第29話 痛みの診療から:家族間のストレスが原因?

 僕の診療科の性質上、身体の“痛み”を訴えてくる患者がたまにいる。肩や腰や膝など局所的の痛みだったらわかりやすく、それは整形外科的な骨や関節や靱帯の痛みであることが多い。

 そうでなくて、たとえば「身体のあちこちが痛い」、「半身全部が痛い」なんていう訴えの場合には、診断と病状説明に苦慮する。

 痛みの診療の難しいところは、目に見えないので、状態は、自覚している本人にしかわからないという点にある。診察や検査によって、たとえば“帯状疱疹”や“五十肩”なんてことがわかればいいが、何もひっかからなかった場合においては、患者への納得できる説明に大変難渋する。


 30代前半の女性が来院した。痩せ型で、目鼻立ちのはっきりした清楚な感じの人だった。

 眼窩周囲と頬、顎、首筋、二の腕、肩甲骨、心臓、肋骨、腰部など、とにかく上半身のあらゆる箇所が痛いという訴えだった。患者は、痛みの部位別に、眼科、耳鼻科、循環器科、整形外科、脳外科など、あちこちの診療科を受診してきた。そして、最後に「神経かもしれないから行ってみな」と言われて、僕の診療科を訪れた。

なかなか厄介な患者だ。


 視診上、やはり皮膚など、見た目には何もない。じっとしていれば大丈夫だが、触れたり押したりすると痛がる。自分で身体を動かすことは可能だが、人に動かしてもらうと増強する。

 身体所見においては、痛み以外に異常なし、検査もすべて正常だった。

 

 こういう場合は、じっくり話しを聞くしかない。

 まずは過労の有無を尋ねた。確かに仕事は忙しかったが、いまは休職しているのでたいして忙しくないという返答だった。体は休めていると。

 次に、交友関係について質問した。両親と妹との4人暮らしで、患者は未婚だった。異性や友人とのトラブルに値するような人もいなかったので、それ以上の深い質問は不要だった。

 最後に家庭環境について尋ねた。そこで語られたのは、やはり父親との折り合いの悪さだった。多くは述べられないが、30過ぎの娘に対して、余計な干渉が入るのだろう。けっしてなくはない話しである。かなり大きなストレスを強要されていた。


 それにしても“痛み”というのは、本人にしてみればシビアな症状だろう。生憎というか幸いというか――明らかに幸いだが――、僕は、大きな病気や怪我をしたことがない。せいぜい虫歯を経験したくらいだ。

 だから片頭痛や骨折や盲腸や胆石や尿管結石など、ホンマモンの痛みで来院された患者に対する、本当のつらさがわからない。のたうち回っていても、「だいぶ痛がっているな」という程度でしか診られない。


 痛みがわからないからこそ痛みの患者に対して、たとえ痛みの範囲が解剖学的に説明できなくとも、たとえあらゆる検査に異常がなくとも、「本人が痛いというのだから痛いのだろう、それ以上でも、それ以下でもない」というスタンスで診療する。

 だから、このときも「痛みは本人にしかわからない症状で、他人に見えないから余計につらいですね。ただ検査に異常がないということは、命にかかわるような危険な病気はないということは言えます」という説明を、まずした。

 そう言うと、(当たり前だが)必ず、「では、何が原因でしょうか?」という質問がくる。このときもきた。

 本当のところはわからないことが多いので、正直に、「世の中には“線維筋痛症”とか、“複合性局所疼痛症候群”とかいう、原因不明の痛みの病気もありますので・・・・・・」という説明を付け加えることになる。


 患者は、これまで再三にわたって同じ説明を、それぞれの医者の前でしてきたに違いない。痛みの部位、痛みの性状、痛みの進行具合などなど。わかっている医者なら、この症状に重大な病的意義はないということは容易に判断できる。


「前の先生からは、『自分で痛みを作っている』と言われました。その言葉に驚きました。痛みで困っているのに、自分でわざわざ痛みを作りますか!? そんなことあり得ないです。とてもとてもショックでした」

 なるほど、そんなことを言う医者もいるのだな。ただ、好意的に解釈するなら、「それは、いろいろなことを気にしてしまうと、『余計に、自分で症状を重くしてしまうのではないか』という意味だと思います」というニュアンスを説明した。


「でも、先生は、まず痛いということを理解してくれました。それだけでも安心します」


 実は僕には、痛みではないけれど、体中のあちこちが痒くなった経験がある。皮疹のようなものは何もない。

 理由はまったく不明だったけれど――おそらくは何かのアレルギーとしか考えようがないけれど――、とにかく体中、チクチクとした痒みが間欠的に襲ってきた。あのときは、一晩中続いてつらかった。

 当時僕も離婚問題を抱え、「オマエはどうしたいんだ!」ということで父親と喧嘩していた。2人の経験で結論付けるのもどうかと思うが、家族間での食い違いが生ずると、痛みや痒みが出現する場合があり得ることを、医者として心に刻みつけておきたい。


 打ち明けるかどうかずいぶん悩んだけれど、でも最後に、「僕も、相当父親とモメていた時期がありましたよ。まあでも、いざとなれば、家族はありがたいですよ」と伝えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る