第58話 警戒区域に暮らし続ける人から:土地ってそんなに大事なのか?
福島第一原発から20キロメートル圏内、旧“警戒区域”にある診療所に勤めて1年ほどの歳月が流れていった。
受診する患者の多くは地元に根を下ろす人たちで、この場所を“終の棲家”と定めて帰還した住民である。人々の医療ニーズはさまざまであり、期待に応えられるかどうかの模索が続いている。
そんな折、地域包括支援センターの職員から相談があった。ご近所さんとの社会生活を営めない人がいると。
「自宅の敷地外なのに、『わが家の土地だ』と言い張るんです。公共のスペースにも関わらず、自分の所有している土地だと主張して譲らないのです。ご近所さんとの齟齬が絶えません。市役所と法務局で確認しましたが、明らかに本人の勘違いです。どうしようもないので、精神的に異常がないか診察していただけますか」
なるほど、それは問題である。普通に考えれば、精神疾患、あるいは認知症があるかもしれない。
「その人というのは地元の人ですか・・・、お独り暮らしですか・・・、もともと何か病気をお持ちですか?」など、情報を得るための質問を重ねた。
職員はわかっている範囲で、「はい、地元出身の人で独り暮らしです。お子さんが遠方にいますが、奥さんはいません。もともとは農家さんで、所有地は広かったらしいです」
どんなトラブルが発生しているかというと、「公共の場所にも関わらず、竹柵を作って『中に入ってくるな』と脅迫してくるのです。その中にゴミ収集場があるから、周りも困っています」
つまり、自分の土地と、他人の土地との境界線がわからなくなってきているということだ。
それ以外は? 「自宅近くにデイケア施設ができたのですが、利用者さんが増えています。それが気に入らないみたいで、『うるさい』とクレームをつけてくるのです。皆の大切な場所なのに・・・」
まあまあ、それは確かに大変だ。
はたして、その人の心理はどういうところにあるのか。
一連のやり取りを、そばで聞いていた地元出身のベテラン看護師さんがつぶやいた。
「その方、きっと地元愛が強いのね・・・」
ん、どういう意味だろう。
「自分は、震災後もずっとこの地に住み続けてがんばってきた。周囲には誰もいない。このあたりの除染も、彼が1人でやったのだと思う。それをいまさらノコノコやってきて、『ここはあなたの場所じゃない』って騒がれても、簡単には納得できないのじゃないかしら」
なるほど、わからなくもない。言葉に語弊はあるかもしれないけれど、縄張りのなかに勝手に入ってきて、山中を荒らした人間に対する“熊”の気持ちなのだ。
包括の職員に対して、「ご本人さんに、病院にいらしていただける意思があればいいのですが、きっとないと思いますので、こちらから往診しましょうか」と提案した。
「はい、助かります。一応ご家族に連絡を取ってみて、また対策を考えます」ということで、この日の打ち合わせは終了した。
いくつかの障壁を乗り越えつつも、なんとか娘が説得してくれた。付き添われて来院してくれたのだ。乱暴な人かと思いきや、診察室のなかにおける彼の態度は普通だった。
前置きをいろいろしつつも、さりげなく、「○○さん、小耳に挟んだのですが、公共の場所を自分の土地だと言い張って、近所の人とモメたらしいですね」と切り込んでみた。
「いやぁ先生、申し訳ない。震災後、簡単に土地を捨てていった人がいたけれど、オレはずっとこの警戒区域で暮らしてきた。ここで生活したいという人がいるってことです。だから、もう一度ここで暮らせるよう除染の手伝いもしたし、畑を耕したり、植木を植えたりもした。大変で、孤独な作業でしたよ。それを住めるようになったからといって、後からこそこそやってきて、オレの目の前の土地を勝手に整備しはじめるんだ。そんなの黙って見てられるかい・・・・・・」
トランクひとつの所持品で各地を転々と移動し、実家にすらなかなか帰らなかった自分には、到底すぐには理解できなかった。土地ってそんなに大事なのか。故郷ってそんなに捨てられないものなのか。
かといって、他人の土地をどうこうできるものではない。行き過ぎている感は否めないが、実際のところ精神疾患でも認知症でもなんでもなく、地元を愛するちょっと偏屈なおっさんというだけのことだ。ベテラン看護師さんの言うとおりだったのだ。
「近所に迷惑をかけているのはわかっている。協力が必要だってことも。でも、この失われた土地を取り戻す意識がみんなには足りないんだよ。金に目がくらんで、売ったり誘致しようとしたりするんだ。土地を愛するってそういうことじゃない、根っこが大事なんだよ」
彼の持論は続いた。
自分の土地だと言い張る場所には、楽しんできた栗の木があった。今年も抱負に実を結び、それをたらふく拾ったそうだ。その木が、高速道路の拡張とソーラパネル建設とのために、いま伐採されようとしている。彼からしてみれば、迷惑で勝手な行動だ。
誰よりも地元を愛して闘っている。昔ながらの場所を保つために。
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