SS3 あなたの香り
とある夜。
「九十八……九十九……百っ……っと!」
日課の筋トレを、ちょうど終えた時のことだった。
「秀くん、今いい?」
そんな声と共に、部屋のドアがノックされる。
「あぁ、いいよ」
実際キリの良いタイミングだったんで、ベッドに腰掛けてタオルで汗を拭いながら応じる。
「お邪魔しまーす、っと」
もう慣れたもんで、唯華は気軽げな調子で入ってきた。
一方の、俺はといえば……風呂上がりらしい唯華の、しっとりとした髪や上気した肌から感じられる色気に、未だに慣れられる気がしない。
「どうした? 何か今日のうちに話とかないといけない事とか、あったっけ?」
とはいえ、それを表に出さないようにする術はだいぶ上達してきたと思う。
「や、全然そんな大した用じゃないんだけどね。今度の日曜、お出かけしようって言ってたじゃない?」
「うん」
「このお店とか、どうかなーって」
スマホ片手に、唯華が俺のすぐ隣に腰を下ろす……それと同時に、俺はスススッとベッドの上を移動して少し距離を取った。
「……?」
そんな俺の顔を、唯華は不思議そうに見ている。
「ほら、これなんだけど」
ススススッ。
俺が離れたのと同じ分、唯華が距離を詰めてきた。
「うん」
ススススッ。
俺は、詰められた分だけ再び距離を取る。
「………………」
唯華のジト目には、気づかないフリ。
「………………」
「………………」
ススススッ。
「………………」
「………………」
ススススッ。
「………………」
「………………」
ススススッ。
お互い、無言でベッドの上を少しずつ移動していく。
「うっ……」
そうしているうちに、俺の方がベッドの端にまで辿り着いてしまった。
「んっふっふー、追い詰めたよー?」
と、唯華はニマッと笑いながら両手をワキワキさせる。
「……ていうか、なんでそんな距離取ろうとするの?」
それから、素の表情に戻って尋ねてきた。
「や、さっきまで筋トレしてて汗臭いからさ」
俺は、理由を簡潔に説明する。
「ふーん? どれどれ?」
「ちょっ……」
にも拘らず唯華はむしろ俺の首筋に顔を近づけてきて……スンスン、と鼻を鳴らした。
「ホントだ、汗臭ーい」
それから、小さく笑いながら顔を離す。
「だから言ってんのに……」
一応、唯華を不快にさせないようにっていう俺なりの気遣いだったんだけどな……。
「でもそんなの、今更気にするようなことでもないでしょ? 子供の頃なんて、お互い汗臭いのがデフォみたいなものだったんだし」
「それはまぁ……」
そう……か?
まぁ、唯華が気にしないっていうならこれも『過剰なお気遣い』の部類だったってことか。
「それよりほら、これ見てって」
「あ、うん」
結局、触れ合う程の距離に腰掛けた唯華が差し出すスマホの画面に視線を落とす。
「今ね、二〇%オフやっててさ。しかも、クーポンで更に百円引きっ」
「そりゃお得だな」
「ほら、このパフェとかすっごい美味しそうじゃない?」
「ちょっと多くないか……?」
「二人で食べればちょうどくらいじゃない?」
「なるほど、確かにな」
なんて、平静を装って応じてはいるものの。
正直、俺の意識の何割かは間近から感じられる香りに奪われてた。
唯華が顔を動かし、サラリと髪が揺れる度に届いてくる。
シャンプーの香りだけじゃない、どこか甘くて、妙に蠱惑的で、なんだかドキドキしてしまうような……。
これも、いつまで経っても慣れそうにないなぁ……。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
「他にもね、気になってるのがあってぇ」
スッスッとスマホを操作ながら……正直、私の意識の八割くらいは別のことに気を取られていた。
「汗」
「汗……?」
おっと、いけないいけない。
「アセロラケーキとか、とっても美味しそうじゃない?」
「おっ、ホントだな」
ふぅ……ちょうど良い感じのメニューが表示されてたんで、どうにか誤魔化せた……。
そう……私の意識の大半を奪っているのは、間近から感じられる香り。
いつもより男性的な感じが強くて、ちょっと刺激的で、嗅いでいると落ち着くのに、逆にドキドキもしちゃう、それは……。
「んふっ」
汗くさーい♪
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