第81話 もし次があったら

「秀くん、はいお醤油ー」


「サンキュ……」


『あっ……』


 お姉からお醤油を受け取る際に手が当たって、お義兄さんが慌てて手を引っ込める。


「ご、ごめん」


「あ、ははっ。そんな謝るようなことじゃないでしょ?」


 微笑むお姉に、お義兄さんはだいぶ気まずそうな表情だった。

 お姉の微笑みもだいぶぎこちなく、その頬も少し赤い。


『………………』


 そして、二人の間に満ちる沈黙。


 これこれ、こういうのが見たかったのよ!

 完全に事後! 一夜の過ちを犯した二人の朝!


 大丈夫、夫婦だから過ちじゃないよ!


 やっぱ良いなーっ、現実に推しカプがいるっていうのは!

 やらしい雰囲気にし放題!


「えっと……華音ちゃん、どうかした……? さっきからジッとこっち見てるけど……」


「んー? 見てるだけー」


「見て面白いものじゃないでしょ……?」


「んーん? すっごい面白いよ?」


「そ、そう……」


 お義兄さんは、私に対してもちょっと気まずそうだった。

 昨晩の私の意図を測りかねてる、ってところかな?


 意図も何も、全部言った通りなんだけど。


 私、ホントにお義兄さんのこと好きだし。

 勿論、恋愛的な意味で。


 お姉とはいやらしい雰囲気にする。

 そして私ともいやらしいことをしてもらって、ハーレム展開にする。


 二つの目的に、何も矛盾するところはない。


 とはいえ。


「そんじゃ私、そろそろ帰るねー」


 今回は、ここまでかな。


 私は別に、推しをそっと見守るのに徹するワンリーフちゃんの宗派も否定はしない。

 二人だからこその歩く速度、的なのも醍醐味だもんね。


 だから私も、過剰に介入はしない。

 今回は、様子見的な意味合いも大きかったし。


 二人の揺るがない絆についての解釈一致を確認できただけで、目的は達成ってところかな。


「もう帰るの? せっかくだし、もっとゆっくりしていってくれても良いんだよ?」


「ありがとーお義兄さんっ! でもでも、今日はちょっと午後から用事があるのっ!」


「そっか、じゃあ仕方ないね」


 昨日あんなことがあったのに、引き止めてくれるお義兄さんはやっぱり優しいよね。

 けどやっぱり気まずげではあるし、一旦距離を置いた方が良いでしょう。


 お義兄さんへの気持ちだって、最初からすんなり受け入れてもらえるだなんで思ってない。

 だから、私のことを義妹としてしか見てなくたって構わない。


 今はまだ……ねっ?



   ♠   ♠   ♠



 華音ちゃんが帰って、また俺たちは二人きりになり。


「………………」


「………………」


 ……いーや、気まいずな!?


 流石の唯華もこの歳になってあのやらかしは恥ずかしいらしく、バツが悪そうな顔だ。


「……そういえばさー」


 そんな唯華が、何気ない調子で切り出してくる。


「子供の頃にお泊りした時、私よく寝惚けて秀くんの布団に転がり込んでたじゃない?」


「あぁ、そうだったな……」


 目が覚めたらゆーくんが目の前に、ってことが何度もあったのを思い出す。

 あの頃は、だからってドキドキするようなこともなかったけれど。


「昨日、あの頃の癖が久々に出ちゃったのかもね。この旅行中、ホント子供みたいにはしゃいでるから……そのせいで」


「なるほどな……」


 だから他意はないし気にするな、ってことだろう。

 まぁ確かに、あんまり気にしてても仕方ないよな……と、意識してその件について頭から追いやることにする。


 そうなると代わりに浮かんでくるのは、華音ちゃんの件だ。

 これについては、唯華にも共有しておくべきなんだろうか?


 でも、華音ちゃんのプライベートの問題が……。


「あっ、そうそう」


 俺が悶々している一方、唯華はふと何かを思い出した様子。


「昨日、華音が秀くんとこへ夜這いに行ったよね?」


「ごふっ!?」


 出てきたのが今まさに考えていた案件だったんで、思わず咳き込んでしまった。


「ごめんねー、また迷惑掛けちゃって」


「いやうん、迷惑とかは思ってないからいいんだけど……なんで知ってんの……!?」


「だって、なんか私に許可求めてきたから『好きにすれば』って返したし。華音のことだから、あの後ホントに行ったんだろうなーって」


 ──そのお姉から、ちゃんと許可も取ってきてるんだけど?


 昨晩、華音ちゃんはそう言ってたけど……まさか、本当に許可を得てたとは……。


 でも、考えてみれば当たり前のことではある。

 俺たちは『親友』であり、本当の夫婦じゃないんだから。


 唯華にしてみれは、華音ちゃんがそうしたいって言うなら止める筋合いも義理もない……そんな風に、考えると。


 チクリと、少し胸が痛んだ。


「あのさ……華音ちゃんって、俺のこと……その、本当に……?」


 それを誤魔化すのも兼ねて、踏み込んだ質問を投げる。


 ……これ、否定されたらただの自意識過剰だよな。


「本気だよ」


 けれど、短く返してくる唯華の目には確かに真実の色が宿っている。


「華音ちゃんは、なんで俺のことを……?」


「秀くんを好きになるのに、理由なんている?」


「今そういうのいいから」


 本当に、どうして……いつから?


