第49話 お風呂上がりに

 リビングに戻ってしばらく、再び俺の乱れた鼓動も落ち着き始めた頃。


「ふぅ、さっぱりー」


 唯華もリビングに戻ってきた。

 濡れた髪を、タオルで拭いながら……という姿から、そっと目を逸らす。


「珍しいな、朝から髪洗うの」


 明るい時刻にこの姿を見るってだけで、なぜか妙にドギマギしてしまった。


「流石に、普段は時間がないからねー。これも、夏休み特典ってね」


 そう言って、クスリと笑う唯華。


「まー、いずれにせよ髪乾かすのはめんどいんだけどー」


 それから、ドライヤー片手に本当に面倒そうな顔となる。


「俺がやろうか?」


 それを見て、ふとそんな提案が口を衝いて出た。


 それから、ハッとする。

 子供の頃には当たり前にやってたことだったからつい言っちゃったけど、この歳になって俺に髪を触られるとか普通に考えて嫌だよな……!


「あ、や、今のは……!」


 どうにか言い訳を捻り出して、訂正しようとしたけれど。


「ホントっ? ありがとーっ」


 当の唯華は、特に思うところもなさそうにニコッと笑ってくれた。


 これは、本当にありがたく思ってる時の表情だ。

 だから、「いいのか?」とは問わないことにする。


「んじゃ、ドライヤー」


「よろしくー」


 唯華からドライヤーを受け取り、ソファに座る唯華の後ろに立ってスイッチを入れた。


「熱くないか?」


「全然平気だよー」


 問いかけながら、慎重にドライヤーを近づけていく。


「なんか、懐かしいなー」


 こっちからは見えないけど、唯華が微笑んでいるのは伝わってきた。


「子供の頃、お泊りした時はいっつも秀くんにやってもらってたよねー」


「昔の唯華、放っとくと濡れたまま放置だったからな……」


「そのうち乾くでしょ、ってスタンスだったから」


「ははっ……」


 微苦笑しながらも、唯華も覚えてくれていたことを嬉しく思う。

 昔と同じ構図……とはいえ、あの頃とは髪の長さも俺の意識も全然違う。


 ドライヤーを振りながら、丁寧に髪を梳いていく。


「秀くん、昔よりドライヤー上手になってるね?」


 幸い、今のところは及第点らしい。


 手で梳いても少しも引っ掛からないサラサラの髪は、普段からよく手入れされているのがわかって……美しい。


「……女の子の髪、乾かし慣れてる?」


 ……なんか、妙に声の温度が低くなったように聞こえたのは気のせいだよな?


「前は一葉のもやってたし……それに、いつも唯華がやってるの見てるから」


「ふーん?」


 と、今度はどこかイタズラっぽく笑う唯華。


「私のこと、いっつも見てくれてるんだー?」


「……そりゃ、一緒に暮らしてるんだから視界には入るさ」


 本当は……その綺麗な仕草に、目を奪われがちなんだけど。


「にしても、随分と長くなったもんだよなー」


 それを誤魔化しがてら、雑談を振る。


 実際、すぐに乾かし終わった昔に比べてドライヤーだけでも随分と手間だろう。

 他にも、俺にはわからない苦労や面倒があるんだと思う。


 だから、ドライヤーだけでも任せてもらっている今……出来る限り、大切に扱うよう心掛けよう。



   ◆   ◆   ◆


   ◆   ◆   ◆



「秀くんはさ、髪の長いコ好き? それとも、短い方が好き?」


「んー?」


 雑談にかこつけて、ちょっとドキドキしながら尋ねてみる。

 秀くんの好みがショートカットなら、明日にでもバッサリいくことも辞さないけれど。


「唯華なら、短くても長くても似合うと思うよ」


「んふっ」


 そう言ってくれるもんだから、思わず笑みが漏れちゃった。


「私に似合うかどうかじゃなくて、一般論的なのを聞いたんだけどなー?」


「えっ、あっ、そっか、そうだよな……!?」


 慌てる秀くんをからかう体で、クスクス私だけれど。


 笑顔の理由は、ホントは別。


「ん゛んっ……! そんなことより、熱いとか痛いとかあったらすぐに言ってくれよ?」


「ん、全然大丈夫。凄く気持ち良いよー」


 私の髪を触る秀くんの手付きは優しくて、まるで宝物でも扱ってるみたいに繊細で。

 こうしてると、なんだかお姫様気分。


 何より……本当に、大切にしてくれてるんだなって実感出来て。


「私、昔っから好きだったなー……秀くんに、髪乾かしてもらうの」


「確かに、俺が乾かしてる間は割と大人しくしてたよな。やっぱ人に乾かしてもらうのは良いもんか?」


「秀くんだからこそだよ」


「はいはい」


「ふふっ、ホントなのにー」


 こんなの……ニヤけちゃうに、決まってるでしょぉっ……!

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