第8話 後輩医師から:生意気なヤツっていうのもけっこう大切かもしれない

 大きな病院では、診療科ごとに“医局”という組織が存在する。たとえば“外科医局”とか、“産婦人科医局”とかいうふうに呼ばれ、つまり会社で言えば“営業一課”とか、“総務課”とか、そういうものと同じ括りだ。

 そこでは上司や部下、先輩や後輩といった上下関係はあるだろうけれど、同じ目標や同じ利益を追求して、一致団結まとまっていく。

 というのが、普通の組織の建前である。


 これからお話しする対象人物は、3つ年下の後輩医師である。そいつには、おそらく悪気はない。きっと僕の才能不足というか、実力不足で、彼より圧倒的な部分で劣っていたからだ。だからもちろん、恨んでなどいないし、憎いわけでもない。ただ苦々しく思っていただけである。

 どんな世界でもそうかもしれないけれど、医者ってのは個性が強い、アクが強い、一癖ある。当然生意気なヤツもいる。僕の行動が目立っていたからかもしれないが、どうも馴染めないというか、はっきり言って「こいつとは水と油だな」という後輩がいた。


 さて前置きが長くなった。


 以前にも述べたが、僕の大学病院時代は、自分で言うのもなんだけれど、けっこう臨床に研究にがんばっていたと思う――たいして能力がなかったから、がんばるしかなかったという想いもあるけれど。

 だからきっと、ちょっと横柄だったり、ちょっと約束が守れなかったり、ちょっとやんちゃだったりしたことを、周りは大目に見てくれていたという部分があったと思う。もちろん、ある程度一流を目指していたから――人間性に関しては三流と思っていたけれど――、仕事に対してだけは信頼を失わないようにと注意していた。


 だが、そいつは、ポイントポイントで僕の主張することに絡んできた。患者の診断や治療法や研究の考察などに対して、「それはどうなんだ」というような態度をぶつけてくることがあった。曲がりなりにも先輩にそういうことを言ってくるくらいだから、根拠はしっかりしている。むしろ、ある意味正しく、僕の言っていることの方に無理があることも度々だった。


 当時の僕は、野心的に実績を積むことに躍起になっていたから、多少の無理を承知で論を通そうとすることがあった。

「彼の言うことにも一理あるが、医学の発展のためには、多少無理をしてでも、とにかく形にして世の中に呈示していかなければ何も変わらない。確実なものだけをチョイスして発表しているだけでは、到底ライバルには勝てない」という、やや傲慢さがあった。

 矢継ぎ早に論文発表を繰り返していた頃は、それでも僕の方に分があった。


『白い巨塔』に喩えるなら、僕が財前で、彼が里見というとちょっと違うし、そんな格好いい世界ではないけれど、イメージとしてはそんなところだ。

 ただ、小説における財前の最後は、身から出た錆というか、因果応報というか、実に哀愁深いものとなった。

 そして、僕もそうなった。

 前々回、前々々回で述べたように、僕らは不正を認定されたことによってチームは自然解散、やがて大学を追われた。


 どんな人間でも、自分とは相容れない、苦手だなと感じる相手はいると思う。個人的な付き合いならそれほど問題にならないだろうけれど、会社の上司だったり、同僚だったりした場合には、嫌でも付き合わないわけにはいかない。顧客やクライアントだったりした場合でもそうだろう。

 そんな状況の際に取るべき方法はふたつ。月並みだけれど、なるべく関わらないようにするか、実力でねじ伏せるかのどちらかということになる。ただ、後者の場合は、より反感を買うということにもなるから、日本人の特性として前者を選ぶということになるだろう。


 ただひとつ言えることは、そういう目の上のタンコブというか、ストレスを与える人間というのが、身近に1人はいた方がいい。もちろん程度にもよるだろうけれど、少しだけ緊張の強いられた生活というものが、人生の張りにつながるからだ。よほどの誤った判断をしないようになるし、ときどき自分を戒めるきっかけになる。

 そういう意味では、僕の大学病院生活は、これでも長く続いたのかもしれないし、逆に、もしかすると彼がいたからこそ無意味に居座り続けようなんてことも思わなかったのかもしれない。適度な引き際の判断を見誤らなかったのかもしれない。

 

 馴染めなかったヤツだったけれど、僕にとっては一生忘れることのできない、いい意味でライバルだった。

 その彼は、僕がいた准教授という椅子に早々と就任し、9年経ったいまでもそのポストのままだ。隙がなく、鋭いメスのような気の抜けない後輩だったけれど、いまはどういう考えでいるのだろうか。

 僕がいなくなったせいで、のんびりした性格になってしまったのだとしたら、彼にとっても僕の存在は大きかったのではないかと、せめてそう思うことでこの思い出に終止符を打ちたいと思う。

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