 俺には華音ちゃんにそんな気持ちを抱いてもらう理由もないし、そんなタイミングもなかったと思うんだけど……まさか、一目惚れとでも?


「だったら……それは、私が語るべきことではないかな」


「……そりゃそうだな、ごめん」


 確かめるべきは、唯華じゃなく本人に対してだ。

 結局のところ、華音ちゃんとしっかり向かい合うしかないんだろう。


 なら……それは、次に華音ちゃんに会った時に解決を図るとして。


「でも……唯華は、それで良いのか?」


 唯華には、改めて別のことを尋ねる。


「そりゃ、ちょっと複雑な思いはあるけどねー。妹が誰を好きになろうが、その気持ち自体は否定できないでしょ」


 それはそうなんだろうけど、そこじゃなくて……。


「疑わないのか?」


「何を?」


「例えば昨日の夜、俺が華音ちゃんに……何か、したんじゃないかとか」


「なんで?」


 唯華は、真っ直ぐ俺の目を見つめた。


「だって、秀くんは何もしないでしょ?」


 その揺らがない信頼が、今度は俺の胸に温かく広がっていく。


「それは、勿論そうだけど」


「だよねー?」


 唯華は、クスリと笑った。


「こーんな可愛い奥さんが布団に潜り込んだって、何もしないんだもんねー?」


 次いで冗談めかして、そう言うけれど。


「そっちは、正直……」


 一瞬、迷った末に。


「もし次があったら、少し自信がないかもしれない」


 本音を口に出す。


「えっ……?」


 俺の言葉に、唯華はパチクリと目を瞬かせた。


 目を逸らしたかったけど、どうにか堪えて唯華の目を見つめる。

 今後の俺たちの関係性を揺るがす発言だけに、ジワリと背中に汗が浮かんだ。


 でも、だからこそ言っておくべきだろう。


 いくら『親友』が相手だろうと、あまり無防備を晒し過ぎるべきじゃないと。



   ♥   ♥   ♥



 えっ、待って待って?


 今のって、もしかして……私相手なら『手を出しちゃうぞ』宣言!?

 ガチで夜這いとかいけば、ワンチャンあるかもってこと!?


 ……なーんてね。

 ちゃんとわかってる。


 いくら『親友』が相手でも、男の人にあんまり無防備晒すなよって警告してくれてるんだって。

 私のことを、心配してくれての言葉なんだって。


 でも……これさ。


 以前の秀くんだったら、華音に対してのと同じように「勿論、絶対に何もしないよ」とか言ってた場面なんじゃない?

 実際、今までに似たようなことは何回か言われてるし。


 それが、違う言葉になったのは……もしかして。

 今回の旅行、様々な不幸・・も重なって色々と秀くんに迷惑かけたし恥も晒しちゃったけど……その影響で。


 私のことをより強く女の子として意識してくれるようになった……とか?


 だとすれば、一歩前進?

 トラブルも、悪いことばっかりじゃないのかもねっ。


 なんて、全力で自分のやらかしを棚上げする私だった。



   ♠   ♠   ♠



「でも、結局何もしなかったくせにー?」


「いやまぁ今回はそうなんだけど、可能性の話というか……その……」


 流石に、「次は襲っちゃうかもしれないぞ?」とは言いづらい……が。


「わかってるよ」


 それでも言うべきか迷っていたら、唯華はふわりと微笑んだ。


「私のことを想ってくれての言葉だって」


 どうやら、真意はちゃんと伝わっているらしい。


「ていうか、今回ホントやらかしすぎだよねー私っ! ごめんねー!」


「や、別に謝ってもらうようなことでもないけど……」


「でも、流石にこのレベルのやらかしはそうそうしないってー」


「そう願いたいところだな……」


 あえて冗談めかしてくれているんだろう唯華の気遣いに、俺も合わせる。

 実際問題、昨晩みたいなことはそうそうあるわけじゃないだろう……たぶん。ないと良いですね。


 いずれにせよ、今はあまり深刻になりすぎるのも良くない。


 他ならない唯華が、そう望んでくれているんだから。

 この関係を壊さないことを、選んでくれたんだから。


 そもそも、万一『次』があったとしても俺がちゃんと自制すれば良いだけの話だしな。


 だとすれば……今俺たちがやるべきは、ここでこれ以上話し合うことじゃなくて。


「さってと、それじゃ今日も」


 唯華も、話は終わりとばかりにパンと手を叩く。


「あぁ」


 次の言葉は、予想出来たから。


『全力で、遊ぶぞーっ!』


 唯華と、声を重ねるのだった。

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