第65話 君に触れる

 大胆な水着姿の唯華を、「他の人に見せたくない」とか恥ずかしいことを言ってしまった俺。


 唯華の方をまともに見れないまま、パラソルとレジャーシートを移動させて……頭を冷やすためにも、まずは適当に泳ぐか……と思ったところで。


「秀くん、サンオイル塗ってーっ」


 唯華が鞄から小瓶を取り出し、俺に差し出してくる。


「んんっ、サンオイルかぁ……!? サンオイルねぇ……!? オーケーオーケー」


 極力動揺を表に出さないよう意識しつつ、俺はサンオイルの瓶を受け取った。


 落ち着け、俺には既に唯華の全身の汗を拭き取ったという経験値が……。

 ……いやでも、あれはタオル越しだったしな。


 今回は、素手……えっ、素手?

 素手で触るの?


 素手で背中に触るとか許されるの?

 俺が知らないだけで、もしかして世の中にはオイルを挟んでるからオーケー理論とか存在する??


「よろしくー」


 俺の葛藤なんて知った風もなく、気楽げな唯華はシートの上にうつ伏せになる。


「……素手で、塗るんだよな?」


「ふふっ、そりゃそうでしょ」


 一応確認してみると、背中越しにおかしそうな声が返ってきた。


 うん、そりゃそうだよな……。

 ……いや、そう、なんか変な風に考えるから変に意識してしまうんだ。


 サンオイルを塗るくらい、友人間で当たり前にやることなんだしさ……たぶん、恐らく、きっと……。


「それじゃ、塗ってくな」


「あっ、その前に紐を解いた方が良くない? このままじゃ塗りづらいでしょ?」


 ……紐? 何の……?

 と、一瞬素でわからなかったけど。


「えっ、水着の……!?」


「他に何か紐ってある?」


「いやまぁ……ていうか、俺がやるの……?」


「ついでにおねがーい。私もう、一番良い体勢見つけちゃったんだもーん」


 顔の下に腕を敷いている唯華は、ちょっと甘えた風にお願いしてくる。


 ……まぁ、オイル塗るのに比べれば大事の前の小事か。


「外す、ぞー?」


「うん」


 緊張に若干震える手で、水着の結び目に指を掛ける。

 ちょっと力を込めるとあっさりと解けてしまって、こんな防御力で本当に大丈夫なのかとちょっと心配になった。


 そして、紐を横にどけると。

 たかだか紐一本……それがなくなっただけなのに、全てが顕になった背中を前になんだか妙な背徳感のようなものを覚えてしまう。


 シミの一つもない綺麗な背中は……って、見惚れてる場合じゃない。

 唯華の背中を紫外線のダメージから守るため、集中してしっかり塗らねば……!


「じゃ、今度そこ塗ってくから」


「あいあーい」


 オイルを手の上に出す俺は、やはり緊張の面持ちとなっていることだろう。


 手の平にオイルを広げて、そっと唯華の背中に押し当てる。


「んっ……」


「っと、悪い……!」


 唯華の声に、反射的に手を離す。


「大丈夫、ちょっとくすぐったくて声出ちゃっただけだから。続けて続けてっ」


「あ、うん……」


 そう言われて、俺は作業を再開……したのは良いんだけど。


「あん……んんっ……」


 俺は、無心でオイルを唯華の背中に塗り拡げていく。


「んっんっ……うんっ……」


 俺は、無心でオイルを唯華の背中に塗り拡げていく。


「んぁっ……私、背中弱いかもっ……」


 俺は、無心で……ん゛んっ!


 仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意……!



   ♠   ♠   ♠



 どうにか般若心経で平常心を保ちながら、サンオイルを塗り終えて。


「ふぅ……秀くん、上手だったよっ」


 ちょっと息を乱して微笑む唯華がどこか妖艶に見えてしまうのは、俺の心が汚れているからに違いない……。

 が、とにもかくにもこれでミッションコンプリート……。


「それじゃ次、顔もお願いねーっ」


「顔も……!?」


 まだ、試練の時間は続くようだった。


「いや、それは自分で出来るだろ……!?」


「更衣室に手鏡忘れちゃってさー。勘でやったら、ムラ出来ちゃいそうでしょ?」


「それじゃ、更衣室に戻れば良いのでは……?」


「そう言わずに、お願いっ……ダメ?」


「……わかったよ」


 小さく嘆息し、引き受けることにする。


 本当に、俺はこの親友のお願いに弱い……。


「よろしくねー……んっ」


 と、唯華は目と口を閉じて少し顔を上げた。


 ……俺が塗りやすいようそうしているだけで、他意がないことはわかっている。


 わかってるけど、その仕草はまるで……。

 と、ついつい唇に視線を向けてしまった。


「? どうかした?」


「……や、なんでも。塗ってくな?」


「んー」


 そうして、俺は再び心の中で般若心経を唱え始めるのだった。



   ♥   ♥   ♥



 頬に、そっと秀くんの手が触れる。

 手付きが慎重過ぎて少しくすぐったいけれど、それもまた大切にしてくれてる証だから凄く嬉しい気持ちがどんどん湧いてくる。


 頬に、額に、顎に、と触れる場所を変えていく秀くんの手。

 目を瞑っているから次にどこに来るのかわからなくて、なんだかドキドキしちゃうよね。


 でもさ、秀くん。

 せっかくキス待ち顔してるんだから……このままキスしてくれても、良いんだよ?


 なんてねっ!

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