第7話 看護師さんから:「私の知らない誰かと一緒になって」
看護師さんたちとの一期一会を語ろうとしたときに、さまざまな記憶が蘇る。なんやかんや言っても、もっとも身近にいる異性が看護師さんだからである。どうしたって意識せざるを得ない。もちろん仕事のパートナーであるからして最低限の理性は働くが、そういうのを超えて恋愛感情に発展することだってある。良し悪しは別にしても、それが男女の自然な姿というものだ。
医療界に限ったことではないだろうけれど、でもとりわけ、病院という密閉性を考えると濃密な人間関係が築かれやすいのではないか。
僕だって若い頃は、イッチョマエに女性と付き合ったことはある。
医者になって3年目だった。僕がメインで働いている病棟に配属された新人看護師さんがいた(毎年2人くらいずつ配属される)。看護学校は通常3~4年生制なので、21、22歳で晴れて看護師になる。
その子は22歳だった。かわいらしい感じではあったが、何というか、少しぼんやりしたおとなしい子だった。僕に、もし妹がいたら、きっとこんな感じなのだろうな。
当時の僕は医者としてこれからという時期だったので、優先的に重症患者が割り当てられていた。常に病棟に張り付いているしかなく、当然、スタッフとのコミュニケーションの機会も多かった。相手からどう思われていたかわからないが――もしかしたら生意気で鼻持ちならないヤツと思われていたかもしれない――、気力も体力も底なしで存在していたし、仕事に没頭できる幸せな期間だった。後にも先にも、「医者はオレの天職だ」と思った時期は、このときをおいて他にはない。まあ、若手の頃はそんなものだろう。
何かのイベントの二次会だったと記憶している。新人看護師さんに対して、1年のお礼として花束を贈るセレモニーがあった。僕は、少しだけ先を行く先輩として、その子に花束を渡す役割を与えられた。
普通に渡しても面白くないので――と言ってもさして特別な渡し方ではないけれど――、背後に忍び寄って、サプライズ的に、後ろから突然目の前に差し出したのだ。
少し驚いた様子で、にこやかに「ありがとうございます」と言ってくれた。会は普通に流れるなかで、彼女とは2、3回「仕事は慣れた」的な他愛もない会話を交わした。
“お開き”が宣言され、僕はもう一度だけ彼女に声をかけて帰ろうとした。
「1年間お疲れさま、また明日からよろしく」
お礼の返事とともに告げられた言葉があった。
「はい、花束ありがとうございました。びっくりしたけれど嬉しかったです。今度また二人で飲みに連れて行ってください」
少し酔っていたけれど、はっきりとそう聞こえた。社交辞令なのか・・・・・・、違うのか・・・・・・、一瞬の間の後、僕は素早く反応した。
「いまから行く?」
時間は10時ちょっと過ぎ、夜中まで仕事をしている自分にしてみればたいして遅い時間ではない。軽くもう一杯ひっかけるくらいの余裕はあった。
「はい、お願いします」
こういう瞬間って嬉しいよね。人生のなかでもそう滅多にあるものではない。2、3回あれば、それは結構充実した有意義な人生だったと言ってもいいのではないか。
いまでは想像できないだろうし、けっして大きな声で言えないけれど、当時は、ほんの少しの飲酒運転なんてものは日常的だった。うまく他の参加者をまき、ふたりで駐車場に向かったことを覚えている。
それから月に1回くらいの割合で会って、飲んで、遊んだ。声がけは、病棟で二人きりになるチャンスを作って、「今度はいついつね」というように約束していた。携帶電話も普及してきた頃だから、そういうたぐいの連絡法もあったのだけれど、あえてそういうものには頼らない秘めやかさがよかった。
でも、はじめからわかっていた。この恋愛ごっこには終わりがあるということを。取り立てて説明することではないけれど、彼女には彼氏がいたからだ。タイムリミットは、彼女がその人との結婚を決意するまでだった。濃密な時間を過ごせたのは、そういう理由があったからだ。
だから公にはしなかったし、できなかった。いつも会うのは夜だったけれど、一度だけ、まる2日間をかけて横浜へドライブに行った。昼間から恋人同士のようにあちこちの店に行き、腕を組んで歩いた。ランドマークタワーがまだ新しい頃の時代だったので、そこで一泊した。
3、4年は付き合っていただろうか。そもそもそれほど頻繁に会えたわけではないから、期間の割にはそれほど多くのイベント的な思い出はない。
僕の後輩の結婚式があり、そこには彼女も招待された。きれいな格好をして、ふたりで結婚式場に行ったけれど、それはまあこう言ってはなんだが、どこにでもあるような結婚式だったから、僕のなかではさして記憶に残るものではなかった。
でも、彼女の見方は違ったのかもしれない。
帰りがけに、「そろそろ私も結婚しようかなぁ」
その日が彼女と会う最後の夜になった。とってつけたように、「いままでありがとう、私の独身時代のほとんどの時間にあなたがいたよ・・・・・・」
耳に入らず忘れてしまったのだけれど、でも最後の最後の言葉は覚えている。
「あなたは、私の知らない誰かと一緒になって」
そう言い残した彼女のくすり指には、すでにリングがはめられていた。
切り替えの早い僕だけれど、ときどき考える。人は思い出だけあれば生きていけるだろうか。記憶を拠り所にいつまで生きられるだろうかと。
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