第26話 実家と妹

「いーや、そんなとこから河童が出てきたらビビるだろ!? ……ふがっ?」


 自分の寝言で、目が覚めた。


「ふふっ」


 目を開くと、クスクス笑う唯華と目が合う。


 ……?

 なんで唯華が、目の前に……?


「河童は、どこから出てきても驚くと思うけど。どんな愉快な夢を見てたの?」


「河童……? や、なんだろ……全く覚えてない……」


 まだ夢と現実の境界が曖昧なようなぼんやりとした思考の中、後頭部の柔らかい感触で思い出した。


 そうだ俺、唯華に膝枕……。


「っ!」


「おっと」


 急に勢いよく起き上がったせいで、唯華をちょっと驚かせてしまったみたいだ。

 それも、申し訳ないんだけど……。


「悪い唯華、俺かなりガッツリ寝ちゃってたよなっ?」


「んふっ、まぁねー」


 感覚的に、数分程度の眠りじゃなかったのはわかる。


 その間ずっと膝枕してくれていた唯華の負担は、大きかったに決まってる。


「あれっ? ていうか……」


 とそこで、今頃になって周囲の違和感に気付いた。


 俺たちがここに来たのは、昼くらいだったはずなのに……。


「もう日が暮れそうじゃん!?」


 既に空が赤くなり始めてるって……どんだけグッスリ寝てたんだよ、俺……。


「唯華、流石に起こしてくれよ……!」


「だって秀くん、凄く気持ちよさそうに眠ってるから」


「いやいや、唯華の今日の計画だって狂っちゃったろうし、退屈だったろうし、足も痺れちゃっただろ……?」


「大丈夫大丈夫、私の足は膝枕用に鍛えてあるんだから」


 そんな鍛え方ある……?

 いやまぁ、俺が気にしすぎないようにっていう気遣いなんだろうけど……。


「計画ってほど細かいこと考えてたわけじゃないし……それに、少しも退屈なんてしなかったよ」


 唯華は、そう言いながらなぜか俺の顔をジッと見て笑みを深める。


「秀くんの寝顔なら、何時間だって見てられるもん」


「んぉ? あ、おぅ、そ、そう……」


 そんなに愉快な寝顔だったのか……?

 うん、まぁ、これも俺が気にしすぎないようにっていう気遣いなんだろうけど……なんかこう、不意打ち気味に来られるとついついキョドってしまうな……。


「あー、っと。とにかく、さっさと山を降りようか」


 誤魔化しがてら、そう提案する。


「ん、そうだね。流石に、これ以上遅くなるようなら起こそうと思ってたとこだった」


 子供でも駆け回れる程度の山とはいえ、暗くなると危険なことに変わりはない。


 俺たちはレジャーシートを片付け、いそいそと帰り支度を始めるのだった。



   ◆   ◆   ◆



 そうして、住宅街まで戻ってきて。


「今日、最後に行こうと思ってたところがあるんだけど……この後、そこだけいい?」


「あぁ、もちろん」


 今日のテーマは、『思い出の場所周回ツアー』。

 その名前からして、最後に行く場所ってのには見当がついていた。


「それってさ……んお?」


 言葉の途中、ポツリと降ってきた雫で頬が濡れて思わず天を見上げる。


 すると山で見た時は晴れ渡ってた空が、いつの間にか暗雲に覆われていて。


 ──ゴロゴロゴロゴロォ……!


 どこからか雷鳴が轟いてきたかと思えば、たちまち激しい雨が降り始めた。


「うっひゃー!? めっちゃ降ってくるー!?」


「どっか雨宿り出来るところまで、とりあえず走るぞ!」


「了かーい!」


 そんな会話を交わした後、二人でダッシュ。


 同時に、近くに雨宿り出来るような場所はなかったかと頭の中で地図を開く。


 ……いや、待てよ?

 いつ止むかわかんねーし、それならいっそ……。


「よしっ、実家ウチまで行こう!」


「あっ、なるほどね!」


 急に帰ると向こうもバタバタしちゃだろうってことで、今日は帰るつもりはなかったけど……こうなったら、まぁしゃあないだろ。



   ◆   ◆   ◆



 玄関の扉を慌ただしく開け、俺、唯華の順でダッシュのまま実家に転がり込む。


「ふぅ……ただいまー!」


「お邪魔しま……じゃなかった。ただいま帰りましたー!」


 俺に続いて挨拶した後、唯華は「ふふっ」と面映そうにはにかんだ。


 昔は数え切れないくらい遊びに来てた俺ん家だけど、だからこそ「ただいま」するのがまだ慣れないのかもしれない。


「今の声、もしやと思いましたが……」


 なんて思っている間に、家の中からそんな静かな声が聞こえてきて。


「やはり、兄さんと義姉さんでしたか」


 顔を覗かせたのは、俺の二つ下の妹である一葉だ。


 艷やかな長い黒髪に、やや小柄な体躯。

 基本的にあまり表情が動かないのもあって、人形のような可愛さ……なんて、俺が言うのは兄馬鹿が過ぎるか?


