第117話 夢や希望を置き忘れた自分に対して

 “夢と希望”に溢れた時期というものが、どんな人間にも一度や二度くらいはあったはずだ。

 もちろん僕にもあった。月並みではあるが、やっとの思いでなんとか医学部に合格し、そして、埼玉の田舎を離れて一人暮らしをはじめたときだった。このときは、暗い浪人生活から解放された喜びもあったから、余計にそう感じたのかもしれない。

 期待と不安とに胸を躍らせた18歳の春だった。


 4万円の安アパートに最低限の家具を搬入し、当時流行だったミニコンポを据え置き、CDを何枚か買い足せば、そこは僕にとっての城だった。

 自分ではじめてご飯を炊いたときのレトルトカレーは、何の変哲もなかったけれど、ものすごく美味しいと感じたし、卵と“チャーハンの素”を買ってきて即席のモノを作ったときには感動すら覚えた。

 掃除なんてものはほとんどせずに万年床だったし、シャワーばかりで浴槽には浸からなかったし、夜のとばりが下りるころには何とも言えない寂しさを覚えたけれど、そういうのも、すべてへっちゃらだった。


 “10代の夢”、”Teenage dream”という言葉に、強い憧れを抱いていた。それはすなわち若さの特権みたいなもので、未だ見ぬキラキラした輝かしい将来が待っていると思えばこそであった。


 友だちを作るのが下手だった僕は、しばらくは学校と家との往復で――と言っても歩いて15分くらいの距離だが――、行くところと言えばコンビニと書店と酒屋と弁当屋くらいだった。実際、それくらいしかなかったし、それでも十分ことは足りた。


 そんななかで医学部の授業がはじまった。最初は数学や物理、化学や生物といった高校の延長のような科目ばかりだった。心理学や社会福祉学、生理学や生化学というような教科が入り込むようになったあたりから、「医学部の授業だなぁ」と思った記憶がある。


 朝起きて学校に行き、ご飯を食べて寝るという生活様式はこれまでと同じだったが、周囲の環境はもちろん、教員も学生も、何から何まですっかり変わったわけだから、それなりに新鮮な日々だった。

 さらに僕にとってひとつ変化したことは、高校時代の唯一の趣味だったと言ってもいい音楽をはじめたことだった。“軽音学部”という部に属し、一から楽器の習得を試みた。


 学生から一人暮らしをはじめることにおいてもっとも肝に銘じなければならないのは、当たり前を言うようだが、仕送りによってすべてを賄わなければならないことだった。

 物件、設備、費用、陽当たり、周辺状況など、いろいろな課題を加味して、生活の拠点を定める。家賃を支払い、光熱費と食費とを差し引けば、趣味や遊びにはこれくらいしか使えないという算段が容易に働くのだが、ことはそう単純ではなかった。ついつい出費の方がオーバーしてしまい、ローン会社でお金を借りてそれを返済に充てるという自転車操業にすぐに陥った――当時はバブル景気の名残で、学生にお金を貸す会社も多く存在していた。


 ある日、大学の学生課から呼び出されたので慌てて行ってみると、僕の住むアパートの下の住民から電話とのことだった。それは、「お宅の家からアラーム音が聞こえるからすぐに確かめて欲しい」というものだった。授業中だったにもかかわらず駆けつけると、目覚まし時計が鳴り続けていただけだった。

 一人暮らしあるあるだが、部屋の鍵を無くしてしまって一晩ベランダで寝たこともあったし、風邪をひいたときに高熱がこんなにしんどいとは思わなかった。自炊や家事のスキルが身につくというメリットはあるものの、独りでの生活の不自由さというものを実感することも多かった。


 学年が進むにつれて、夢や希望を語っていられる状態ではなくなった。講義に、実習に、定期テストに追われる毎日となった。医学部はすべての科目が必修であって、ひとつの単位も落とすわけにはいかなかった。


 何が言いたいかというと、夢や希望を抱こうが、生活のすべてが上書きされていく毎日は、まさに現実との折り合いだったということである。もっと言えば、習慣化するための柔軟な取り組みと、新たな学びのための地道な備えだった。

 中学・高校から保ち続けた初恋の人を想い出し、いつの日か再会できるだろうかなんて思っていた感傷は、翌日からきれいさっぱり消えてしまった。


 もちろんそれは夢や希望を否定しているわけではない。

 “松本零士”先生が北九州から上京する際に夜行列車に飛び乗ったときの心情が――すなわち、未来への希望や不安、残していく両親への想い、それでも叶えたい夢、試したい自分の力が――後の『銀河鉄道999』の草案となったというのは有名な話しだ。


 “SION”の曲に触れたのも、僕が10代のこの頃だった。

「家賃と飯代を稼ぎ出さなきゃ、なにしろ歌どころじゃない、生きることからやり直しさ」、「そんな繰り返しの毎日がやたら俺を弱気にさせた、立っているだけでやっとの街でいったい何が掴めるんだい」と歌っていた彼は、その後も心を震わすような曲を創り続けている。


 かつての僕の夢は、いったい何だったであろうか・・・・・・?

「多くの患者を救いたい」だっただろうか? 「医学の発展に寄与したい」だっただろうか? いや、そんなことを思ったことはない。

 学生のときの希望は、とにかく無事に医師国家試験に合格して医者になることに、早々に切り替わったし、医者になってからも、とにかく無事に患者の診療を終わらせるということだったように思う。研究の目的は学位を取得するためだったし、教育や育成に携わるのは大学としての責務だった。


 確かに大学病院勤務を果たすなかで、救えた患者はいたかもしれない。15年におよぶ研究生活によって、多少の学問の進歩に貢献できたかもしれない。育てた後輩もいることはいる。でもそれって、医学部に入った時点での既定路線だったのではないか。

 医者として当たり前のことを当たり前にこなすことが、僕にとっての希望だった・・・・・・(のだろうか・・・・・・?)。もしかしたら僕は、医学部に進んだ時点で、夢や希望を置き忘れてしまったのかもしれない。


 いまの自分においても、夢はいったいなんだろう?


 結局のところそれを探し続けることが希望へとつながっているのかもしれない。

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