第20話 看病の夜に
秀くん、これ脱がせて。
さっきのは、聞き違えか幻聴の類かと思った……あるいは、そうであってくれと祈ったけれど。
「ねぇ……早く、脱がせてぇ……?」
残念ながら、そのどちらでもなかったらしい。
「や、唯華、流石にそれは……」
「んゅぅ……暑いのぉ……」
頬をヒクつかせながらの俺の言葉は届いているのかいないのか、唯華はむにゃむにゃ言いながらパジャマのボタンを何度も指で擦っている。
あぁ……これ、熱でわけわかんなくなってボタンを外せないのか……。
そうなると……えーい、覚悟を決めろ!
今は唯華のために、最善を尽くすのみ!
そのためなら、俺の個人的な感情なんて二の次三の次だ!
なんて、自分を奮起して。
「……あぁ、わかったよ」
大きく深呼吸をした後、頷いて返す。
「唯華? それじゃ、ボタン外していくからな?」
「んゅ……」
頷きなのか呻きなのかよくわからない声を受けて、慎重に手を伸ばし……まずは、パジャマの第二ボタンを外す。
かなり目のやり場には困るけど……大丈夫、ここまでは
「はぁっ……」
第二ボタンを外したことで少し解放感が生まれたのか、唯華の表情がどこか和らいだ気がした。
よし……後は極力見ないよう、余計なとこに触らないようにしながらボタンを外していって……。
「唯華? ちょっと、身体を起こせるか?」
「ん……」
背中に手を差し込み、唯華をそっと起き上がらせる。
「それじゃ、脱がすからな?」
「早くぅ……」
「わ、わかってるって」
唯華に急かされるまま、汗で重くなったパジャマを引っ張って唯華の腕から引き抜く。
「っ……」
一瞬だけ下着が視界に入ってきて、咄嗟に目を逸らした。
と、ともあれ、これで後は新しいパジャマを着てもらえば……。
「汗ぇ……」
「……ん?」
新たな要求? に、首を捻る。
「汗ぇ……気持ち悪ぃ……」
「あ、あぁ……そっか、そうだよな」
確かに、このまま新しいのを着せても肌に残った汗ですぐにぐっしょりになっちゃうだろう。
先に汗を拭いてあげるのが最善……とは、わかってるものの。
「……オーケー、すぐにタオル持ってくるからな!」
迷ったのは一瞬だけ。
水を溜めたタライとタオルを持って、手早く戻ってきた。
「それじゃ、拭いてくからな?」
目を細めて、視界は最低限に。
「んひゃっ……」
絞ったタオルをそっと背中に当てると、唯華は小さく悲鳴を挙げた。
「あっ、ごめん。冷たかったか?」
そう思って、慌てて手を引っ込めたけど。
「気持ちいぃ……」
どうやら杞憂だったらしいと、安堵して手の動きを再開させた。
「………………」
「………………」
しばしお互い黙り込んだまま、タオルが肌を擦る僅かな音だけが耳に届く。
「秀くん……」
「うん? どうした?」
極力優しい声を意識して返事しつつも、はてさて次は何を要求されるのか……と、内心では戦々恐々である。
「ありがとねぇ……」
「ははっ……いいって、これくらい」
だけど出てきたのはお礼の言葉で、安堵の気持ちと共に軽い調子で返す。
「ありがと……ありがとねぇ……」
なのにお礼を繰り返す唯華には、俺の言葉が届いていないのか……なんて、苦笑していたら。
「ありがとねぇ……いつも一緒にいてくれてぇ……」
「えっ……?」
続いた言葉に、妙に胸がざわめいた。
「ありがとねぇ……私を受け入れてくれてぇ……」
……もしかすると、それは。
唯華が、普段から抱えている想いなんだろうか。
「ありがとねぇ……私と、結婚してくれてぇ……」
だとすれば……嗚呼、そんなのは。
「……そんなの全部、俺の方こそだよ」
そっくりそのまま、普段から俺が思ってることだ。
「ありがとな……唯華」
今の唯華に伝わるのかはわからないけど、本心からのお礼を返す。
「秀くぅん……大好きぃ……」
「あぁ……俺も、大好きだよ」
