第6話 大学病院の研究室から:「患者に福音をもたらす」が口癖だった恩師の顛末、そして自分の岐路
前回の投稿において、「大学病院で研究に携わっていた頃、科学研究費の不正使用に関わった一人としてペナルティを受けた」というようなことを述べた。
このあたりは誤解を与えるといけないので、いくら軽いフィクションを交えた私小説といっても、もう少し詳しく説明しておいた方がいいだろう。
大学病院に勤務している医師というのは、診療もさることながら、研究に携わることをほぼ義務付けられている。いや、言い方が悪かった。研究に関心のある人間が大学病院に勤務しているということである。
「オレは腕一本で患者を治すことだけに集中したい」という医師は、診療だけをメインとする市中病院で働いていることが多い――もちろん、研究における優秀な医師は、そればかりに時間を割いているから臨床能力が劣る、ということではけっしてないが。
いずれにせよ僕も例外ではなく、2年間の研修医期間を経た時点で大学院に進学した。母校の大学病院に残り、研究を両立させることが、当時の自分からみればもっともコースを踏み外さない医師としてのキャリア形成だと思ったからである。そして、研究テーマを選ぶ際、「どうせやるなら花形研究を」と、その領域で先端をいく研究室の門を叩いたのだ。免疫の介在する神経疾患の解明を目指す基礎研究室に弟子入りした。
しかし、それは大きな誤算だった。優秀なラボだけに、当たり前かもしれないが、想像を絶するほどの厳しさだった。そこで僕の生活は一変した。1年のうちで360日は研究室にこもり、実験と文献の読み込みと論文執筆とに明け暮れることになった。
指導教官からは、「こうした努力と結果とが、医学の発展、ひいては患者に福音をもたらす」ということを日常的に聞かされたが、はっきり言って、指導を受ける側からみれば、そういうきれい事にはまったく共感は生まれなかった。
実験器具を握る手は震え、一定の姿勢に肩がこわばり、目を通さなければならない文献の山は高く築かれ、書き直し論文による屍の道が敷かれ、寝不足とストレスとの毎日が繰り返された。
正直を言うと、このときの私の目的はただひとつ、論文を早く仕上げること。さらに言うなら、無事に学位を取得することだった。病気の解明とその先にある患者への福音は、結果として付いてくればそれに越したことはないという程度でしか、当時としては考える余裕はなかった。
妥協を許されず、診療の傍らに行う研究と論文執筆との日々は夜中まで続き、社会とも隔絶した生活を強いられ続けた。プライベートを含めたいっさいを切り捨てた、そんな生活が日常化した。いま思えば、すべての時間を医療と医学とに捧げられた幸せな時間だったかもしれない。
あっと言う間に10年ほどの歳月が流れていった。その間救えた患者も少なからずいたであろうし、医学の発展にも多少は寄与できたかもしれない。年代を重ねるごとに業績も増え、医局での要職を歴任した。社会的な使命を背負い、前途に対して明るい希望を抱いていた。エジンバラ大学への研究留学を経て、僕は准教授までの出世を果たした。自分で言うのも気が引けるが、大学人としてエリートコースを順調に歩んでいたと思う。
が、敷かれたレールはここまでだった。
ある日突然現れた会計検査院の調査によって、僕らの研究室は、公的資金である科学研究費の不正使用を指摘された。使い切れなかった助成金をプールしていたことが発覚し、最終的な結果を“黒”と判定された。
「デカい金を得るくらいの成果を出していたのだから、それくらいはやむを得ない」、「無駄に使っているわけではない」、「皆、少なからずやっている」という釈明は、弁解にすらならなかった。不条理だなって思うのだけれど、「それが社会のルールだ」と言われればぐうの音も出ない。結果、大学側からの批判に晒された僕の恩師は、責任を取って辞任した。
努力が音を立てて瓦解する、苦労は脆くも崩れ去るということをはじめて知った。それからというもの、僕は何となく釈然としない毎日を過ごしていた。ラボを引き継いではみたものの、基礎研究と臨床とを高いレベルで維持することが徐々に困難となった。
「結局、お前が無能だからだ」と言われれば返す言葉はないが、臨床医として働くなかで、一流の研究成果を出し続けることなど到底できなかったし、二流以下の研究にはほとんど意味がなかった。
医療現場の閉塞感にも苛立っていた。“横浜市大病院患者取り違え手術事件”や、“福島県立大野病院事件”など、医療事故が散見されはじめたのもこの頃であった。まるで犯罪者のように扱われる、医療者バッシングの時代の幕開けとなった。
安全を重視することで、いろいろな場面で仕事の効率が下がる。患者の不利益を減らすためなのか? 自分を守るためなのか? 規制と気遣いの医療の行き着く先は、いったい誰のための医療なのだろうか。
訴訟を恐れるあまりにチャレンジ精神は枯渇し、仕事はルーチン化し、その度に士気を下方修正するしかなくなった。これまでの研究の意味を再考するなかで、医師としての生き方を憂慮していた。そんななかで持ち上がったのが、内部告発による“論文捏造疑惑”だった。
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