第54話 仕事の辞め方から:“真摯な思索”と“魂の納得”
先日「仕事の続け方」に関する文章を綴って、わりとPV数が伸びたので、今度は「仕事の辞め方」について述べてみたい。真逆を言うかもしれないけれど、僕がかつて大学病院を辞めたときの考え方について振り返ってみたいと思う。
一般職の人からみれば医療界は特別に思えるかもしれないが、基本的には同じである。くどい内容になると思うが、参考になれば幸いである。
かつて大学病院勤務を18年間続けるなかで、何度となく送別の機会に立ち会ってきた。それぞれの医師がそれぞれの事情で、それぞれの転地に移動していく姿を眺めてきた。円満な笑顔の一方で、憤懣やる方ない表情や歪んだ笑みを浮かべる医療者もおられたような気がする。同じ医局に属し、同じ研修を受け、同じ診療に従事し、質の高い教育と研究とを行ってきたはずである。
紛れもなく自分を成長させてくれた現場であり、他の医局員たちの激励と優しさとに触れ、夢と希望との中で賞賛の美をもって人生の転換期を迎えるはずだった。
これからの時代において強調すべきは、まず“生き残る”ことである。生き残れてこそ、人生や仕事や恋や友情といったものの甘美を味わうことができる。サバイバルのための戦略を練る必要がある。人生の再スタートを考える優駿な若者たちのために、「正しい職場の撤退方法」のススメを説く。
転職のための初期動作は、まず“自身の自己固め”である。
「なぜ、自分は職場を辞めるのか?」、このことを徹底的に内観し、自らに語りかけることである。職場を辞めてまでも実現したい自分の夢や希望が、本当にその形でしか実現し得ないものなのかということを奥底まで考える必要がある。己の今後の人生のすべての源であるからして、努々この自己省察の過程を怠ってはいけない。
抽象的な言い方かもしれないが、願望や欲望といったものは大脳で考えるにしても、最終的な決行に関しては、「魂の声が聞こえるか」というところで判断する。
たとえば、僕に寄せられる周囲の期待に作家がある。「木痣間先生、いつもつまらないエッセイばかり書いていないで、今度は小説でも書いてみてくださいよ」などと言われることが、ままある。それは、周囲がはやし立てているだけかもしれないが、こうしてWEB小説サイトに文章を投稿していることを考えれば、僕が思想家や映画監督や黒魔術師やひよこ鑑定士になるよりは、現実味があるのではないかと思う。なぜそうしないかといえば、能力もさることながら、心の叫びとして、まだ十分聞こえてこないからである。
重要なことは、“真摯な思索”と“魂の納得”である。
さらに、“自己固め”と並行して練り上げる作業は、“タイミングの見極め”についてである。そのためには、職場の変遷を理解しておかなければならない。
大学医局を例にあげるが、そこは、“主任教授の交代を契機に新陳代謝を繰り返す人体器官”のようなものである。脳や脊髄に教授や准教授が君臨し、重要臓器は講師が陣取り、手足には助教がひしめき合い、皮膚だの髪だの爪だのという代謝回転の速い最前線にいるのが研修医である。
だから、医局には栄枯盛衰がある。その時々の流行りと廃りとの中で、発展と衰退とを繰り返している。
まず、医局の勢力がもっともボトム化する時期は、紛れもなく主任教授の交代時期である。教授の退官時期が近づくと、医局の人事は一気にざわめき立つ。次期教授候補の噂はもちろん、現教授の退官前の記念学会の幹事を任されたり、業績集なるものを作成したりするなどの引き継ぎのための雑務が増えてくる。
方針の定まらぬうちに入局する新人医師も少なく、ここは現医局員の正念場ともいえる。現在の教授に仕えていた医局員たちも身の振りを考えるようになるが、この時期に辞めることは得策ではない。しばらくは、静観することである。
ここでは論点がボケるので教授選に関する話題には触れないが、辞めることを考えている医師は、新教授の誕生した後の数年間をよく観察することである。
就任直後の教授は意欲がある。理想とする医局の姿についての青写真を描いている。その結果、ガッツある教授の基には人も集まる。魅力的に映る医局は、確かに何かしらの“ウリ”がある。「教授の世界的権威」、「充実した研修システム」、「ブランド病院へのコネ」などである。
