拶と……ちょっとした、抗議?」


「抗議……?」


 特に抗議されるような覚えもなくて、俺は首を捻った。


「秀くんさ……私に、気遣い過ぎ」


 けれど、そう言われると心当たりがなくもない。


「秀くん、長風呂派でしょ? なのに、随分と早かったのは私を待たせないようにだよね?」


「子供の頃はそうだったけど、今は……」


「今も長風呂派であることは、秀くんの実家に確認済みっ」


「……はい」


 念のため用意しといた言い訳が速攻で潰されては、そう返すしかなかった。


 つーか、実家に確認まで取ってるとか動きが早ぇな……。


「あと、わざわざ浴槽掃除してお湯を張り直してしてくれたよね?」


「……流石に、男の入った後の湯は嫌かと思いまして」


「もう、秀くんだって昔はそんなの全然気にしてなかったでしょ? お泊りした時とかさ」


「………………はい」


 だいぶ言いたいことはあったけど、一応事実ではあるので頷いておく。


「もちろん、秀くんのそのお気遣いは嬉しいよ? でもその上で、これから一緒に生活するに当たっての約束事にしたいんだけど」


 言いながら、唯華は人差し指を立てた。


「過剰なお気遣い、禁止っ」


 そして、それを俺の胸元へと突きつける。


 過剰……だった、かなぁ……?


「言ったでしょ? 私は、親友である秀くんとなら気楽にやっていけると思って秀くんとの結婚を決めたの。秀くんだってそうでしょ?」


「まぁ、そうだけど……」


「とはいえ何が過剰で何がそうじゃないかっていうのも、お互いでラインが違うと思うからさ。こうやって都度擦り合わせていければと思うんだけど、どうかな?」


 俺の心情を見透かしたかのような、唯華の提案。


「……わかったよ、そうしよう」


 降参の意味合いを込めて、軽く手を上げる。


 確かにお互い過剰に気を使い合う同居生活は、息の詰まるものになりかねないだろう。


「それじゃ差し当たって、お風呂についてはお互いそのままの状態で相手と交代するってことで」


「……了解だ」


 唯華の後に風呂に入ることを想像して妙な気分になりかけ、慌てて想像を打ち消した。


 今度も、どうにか動揺は表に出なかった思う。


「うん、話は以上だから。おやすみ、秀くん」


「あぁ、おやすみ」


 満足げに頷いてから、唯華は軽く手を振って踵を返した。


 唯華が出ていって、パタンとドアが閉まると同時。


「あっ、ぶねぇ……!」


 思わず、胸を押さえてそう漏らしてしまう。


 食後の会話で、完全に昔に戻れたように錯覚してたけど。


 当たり前に、そんなわけはない。

 十年の時は流れ、唯華は女性らしく成長した。


 わかっていたつもりではあったけど……さっきみたいな姿を見ると改めて実感する。


 イカンイカン……煩悩退散!


 さっき、唯華が言った通り。

 唯華がこの結婚を決めたのは、俺を『親友』だと見込んでのことなんだから。


 おかげで俺としても大いに助かったわけだし、その信頼を裏切るわけにはいかない。


 不埒な考えを抱かないよう、一層気を引き締めないとな……!



   ◆   ◆   ◆


   ◆   ◆   ◆



「あっ……ぶなかったぁ……!」


 自分の部屋に戻って、ドアを閉めた瞬間に思わず胸を押さえてそう漏らす。


「平気な顔……出来てた、よね?」


 秀くんの部屋のドアをノックする前に、何度も深呼吸して心を落ち着けたし大丈夫……な、はず。


 だけどパジャマ姿を秀くんに見られるっていうのは想定以上に恥ずかしくて、何度も身を捩りそうになっちゃった。

 さっきまで、ノリノリで「第二ボタンまで開けた方がセクシーだよねー」とか鏡の前で言ってたのに……。


 話してる間、ずっと心臓がドキドキしてたよね……。


 でもその甲斐あって、一瞬だけど確かに秀くんは動揺を見せてたと思う……ちょっとくらいは、秀くんもドキドキしてくれたはず。


「今はまだ、『親友』の距離でいい」


 だけど、願わくば……少しずつでも距離を縮めていって。


「いつかは……本当の『夫婦』に、なれるといいな」

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