「おかえりなさい、お二人共。急なご帰省ですね」


「あぁ、連絡も無しに悪い。ちょうど近くまで来てたタイミングで、雨に降られちゃってさ」


「そのようで……タオル、持ってきますね」


「サンキュ、助かるよ」


 俺の礼に小さく頷いた後、一葉は踵を返す。


「結構濡れちゃったねー」


「だなー……っ!?」


 ようやく一息つけた気分で、何気なく相槌を打ちながら振り返り。


「わ、悪いっ!」


「ん?」


 慌てて視線を逸らした俺に、唯華が疑問の声を上げた。


「あぁ……もしかして、これ?」


 視界の端で、唯華がシャツの胸元を持ち上げるのが見える。


 雨に濡れたことによって完全に透けてしまっており、さっきはモロに見て・・しまった……パステルグリーン。


「ふふっ……秀くんが見たいなら、いくらでも見てくれていいんだけど?」


 なんて、からかってくる唯華。


 うーん……俺を信頼してくれてるからこそなんだろうけど、とはいえ流石にちょっとこれは無防備過ぎないだろうか……?


「……あのな」


 ここは、一度ちゃんと言っておいた方が良いのかもしれない。


「俺だって、男なんだぞ?」


 下の方を見ないよう、唯華の顔だけを見つめながらその手首を両方掴んで肩の高さまで持ち上げる。

 これで、唯華はほとんど身動き出来ないはずだ。


「変な気を起こしたら、どうするつもりだ?」


 それから、出来るだけドスの利いた声を意識して耳元に囁きかけた。


 これで、ちょっとは危機感を持ってくれれば……。


「……んふっ」


 と、思っていたんだけど。


「そんな意気地もないクセにぃ」


「ぐむっ……!」


 流石というか何というか、ニマリと笑う唯華には完全に見抜かれてるな……。


 完全に空回った形になる俺は、恥ずかしくなって前へと向き直る……と。


「うぉっ!?」


 思わず、ビックリして叫んでしまった。


「………………」


 とっくに行ったと思っていた一葉が、なぜか廊下の角から顔を覗かせて俺たちのことをジィィィィィィィィィィィッと凝視していたためである。


「か、一葉……? どうかしたか……?」


「……いえ、別に」


 それだけ言って、今度こそ一葉は奥の方へと消えていった。


 何だったんだ……?


 ……昔は、兄さん兄さんって俺の後をついてきて結構素直に慕ってくれてたと思うんだけど。

 最近の一葉は、何を考えてるのかどうにも読めなくなってしまった。


 特に、俺の結婚が決まってからその傾向が強まった気もするんだけど……考えすぎ、か?



   ◆   ◆   ◆


   ◆   ◆   ◆



「すぅ……はぁ……」


 背中を向けた秀くんに気付かれないよう、小さく深呼吸を繰り返す。


 今のは、危なかったぁ……!

 一葉ちゃんが立ち去るのがもうちょっと遅かったら、このド赤面を見られちゃうところだったよ……!


 それにしても、さっきの秀くんはズルいよね……!

 ただでさえ、こっちは透けブラに気付かず見られちゃった恥ずかしさを誤魔化すのに必死だったのにさ……!


 急に、普段は見せない『男』な部分を出してきて……凄く力強くて……!

 なのに、そっと私の手首を掴む手には優しさも感じられて……!


 それだけでもドキドキしてるっていうのに、低音イケボでの囁きまで……!

 危うく、目を瞑ってキス待ちしそうになっちゃったでしょ……!


 ………………。

 …………。

 ……うん、まぁ、それはともかくとして。


 さっきの一葉ちゃんの視線は、「旦那の実家でイチャついてんじゃねぇよ」ってこと……かなぁ……?


 どうにも私、昔っから一葉ちゃんにあんまり好かれてない気がするんだよねぇ……。


 両家顔合わせで十年ぶりに再会した日は、ほとんど目も合わせてくれなかったし……

 かと思えば、気が付けばなぜかジーッと見られてたりもしたんだけど……あれって、やっぱり睨まれてたのかな?


 うーん……私は、仲良くしたいんだけど……。

 大好きなお兄ちゃんを取られちゃった、とか思ってるのかなぁ……?

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