第116話 医療界を退く人たち

 せっかく医学部に入学しても途中で退学する学生・・・・・・、それから、苦労して臨床医になったにも関わらず辞めてしまう医者・・・・・・、そういう人を何人も見てきた。

 転職自体は他の業界に比べて少ないと思うが、でも、せっかく勉強して、安くない教育費をかけて、かなりの自己投資をしたにも関わらず、この業界から姿を消す人間が、毎年一定程度いる。

 はたして、理由はどういうところにあるのだろうか?

 以前にも似たようなテーマで、そうならないための工夫を述べたが(第50話 仕事の続け方から)、こういう問題は繰り返し問い続けることが、仕事を続けるうえでも大切である。医者のはしくれとして、くどいようだが、もう一度角度を変えて考察してみたい。


 医学部を退学する理由としてもっとも多いのは、勉強に付いていけなかったということである。留年を繰り返す学生は、「医者になる資格なし」と判断され、籍を剥奪される。

 僕の在学していた大学が三流私大ということもあって、そういう学生は、ままいた。

 傾向的にみると勉強しないことへの焦りが乏しい。高校まではこなせていたであろうが、医学部の勉強は、それほど甘いものではない。だからそれに気付き、「いままでの勉強の仕方ではヤベぇ」と思うのだけれど、これまでのやり方が通じると思っている――要は、一夜漬け――。

 結果的に試験に通らず留年を繰り返す。普通はそこで、あらゆる手段を、ときに不正を犯してでも講じようとするのだが、その気概が少ない――要は、ボンボン――。

 せめて周囲との連携を図って、試験情報を得るなどして乗り切ろうとするのだが、プライドなのか面倒くさいのかそれもしない――要は、コミュ力不足――。


 それから次に多いのが、適性を見誤ったというものである。

 イメージできると思うが、親が医者だから、成績が優秀だからという理由で医学部に入った学生に多いかもしれない。医学を勉強するうちに、「これは違うな」ということを考え、方向転換する場合である。

 こういうのは、前向きな修正だと思う。高校生のときに焦って決めた自分の適性の誤りに気付き、他にやりたくなった道に進んだとしたら、医学部への回り道は無駄にはならない。なぜなら、「医学部を蹴ってしまった」という、言ってみればプラスの重荷を背負うことになるからだ。その後の行動に背水の陣を敷くことができる――逆に、何も考えないと素直に受け入れてしまう(場合もある)――。


 が、しかし、妙な正義感と行き過ぎた責任感と勝手な使命感で医学を志した人も、いい意味において自分の妥協点というものを考えた方がいい。

 強い熱意で医大に入ったはいいが、“不都合な真実”に気付いてしまう。医学部においても、いや医学部だからこそかもしれないが、仲間との協力は大切である。ノートや資料の貸し借りは当たり前で、出席の代返・代筆、試験問題における情報交換、はたまたカンニングなどなど・・・・・・。

 僕の周囲にいたその学生は、そういう行為が許せなかった。医療に不正など言語道断、医学部にあるまじき事象で、こういうことのまかり通る大学に愛想が尽きた。ということで、自主退学した――大学が悪いわけではない、ましてや辞める必要があるのか――。


 国家試験に合格し、医師免許を取得し、何年か実臨床をこなしたうえで医者を辞めるという人は、他にやりたいことがあるという理由が多く、ある意味マルチな人間である。

 これまでの経験を活かして製薬メーカーや医療機器メーカーの技術員として働いたり、医療系の研究者になったりする場合が多いが、政治家や作家、コメンテーターやタレントなんかに転向する人も少なくない――医者を続けている僕は、所詮作家になる気はないのかもしれない――。


 最後に、そんななかでもっとも残念なのは、医療事故によってキャリアを絶たれるという場合だ。誤診による見落としが事故の引き金というケースもないとは言えないが、そうではなくて、巻き込まれたが故に自責の念に駆られて、心が折れて辞めてしまう人もいる。こういうのは、看護職の方が多いかもしれない。

 医療事故に関しては、不測の事態やシステムエラーが大きいので、本人の意思とは無縁である場合が多い。一定の解決を図るために無理やり責任を押し付けられることがままあり、そのターゲットにされた人物は気の毒だ――知り合いの心臓外科医が辞めた。不慮の医療事故で患者を死なせたためだ。単純な事件ではないので、ここで詳述するわけにはいかないが、タフだと思っていた外科医にもそういうことはある――。


 目的をもって辞めた場合はいいだろうが、やむを得ず辞めた場合におけるその後の転帰は微妙である。「医者はツブシが利かない」というのは、業界内ではよく言われていることだ。

 これまで積み上げてきたキャリアやプライドが、それ以外の職に就くことを潔しとしない。そんな人間が会社や企業に入ったとしても、使いにくくて仕方がない――数年間医療から遠ざかったとしても、その間に何も掴めなければ、結局また現場に戻るしかない――。


 30代で一生分のお金を稼いで引退し、その後は悠々自適に暮らすなんていうノマド的な考えをもつ若者が増えている。経済的に自立し、早期退職を目指す“FIRE:Finacial Independence Retire Early”という生き方だ。

 当たり前だが、国民皆保険を達成しているこの医療制度において、莫大な所得をたたき出すという、そういうシステムに日本はなっていない――あるとすれば、脱税しかない――。


 ということで、とどのつまり僕がどういう感覚をもって医者を辞めないかというと、大きな幻想を抱いていない感、稼げないから感、他に何もできない感、現場が忙しくて辞められない感があるからである。

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