第64話 夢のない学生生活から:下方修正スキルを養え
形だけ大人になった僕にとっての幼いころの夢は、いったい何だっただろうか?
野球の選手でも宇宙飛行士でもない。もちろん医者でもなかった。古い記憶をたどってみると、小学校の卒業文集に“建築家”と書いた記憶がある。きっと図工が好きだったから、その場で思い付いた職種を書いたのだろう。
誰にでもあった幼いころの夢・・・、あるのが当たり前とされた正しい夢・・・、でも僕にはなかった。
何をやっても平均程度という自分の能力に早々と気付いてしまったからだ。どんなにがんばってもそろばん1級の壁を越えられなかったし、ピアノはバイエル止まり、柔道は白帯から脱出できず、習字なんてものはすぐ辞めた。勉強に運動、図工に音楽、どれをとっても特に秀でたものはなかった。
こんなことを言うと、優しい人は、「何をナルシストぶっているのだ、才能はいつ開花するかわからないし、まだ得意なものに出会えてなかっただけじゃないか」と慰めてくれるだろうけど、思春期の僕自身は、自分のことを、「暗くてつまらないヤツ」としか認識できなかった。きっとそれが、周りから見た己の印象だと思っていた。
高校時代、少しだけ背伸びをしたくなった僕らは、都内で遊ぶついでにオールナイトの映画を観た。ネカフェなどない時代だったから(漫喫くらいはあったかな)、高校生が都会で一泊するには、この方法しか思いつかなかった。
上映していた映画は、『うる星やつら2:ビューティフル・ドリーマー』と『すかんぴんウォーク』だった。これらの詳しい内容を記してもあまり意味がないので、それは避けるが、どちらも若者の夢をテーマにした映画だった。
前者の『うる星やつら2』は、ラムの夢であるところの、仲間たちと永遠に続く幸せな暮らしへの願望を描いていた(押井守監督)。後者は吉川晃司のデビュー作であり、挫折しながらも歌手という夢をつかんでいく姿を追っていた(大森一樹監督)。
夜の新宿の映画館において、僕は、一晩をかけてこの映画を2回ずつ観た。変な興奮と緊張とのなかで、どういうわけだか熱中して観た。そのせいか、自身の記憶の奥底に強烈にインプットされた。そして、生涯にわたるトラウマを残した。
2本の映画には、「現実に立ち返ることも大切だ」という暗示や、「苦難を乗り越えた先に成功が待っている」というアピールもあったと思うのだが、夢を持つことが前提で、それがなくては何もはじまらないという描き方に対して、これらを面白かったと評する前に、自分はなんて無気力な人間なのかと思った。
今日は昨日の繰り返しで、明日も今日の繰り返しとしか思っていなかった高校生の僕にとって、この映画の意味するメッセージに軽いショックを覚えた。
クラブにも属さず、目指すべき大学が定まらないどころか、学部も決められない。それどころか理系か文系かの選択もできない。以前にも書いたが、学業成績の急落に対してなすすべもなく惰性で時を過ごし、映画を観たり音楽を聴いたりゲームをしたりして、友だちとダベるだけの毎日、目標も夢も希望も何もない。
それが僕の高校生活の実態だった。
そんな経験があるから、物事に対して、僕は平気で下方修正できるようになった。
医者になって、業績を積んで、後輩を指導する役割を担って、管理的な地位に就いて、夢だとか希望だとかを負う立場に立たされたこともあった。でも、基本的なスタンスとして、大きな期待はしない、野心を抱いても、どこかで「自分の能力を考えろ」というブレーキが働く。「無理」と思ったときの撤退も早くなった。
世の中には、何がなんでもやり遂げるという考えが大切なこともある。諦めない粘り強さが重要になることもある。
夢や希望を抱き続けることが、困難をはね除ける成功法であろうことを十分理解したうえで、でもやはり言わせていただくと、どうしたって、速やかに下方修正できるスキルが必要な場合もある。諦めた先にしか見えてこないものもあるのではないか。
そうやって僕は、あっさり大学でのアカデミックポジションを捨てた。プロフェッショナルキャリアにしがみつく姿勢を潔しとしなかった。結果、無理せず楽しいことだけを選択し、この地でさまざまな社会活動を展開できている。ここで新しい仲間と出会い、多くの支援者が帰省するなかで相当しつこく事業を継続できている。
二十歳にも満たない学生に“将来の夢”なんて尋ねるもんじゃない。僕のような学生がいたとしたら、ソイツは苦笑いを噛みしめながら、複雑そうな表情を浮かべながら、とってつけたような空虚な夢を、しどろもどろな口調で答えるだけだ。それがかえって本人を苦しめていることに、大人たちは気付いていない。
「目標や夢が大切だ!」は、自己啓発や成功哲学を語るうえでの常套句だ。それもひとつの真実だとは思う。
だけど、「夢や希望を持たずに過ごした先に見つけられるものもあるかもしれない・・・。逃げた先に行き着く場所もあるかもしれない・・・」というようなことを、頭の片隅に入れておいてもいいのではないか。
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