少しだけ恥ずかしいけれど、これも本心からの言葉。
「んぅ……」
ふと、唯華はむずかるみたいに首を横に振った。
「違うのぉ……」
「違う……?」
言っている意味がよくわからず、つい疑問の声が口を衝いて出る。
「
「……えっ?」
それは……本当に、どういう意味なんだろうか。
「それって……」
「んゅ……秀くん……」
思わず問い返そうとしたところで、唯華の声が被さってくる。
「前も拭いてぇ……」
「え? あぁうん、身体の前の方も拭いてほしいんだな? 了解だ」
話題が変わって? の要求に、反射的に頷く。
「……んんっ?」
それから、その内容を理解して。
「前も拭くっ……!?」
ギリギリで叫ぶのを堪えられたのは、俺の精神力の賜物だと思っていただきたい。
「や、唯華……前は自分で拭いてほしいっていうか……」
「拭いてぇ……」
「それは流石にマズいだろ……!?」
「拭いてぇ……」
「ほら、タオルを自分で手に持って……!」
「拭いてぇ……」
駄目だ、これ無限ループに入ってるやつだな!?
えーい……わかった、こうなりゃとことんやってるよ!
「俺は空気……俺は虚無……俺は実体なきもの……」
己を滅し、限界までソフトなタッチで、触覚を脳から切り離すつもりで……その後、「下も脱がして拭いて」と続いた唯華の要求に応じて全身の汗を拭き取ってみせ、最後に薄手のパジャマを着せるというミッションまで完遂したのだった。
◆ ◆ ◆
翌朝。
「おっはよー、秀くんっ」
キッチンに顔を出した唯華の挨拶は、元気に満ちたものだった。
「おぅ……おはよう、唯華……」
一方で、俺の返事は若干ドヨンとしたものとなってしまう。
「もう、身体は大丈夫か……?」
「うん、一晩ぐっすり眠ってバッチリ回復! さっき熱も測ったけど、完っぺき平熱だったよ!」
「あぁ、そりゃ何よりだ……」
顔色もすっかり良くなってるし、確かにもう大丈夫そうで心から安堵する。
「ていうか秀くんの方こそ、なんだかぐったりしてるように見えるけど大丈夫? もしかして……風邪、移しちゃった?」
「や、そういうわけじゃなくて……単に、ちょっと寝不足なだけだよ」
「そ? ホントに大丈夫? 今日は、私が秀くんの看病しよっか?」
「そこまでじゃないさ、心配しないでくれ」
「ならいいけど……」
あぁ、実際そんな深刻な状態なわけじゃない。
本当に、ただの寝不足で……まぁその原因は、昨晩の件にあるわけだけど。
「あー……その、唯華」
「うん? なに?」
今朝、唯華と顔を合わせることを思うと気まず過ぎて悶々してたんだけど……唯華の方は、ケロッとしてんな。
下着姿で親友に汗を拭いてもらうくらい、どうってことないってことか。
「昨日の、夜のことなんだけどな……?」
わざわざ俺から口に出したい話題じゃなかったけど、ちょっと確かめたいこともある。
「夜? リンゴを食べさせてくれた時のこと?」
「じゃなくて、その後……」
「その後って?」
「……んんっ?」
あれっ……? まさか、唯華……。
「あれから私、一度も起きてないけど……私が寝てる間に、何かあったってこと?」
「んっ、あっ、そう、なるほどね、そういう感じねっ」
あの時の記憶が丸っと抜けてんのか!?
確かに、熱に浮かされてわけわかんなくなってたしなぁ……。
「や、悪い……なんでもない」
「そう? ならいいけど」
例の件……
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
はい、ごめんなさい。
ゴリッゴリに覚えてます……!
最初から最後まで全部……!
秀くんの前で澄まし顔を保ちながら、私は心の中で秀くんに何度も頭を下げていた。
私が、どうして覚えてないフリなんてしているのかというと──
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