第65話 病気を乗り越えた先における高校生の恋愛観から:ふたつの責任

 大学病院に勤務したことのある医師なら誰でもそうだったと思うのだが、自分の扱っていた専門領域の疾患がある。僕にとってのそれは、免疫の介在する神経疾患だった。急性に発症するタイプと慢性に経過するタイプがあるが、要は手足が麻痺していく疾患だ。

 いまさらこんなことを言うのは面映ゆいが、珍しい病気だったから、僕のもとには、県内はもちろん県外からも診察に来る患者がいた。

 東京から来たその娘は、18歳の高校生だった。


「指先がしびれるし、少しずつ力も入りにくくなってきた」というのが主な訴えで、「自分で調べて、先生に診てもらいたいと思って来ました」と続いた。

 こういうとき医者というのは、悪い気はしないのだが、間違いなくプレッシャーを感じる。患者に対して、少なくとも期待に応えたいという気持ちが働く一方で、何かあったら責任を取らされるのではないかと構えてしまう。


 小学からはじめたバレー部に属し、明るく快活な娘だったが、思い詰めた表情から感じ取れるオーラは、「・・・専門なら何とかしてくれるんでしょうね・・・・・・」という無言の圧力だった。


 はたして診断は、僕の専門としている疾患に的中した。そういう意味では、その娘は勘が鋭く、まあ言ってみれば運が良かった。ただ、本疾患の治療は長期におよぶステロイドという、女子にとって天敵とも言える薬を使用せざるを得ない――顔が丸くなるという副作用がある。

 これらすべてを説明したうえで、治療法を選択させた。「先生にお任せしますけれど、責任をもって治してください!」というシンプルだが当たり前の返事だった。


 医者の世界の常識として、「必ず治す」なんて言葉はドラマの中でさえ言わなくなったと思うのだが、この娘に対してだけはちょっと違った。高校生といえば、まだまだナイーブな年頃だ。


 長続きはしないが、即効性の期待できる免疫グロブリンという血液製剤を点滴して、それに反応すれば免疫の介在した病態という根拠を得られる。そのうえで、ステロイド薬を長期的に使用することで体質を改善させる、というスタンダードな治療を選択した。


 治療には入院を要し、来る日も来る日も彼女のトークに付き合わされることになった。話せば話すほど、聞けば聞くほど、彼女の人となりは、僕の高校時代とは対照的だった。

 すでに引退しているが、女子バレー部のキャプテンとして県大会での上位を目指していた。国立大学への進学を志望している。その他、クラスの副委員長を務めていて、ピアノも弾けるという、学年に1人はいる、絵に描いたようなスーパーマドンナ女子だった。


 高校生にとって入院というのは一大事であり、病院や医療、医師や看護師、そうしたものへの関心は計り知れなかった。質問の多くは、「ねーねー、お医者サンって・・・・・・」という前置きだった。

「お医者サンって、どうやったらなれるの?」、「お医者サンだから、そんなこと考えているの?」、「お医者サンって、けっこう冷たいのね」とかだった。


 彼女の治療は思ったよりも手こずった。ステロイド薬では軽快を維持できず、免疫抑制薬といわれる薬剤を使用せざるを得なくなった。入院生活が長くなれば嫌気もさしてくるだろうが、彼女はどうにか自分を保とうとがんばっていた。なるべく病気に触れない他愛のない会話が増え、僕は僕で、あまり思い詰めないよう冗談で返すことも多くなった。

「彼氏はいない」と言っていたが、そこはいまどきのJK、恋愛には興味があるようだった。ある日、「先生はどういう人が好みで、彼女はどんな人?」という質問を受けた。こういう境遇だからこそ逆に、素の部分の感情が芽生えてくるのだ。

「まあそうね、特定の彼女はいないけれど、ケバい女が好きかな。サバサバして、それでいて口の堅い人」なんていう都合のいい女性像を語った。

 病気に関しては、もちろん医者の立場で答えていたが、こういった一般的な質問は、ひとりの大人の男としての考えにならざるを得ない。


 彼女が僕に対してどんな感情を抱いていたかは知るよしもないが、医者としてよりも、ひとりの男としての意見を求められるようになってきた気がした。

「無事に退院できて病気が治ったらもっと好きなことをして、恋もしたいなぁ」なんてことを言うようになった。それは、しごく当然のことだと思ったし、そういう根源的な、生命力のようなものを抱いた人間の強さというものをしばしば経験するので、僕は治せることを確信した。

「元気になれば、彼氏なんかすぐできるよ」という返答は、単なる慰めではなかった。


 やがて彼女は、それなりの安定を得ることができて、退院の目処が立った。根気の治療を最後まで受けきった。


 退院前日、「長い間お世話になりました。先生はちょっと変わっているから参考にならないけれど、だいぶ男のことがわかりました」という言葉とともに、「サバサバしているけど口の堅い派手な女を目指します」という感謝を伝えてくれた。

 そういう意味では、ふたつの責任を取らされるのかと思った・・・・・・。


「人を好きになることなんて容易いことだ。恋人なんてすぐできる。でも、“別れ”はそうはいかない。だからもしそういうことになったら、入院のツラさを思い出して粘り強く対処してくれ」と言ってあげたかったけれど、さすがにそれは言えなかった。

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