第5話 大学病院の教授から:「学長あてに詫び状を書いて、しばらく日赤病院にいてはどうだ・・・・・・」
福島県の被災地病院に異動する前に勤めていた、大学病院を辞めた経緯について少し話しをする。10年前のことだ。
准教授の立場にいた僕が、上司(当時の教授)から言われた最後の言葉は、「学長あてに詫び状を書いてしばらく日赤病院にいてはどうだ、幸い副院長のイスが用意できそうだから」というものだった。
異動勧告の打診というのは、当たり障りのないよう「○○のポストが空いたから」とか、「どこどこの立場で君の能力を発揮してくれ」なんていうのが定番だろうけれど、医療の世界も例外ではなかった。
大学病院で研究に携わっていた頃、図らずとも科学研究費の不正使用に関わった一人として会計検査院からペナルティを受けていた。一部のお金を、使わないでプールしたという容疑だった。
そのほとぼりも冷めやらぬなか、さらに、隣のラボで発生した“論文捏造疑惑”に関する事件の所感を、記事としてネット発信したことによって、いよいよ立場を危うくした。
社会への矛盾や組織の不具合を主張したもので、僕としては正当性を認識していたが、大学への忠誠を欠いたとみなされても仕方がなかった。自分がしたことだから、すべては己の責任である。どこにも責任転嫁するつもりはない。ただ、大学側から僕個人に批判がくるのは避けられないとしても、周囲の人たち(特に、当時の主任教授や後輩)に迷惑がおよぶのを看過することはできない。僕に関係する人たちの出世が遅れたり、意地悪をされたりしたのでは本末転倒である。
立場を配慮した教授から、ある意味情状で言ってくれたのが、先の異動の勧告だった。
大学病院の医師にとって、教授からの依頼、要請、打診、どれをとってもいわば命令と同じである。覚悟はしていたが、けっこう早かったなというのが正直なところだった。一連の事件が問題視されてから約半年後、僕の処遇はほぼ決定されたのだった。
そんななか、本件とはまったく関係ないところで大きな問題が発生した。2011年3月の“東日本大震災”である。未曾有の大災害に発展した。
とにもかくにも医療支援という立場で大学は動き、250キロ離れた福島県からの患者転院を受け入れたのだ。到着された人たちから話を聞くと、大変な状況であったことは容易に想像できた。患者も家族も、まさに「着の身着のまま」という状態だった。それが福島と僕との初めての出会いだった。
震災から5ヶ月が経過した時点で、ようやく僕は、福島県浜通りの視察に行く友人に同行させてもらった。福島からの患者を受け入れたのも何かの縁だと思ったし、1000年に1度と言われる大地震、世界初と言われるトリプル災害(地震・津波・原発事故)の現場を観ておくことは、日本人として、人間として当然の役割と思ったからだ。
そこでいくつかの病院と行政から話しをうかがい、被災状況と医師不足とを目の当たりにした。当然のことだが、自分に何ができるかを考えさせられた。帰路の途中、大学病院でのごたごたが急にアホらしくなってきた。
視察から2ヶ月後、学長への詫び状をしたため、大学に残る気も日赤病院に行く気もないことを告げた。異動の打診と震災発生のタイミングとが奇しくも重なり、僕は大学病院でのキャリアを捨てたのだった。
人生の転換期は必ず訪れる。自分の望む方向に進んでいくことができれば幸せなのだろうけれど、必ずしもそうなるとは限らない。運命の糸にたぐり寄せられることが、ときとしてある。災害や事故だって、いつどこでどう発生するかもわからない。明日のことさえ、定かでない世の中なのだ。
誰に言いたいわけではないし、人生訓的なことを説いたいわけではないが、不測の事態の起こりえる可能性を常に頭の隅に入れながら、何があっても対処できるよう、自分の振り幅を高める生活スタイル(および、“哲学”や“神髄”というと大袈裟だが、自身の“心構え”のようなもの)の構築を心がけておいた方がいいのかもしれない。
そして、もし万が一、属する組織への不条理に対して、何とも言えない正義感というか反骨心というか、そのようなものが湧き上がったとしたら――それは、驕りであることが多いかもしれないが――そのときは、“若さ故”という部分と天秤にかけ、己の魂に問いかけながら行動するしかないだろう。
僕に異動を命じた当時の教授に対してだが、もちろん恨んでなどいない。一期一会を語る際に、僕に関わってくださった大切な人のひとりとして、やはり外せる存在ではない。自分のようなものを長きに渡って面倒みてくれたことと、結果的に運命を大きく変えるきっかけを作ってくれたことに、むしろ感謝している。組織の在り方というものも学ばせてもらった。
いま、後ろ盾のない現場に身を置くことになったが、そういうのも人生においては貴重な経験だ。さあ、明日はいったい何が起こるかな。
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