そうした雰囲気に流されて、「何となくこの医局ならやる気を引き出してくれるのではないか」という幻想を抱いて入局する医師も、「これだけ人気があるのだから、働きやすいだろう」という期待を胸に入局する女医も、中にはいる。さまざまな人種の入り混じった医局は、一気に活気の高騰をみせる。
積極果敢な教授、それに惹かれた野心的だが個性的な中堅医師、流れに感化された真面目な若手医師・研修医といった見事なまでのグラデーションに彩られた時代に、医局はもっとも栄耀栄華を極める。
次に待っている作業は、統制である。さまざまな思惑や利害の調整に入る。“優秀-凡庸”、“スペシャリスト-ジェネラリスト”、“男性医師-女医”、“平等主義-能力主義”、“上昇志向-安定志向”などの観念性を持つ人たちを、うまく棲み分ける必要がある。それが巧妙に行われないと、医局は斜陽に傾く。もともと豊富な人材を抱え、多様な価値観を有する医師の多い医局ほど、その調整には膨大な労力が支払われる。
医局は、何年かに一度登場する、(教授以外の)秀逸した人望を有する人間の発揮する、“卓越したマネージメント力による多数の賛同”によって支えられている。そういう名参謀を確保できなかったり、その人物に手厚い擁護を与えなかったりした医局は、どんなに規模が大きかろうが、やがて瓦解する運命にある。
この中でいつ辞めればよいかを考えたときに、それは当然、最盛期である。「そんな良い時期に」と思うかもしれないが、引き際の美学を考えるべきである。雰囲気のもっとも良い時期の退職は引き留めも少なく、本気度が伝わりやすい。また、何よりも医局への迷惑が最小限で済む。
辞めるための意志決定と時期とについては、コンセンサスが得られたことと思う。
ここまで到達した結論というのは、感情だけではないので揺らぎようがないし、理屈だけでもないので崩しようもない。ここに至れば“職場撤退”は、8割がた完遂したようなものである。後は実行あるのみである。が、ここでさらに、実践のために必要なコツについて、若干の補足を加える。
辞める動機については、実際のところ「家庭の事情」だとか「開業準備」であることが多い。いずれの理由にせよ、周囲の同情と共感とを集める工夫をしておくことが、円満退職を得るための大切な要因となる。
一方、仮にそうであったとしても、「仕事がきついから辞める」、「もっとやり甲斐のある職に就きたい」、「結婚したから退職する」、「海外で1年くらい暮らしたい」、「北アルプスをテントを持って縦走したい、それが叶わぬなら、知床の流氷くらいは見たい」というような、遠回しにしてもそういう理由を悟られるような言動は避けるべきである。同期がいればなおさらのこと、逃げの態度や個人の我欲は快く思われない。
また重要なことは、「現職場を否定的でも肯定的でもなく、ニュートラルな立場で捉えて、態度に示す」ということである。仕事の手を抜いたり、周囲に不満を漏らしたりする行為は、厳に慎むべきである。残される者の共感を生むことにはけっしてつながらないし、評価が落ちてから辞めたのでは後難を残すこととなる。
徐々に居場所がなくなっていくような喪失感に襲われ、塩漬けのような立場を甘受する前に、ここは8割、いや9割、下手したらこれまで以上の余録を残し、惜しまれつつ辞めるということである。
つまり交渉時に成すべきことは、人事の統括者に対して、「ありのままの熱意を真摯に示す」ということと「作法を遵守する」ということである。この申し出を承諾しないと、この者の人生は大きく常軌を逸してしまうであろうということを、己の魂において選択せざるを得なかったという丁寧な態度で理解してもらうというところにある。
今回の決断が、冒頭で示した「サバイバルのために不可避なこと」であるということに帰結していれば、事を起こすのはそう難しいことではあるまい。僕はそうやって大学を辞めた。
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