第113話 となりの“ムカイ”さん:まずは出会い

 最近、恋愛に関する投稿が増えた。


 ただちょっと読み返してみると、それらはそのときどきの記憶をたどっているだけなので、すなわち時系列に述べられているわけではないので、読みにくいのではないかと思った。

 僕という同じ人物とはいえ、社会人になってからと高校時代とでは、当然、成熟度も考え方も環境も、そしてモテ度も違う。もちろん、いまはいまで、それなりのまた異なった恋愛観が存在する。

 であるからして、多少の矛盾を語ってしまう可能性はあるが、そのあたりは成長過程とご理解をいただき、当時を楽しんでもらえればありがたい。


 それでは性懲りもなく、今回は、大学に入りたてのときに経験した男女話をひとつ紹介する。

 過去に2回ほど、この時期(よりは少し後)における“コイバナ”を語らせてもらったが(第48話 偉くなった人から・第57話 同級生の女友達との交流から)、今回は、もう少し生々しい話しをさせてもらう。

 いつもよりちょっと長くなるかもしれないが、もしよければお付き合いいただきたい。


 さて、医学部合格を果たし、僕は大学近くのアパートで一人暮らしをはじめたわけだが、この街には医科大学以外にも医療系専門学校があった。男女問わず、周囲にはけっこう一人暮らしの若者がいて、そのためのアパートやマンションも多かった。


 入学してから間もない日の夕方だった。道を挟んだ隣のアパートとおぼしき場所から、エロい行為におよんだときに発せられる女性の声が聞こえてきた。

 正直なことを打ち明けると、ちょっとびっくりしたが、住宅地ならそんなことがあるのは仕方がない。日をおかずして同様な声が2、3回聞こえた。が・・・・・・、それ以降はなくなった。もしかしたら近隣住民の誰かが注意したのかもしれない。


 半年ほど経ったと思う。詳細は省くが、その例のアパートに住んでいるという女子専門学生と面識をもった。簡単に言うと、僕がバンドを組んだときに、その専門学校生同士で結成されたガールズバンドと知り合い・・・・・・、そして、そのバンドメンバーのひとりと彼女とが友だちだったということだ。

 そのバンドメンバーから、「木痣間サンの目の前のアパートに、ワタシの友人が住んでいるのよ」と教えられたときには、もしやあの時の声の主ではないかと、一瞬疑った。

 が、しかし、彼女は2階、声のしていた1階とは異なっていたから、その疑いはすぐに晴れた。


 隣の娘は、“ムカイ”という名前だった。

 痩せ型でストレートのロングヘア、細い眉毛に切れ長の目、奥二重に黒縁メガネ、全体的に黒ずくめという個性的な雰囲気をもつ女性だった。おとなしいタイプだったし、一見暗い印象に見えたが、それでもよくよく見るとかなりの美人顔だった。


 ガールズバンドのメンバーらは、一人暮らしのその娘のアパートで飲み会なんかを開いていたから、それからというもの、僕はたまに招待され、お酒とかおつまみを持って参加させてもらうことがあった。

「オトナリなのにムカイさん」なんてことを言って、周囲をちょっと笑わせていた。

 それなりに楽しい会だったが、徒歩5歩の僕は、どんなに酔ってもきっちり帰れる距離にあった。まあ、音楽仲間の手前もあるし、邪推を抱くことなく品行方正に振る舞っていた。


 ある日、いつものように大学に行くために家を出ようとしたところ、自宅前に彼女がいた。

「ちょっと木痣間サン、いいかしら・・・・・・」

 なんだろうと思ったが、それほどたいした(と言っても、ありがたいことだったが)要件ではなかった。

「先日、お酒とかおつまみとか準備してもらったから、これお礼に・・・・・・」と言いながら、手提げ袋をひとつ渡してくれた。

「ワタシの実家、岩手なの」、袋の中にはリンゴの品種であるところの“ジョナゴールド”が入っていた。


 もちろん嬉しかったし、何かちょっと期待したところもあった。

 偶然顔を合わせることがたまにあって、そんなときは挨拶くらいの礼儀を交わしていた。

 少し気づいたのだけれど、休日の彼女のスタイルはけっこうキマっていた。もっと言うと、派手だった。口紅なんかは「赤いな」って思うほど赤く、スカートなんかも「ちょっと短いな」って思うほど短かかった。

