第87話 暗闇に包まれて
下着事件のほとぼりも、俺の中でようやく冷め始めた頃。
「よし、こんなもんだろ」
リビングの窓を養生テープで補強し終えて、俺は一つ頷く。
「秀くん、こっち終わったよー」
トイレの方を対処してくれてた唯華も戻ってきた。
「雨、だいぶ強くなってきたねー」
「もうすぐピークに入るって話だもんなー」
雨は徐々に強さを増してきており、窓を打ち付けている。
ビョウビョウという風の音が、閉め切った室内にも届いていた。
「ねっ、台風の日ってさ」
ふと、唯華が俺の横顔を見上げる。
「なんだか、ワクワクするよねっ」
「唯華は、本当に少年の心を忘れないなぁ……」
ニッ、と昔……ゆーくんを彷彿とさせる笑みに、思わず苦笑が漏れた。
「えーっ? 秀くんはワクワクしないのーっ?」
「そりゃ……勿論、するけどなっ」
実際、俺も同じ心境ではある。
ちょっと不謹慎かもしれないけど……非日常感がどんどん強まっていくにつれ、どこか胸が踊っているのだった。
「さて、そんじゃ今のうちに……」
防災グッズの確認でもしとこうか……今まさに、そう続けようとした瞬間。
「っ!?」
「きゃぁっ!?」
世界が、突如暗闇に包まれた。
停電したっぽいけど、流石に面食らった……のはともかくとして。
「やだやだ暗い暗い怖い! 秀くんいる!? 秀くん!? ねぇこれ、秀くんで合ってる!? もしかして別のナニカ!? 何それ恐い!?」
「いるいるいるここにいる! 俺で合ってるから……!」
俺としては、唯華に正面から抱きつかれているというこの状況の方がピンチかもしれない……!
見えない分感覚が研ぎ澄まされているのか、柔らかい感触や甘い香りが……って、余計なこと考えてる場合か!
「ほら唯華、俺はここいるだろ……?」
差し当たりスマホを点けて顔の横に持っていくと、スンッと胸元から鼻の鳴る音。
「……んっ」
俺の顔を確認出来て安心したのか、スマホの頼りない光で僅かに照らされる唯華の顔は落ち着きを取り戻し始めているように見えた。
が、まだまだ不安いっぱいって表情だ。
「懐中電灯、取りに行くから」
「ん……私も、行く」
俺一人で十分だし、ホントは唯華にこの暗闇の中で歩くなんてリスキーなことしてほしくないんだけど……まぁ、今の唯華を暗闇に一人置いていく方が危険か。
「よし、じゃあ行こう」
「ん……」
「……あの、唯華さん?」
「ん……?」
俺に抱きつついたままの唯華に疑問の目を向けると、同じく疑問の視線が返ってきた。
「出来れば、一旦離れていただけますと……」
「ヤダ……」
怖いものが苦手で遭遇すると幼児退行しがちな唯華は、俺の胸に顔を埋めたままイヤイヤと首を横に振った。
こんな時にアレだけど……可愛い。
……じゃなくて。
しゃーない、このまま行くか。
「じゃあこっち、ちょっとずつ摺り足で行くから」
「ん……」
行く先をスマホで照らし、ゆっくり移動する。
幸いにして、防災グッズを置いてあるのはリビングの隅、そこまで距離はない。
唯華が俺の動きにピッタリ合わせてくれるおかげもあって、思ったより歩きづらさもなかった……色んな意味で集中力が削がれる以外は。
「よし、あった……!」
無事に防災袋まで辿り着き、懐中電灯を取り出しスイッチを入れる。
スマホよりはだいぶ頼もしい光に、俺をホールドする唯華の力もようやく少し弱まった。
「あとは……と」
防災袋からもう一つ、水の500mlペットを取り出す。
「……? 喉、乾いたの……?」
「ちょっと、試してみたいことがあって」
ネットで見ただけの知識だから、不安はあるけど……立てた懐中電灯の上に、ラベルを剥がしたペットボトルを載せる……と。
「わっ、すっごい明るい!」
ペットボトルがパッと輝いて周囲を照らし、唯華の声にも普段に近い明るさが戻った。
「水の中で屈折して、光を拡散することが出来るんだってさ」
「へーっ! さっすが秀くん、物知りーっ!」
「たまたま知ってただけだよ」
謙遜でもなんでもなく、紛うことなきたまたまである。
「あっ……ごめんね? 痛かったよね?」
と、ここでついに唯華が離れてくれた。
「全然痛くなんてなかったし、それで唯華の不安が少しでも紛れるならいくらでも抱きついてくれてて構わないさ」
「ふふっ、ありがと」
そうは言いつつも、密かにホッとしている俺ではあった。
「さて……夕飯、どうしような?」
あとなんかまた恥ずかしいことを言ってしまったような気がして、サラッと話題を変える。
実際、次に話すべき議題はこれだろう。
「んー……念のためご飯は早めに炊いといたけど、保温も切れてるしさっさと食べたいねー。あとは、ガスが無事かにもよるけど……」
「点くかの確認はした方がいいと思うけど、この薄暗さの中で火を使うのは避けたいな」
「だねー。それじゃ、缶詰とー……あっ! コロッケ、いっぱい買ってあるんだった!」
「ははっ、十分そうだな」
唯華の備えのおかげで、侘しい夕食にはならずに済みそうだった。
♠ ♠ ♠
というわけで。
「たまには缶詰も良いもんだなー」
「だね、美味しいーっ」
薄暗い中、俺たちはもう食事を楽しむ余裕もあった。
「コロッケも美味い……んっ? これ、実家で食べてたのと同じ味がするような……?」
「今回は、秀くんちが昔から利用してるお肉屋さんで買ってきましたーっ」
「へー? そんなの、よく知ってたな。むしろ俺の方がどこで買ってるのか知らないわ」
「ん゛んっ……! まー、ね? お義母様と、何の話してる時だったかなー? たまったま、そんな話も出たのを思い出してっ。そんな、旦那さんちの仕入れルートまで全部調べ上げて把握してるような重い女なんているわけないもんねっ?」
「それはそうだろうけど……」
「……うん」
……なんか、前にも似たような会話したような気がするな?
というのはともかくとして。
「ところでこれ、なんか間接照明みたいでオシャレかもーっ」
「ふっ、確かに」
唯華も、持ち前のポジティブさを取り戻してきたようだ。
『ごちそうさまでしたっ』
いくつかの缶詰と結構あったコロッケを平らげ、揃って手を合わせる。
「電気、なかなか復旧しないねー」
「だなー」
窓の方を見る唯華につられて俺も目を向けると、外も真っ暗。
どうやら、付近一帯が停電らしい。
分厚い雲に邪魔されて、月明かりの一つも届いては来なかった。
どこを見ても漆黒の中、唯一の光源はペットボトルON懐中電灯。
外から届くのは、轟々という激しい雨風の音のみ。
それはまるで……。
「なんだか……世界に、私たちしかいないみたいだね」
「……だな」
世界に、俺たちだけが取り残されたみたいだ……なんて。
ちょうど同じことを考えていたから、少しだけ返事が遅れた。
そして、きっと……この気持ちだって、同じだろう。
「でも……ね?」
「あぁ」
だから多くは語らず、小さく微笑み合うだけに留める。
もしも……本当に、世界に二人だけ取り残されたとしても。
唯華と二人なら少しも不安はない、ってさ。
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