 当然、彼氏がいてもおかしくないと思っていた。


 ある日、練習に参加していたガールズバンドとの会話のなかで、「ムカイ、何日か休んでない」という情報が漏れ聞こえてきた。

「そういえば、先週末から来てないよね・・・・・・。木痣間サン、何か知ってる?」

「なんで僕が・・・」と思ったけれど、「たぶん電気が付いているから、居る様子はあるよ・・・」と。


 仲間のひとりが電話をかけたところ、彼女はあっさり電話に出た。ただ、案の定、風邪をひいて休んでいるとのことだった。

「もうだいぶ良くはなっているみたいだけれど、木痣間サン、お隣なんだから見舞いに行ってあげてよ」ということをせっつかれ、なかば強引に、そうしなければならない状況に追いやられてしまった。


「こんばんわぁ~、さっき友だちが電話したと思うのですが・・・、大丈夫ですかぁ?」

 考えれば当たり前だけれど、パジャマ姿にすっぴん、けだるそうな表情を浮かべながら彼女は現れた。


「ありがとう、もうだいぶ良くなったから、明日か、明後日くらいには行けると思うわ」とのことだった。

 おおっ、だるそうな女っつーのも悪くない。色白、スレンダー、伏し目といった“不健康女子”としての彼女の特徴が、より際立って見えた。


「ああ、それなら良かった。一応、これお土産です」と、近くのケーキ屋で買ったシュークリームと、自販機で買ったスポーツドリンクとを手渡した。

「じゃあまた、病み上がりでしょうから・・・、無理しないで・・・」

 と、ドアを閉めようとしたところ、「まあ、せっかく来たんだから、あがっていったら、風邪うつしたら悪いけど」


 ソファには毛布が無造作に置かれ、テーブルには飲みかけのお茶と薬が、加湿器が静かに作動し、ミニコンポからはヒーリング音楽が流れ、シンクには汚れたままの食器が残っていた。そして、若干脱ぎ散らかした部屋着や洗濯物など・・・・・・。


「風邪、たいへんだったね。まあ、でも良くなっているなら、よかったんだけど。ゴメンね、気が付かなくて」、なんてことを、申し訳程度に伝えた。

「いえいえ、ご近所サンでもそんなこと気付くわけないよ。ワタシの不注意だし、そもそも看病してもらえるような間柄でもないし」


 まあまあ、それはそうだ。

 たまにお酒やおつまみ、趣味嗜好品、故郷の名産などのやり取りはあったけれど、何回か彼女宅で皆で飲んだ程度の関係――そういえば、借りたCDをまだ返していなかったな――。

 ただ、一回だけ飲み過ぎてしまい、会がハケた後まで眠りこけてしまったことがあって・・・・・・、気が付くと朝方になっていて、慌てて帰ったこともあったような。あのとき彼女は、僕に枕をあてて布団をかけてくれて、目が覚めるまで起きて待っていてくれたような。

 その程度の関係の人間が、はたしてどこまで介入してよいのか、また、すべきなのか。


 彼女はお酒が強かった。というより、お酒が好きだった。太陽の下で二の腕をさらして散歩するより、月明かりの縁側で缶チューハイを飲んでいる姿のほうが似合っていた。

 だから僕は、タカラ缶チューハイをお土産のなかに2缶ほど忍ばせていた。


 改めて二人きりになると、何をどうしていいかわからない。何をしゃべったらいいかもはっきりしない。

 思わず僕は、「半年くらい前かなぁ、近くで、いやらしい声聞こえなかった?」なんてことを、いくら話題が見つからないとはいえ、いくら、ちょっと色気を感じたからといって、ついうっかり問いかけてしまった。

 

 みるみる彼女の顔が青ざめていく様子を、僕は見逃さなかった。



――続きは、また後で――


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