第55話 人間関係の悩みから:“利害の不一致”が原因に過ぎない

 現代人の悩みのほとんどが“人間関係”に起因している。言わずもがなという気もするが、そういう世のなかだ。鈍感力を武器にここまで生き延びてきた僕においても、ときどきそういうことを考える。

 エッセイではなく、今回は論を張ってしまうかもしれないが、さしてエビデンスがあるわけではないので、軽く読み飛ばしていただければありがたい。


 僕が福島の被災地に来たばかりのころは、もちろん何もわからなかったし、よそ者に対してあからさまに非難するような人もいなかった。だからなんの屈託もなく、「福島の県民性として、優しく、大らかな人が多いなぁ」なんてことを感じていた。それはまあ、いまでも変わらないけれど、でもやっぱりどこに行っても、どんな集団のなかにいても、人間関係の不和というのは一定頻度発生する。


 僕の知る限り、医療人のほとんどは、個人的にみれば親切で丁寧かつ、コミュニケーション力も高く穏やかな人が多い。間違いなくそう言い切れる。だが、これがチームや集団で動くとなると、必ず不協和音が生ずる。

「言った言わない、やったやっていない」、「あの人の怠慢でこうなった、私はまじめにやっている」という問題だ。それは、どこの医療機関に行っても同じである。おそらく、皆さんの職場にも、そういう問題があるのではないか。


 ここからは一般論になるので、特定の県やエリアがどうだと言うつもりはない。あらかじめ断っておく。


 人間関係の不和に関して、「アイツは性格が悪い」とか、「彼女は意地悪だ」とかを感じている人が多いのではないか。近づきたくない人というのが一人、二人はいるだろうし、どんな職場でも、どんなコミュニティでも、そういう人は存在する。

 が、しかし、逃れられない環境だとしたら、“性格の不一致”という言葉だけでは片付けられない。


 世の中には本当の悪人もいるかもしれないから一概には言えないけれど、「この人苦手だな」と思うようなタイプがいたとしたら、それは多くの場合、その人とは“利害が一致していない”ということが原因だ。

 その人だって、共通の利益を得られるのだったら仲良くしている人はいるかもしれない。同じ目的を有して、同じ立場でいられる間は良好な関係を築いているかもしれない。

 あなたとは、たまたま相反する事態が発生しているということだ。共通の利益を得られる立場にないというだけだ。


 たとえば、あるスポーツ競技の団体に、趣味とはいえ参加することになったとする。自分の技術もさることながら、チームのためにがんばろうと思うのは当然だ。必死に練習して、一歩ずつスキルを高めていく。

 そんななかでチーム一丸となって、称え合って励まし合って上を目指そうというのは、建前であって本音ではけっしてない。誰かが上達すれば、誰かがこぼれていくのがスポーツの世界だ。そんな場所に平穏なんてものはない。仮に「そんな軋轢はない」というのだったら、それは遊びということだ。


 職場においても同様で、僕から言わせれば人間関係の不和が起きないことの方が不思議だ。“給料の多寡”、“勤務時間の長短”、“実績と能力の大小”という尺度で全員が働いているわけだから、その評価に見合うか見合わないかの判断基準は、10人いれば10人が違う。

 意思が共有されていればそんなことはないと思うかもしれないが、意思が共有されていればいるほど、高い目標を掲げれば掲げるほど、その価値観に差が生ずるのは当たり前なのである。それを「職場の雰囲気が・・・・・・」なんてことを考えても、考えるだけ無駄ということになる。


 真っ当な社会に暮らす人のなかには、根っからの意地悪な人というのはあまりいないと思う。怖いと思う先輩だって、憎らしいと思う上司だって、非情だと思う同僚だって、子供や奥さんや彼女の前では普通の人かもしれない。繰り返しになるが、要は、利害が一致しないというだけだ。

 自分の利益は、その人にとって損害になり、逆に、自分が損害を被ったぶん、その人にとっての利益になるという構造があるだけだ。ラクをしている人がいれば、誰かが負担を肩代わりしているし、楽しい想いをしている人がいれば、誰かが我慢しているということだ。


 ゴシップなんていうのも同様である。とかく話し好きという人が、どこの世界にもいる。「あいつはなんでもかんでも他人の噂話をする」、「あの人は他人の陰口ししか叩かない」なんていう人だ。

 でも、冷静に考えてみると、噂や陰口を、その人がしているということを知った理由は、その噂や陰口を聞いたという自分がいるからだ。ある意味では、そういう話しに乗った自分がいるということだ。

「いや、たまたま聞いてしまっただけで、自分はけっして人の噂話はしない」と反論したいだろう。でも、話し好きの人からみれば、あなたは何の会話にも乗ってこないつまらないヤツと思われているかもしれない。これまた繰り返しになるが、要は、その人とは利害が一致しないというだけだ。


 そう考えると、人間関係の不一致というのは、あるのが当たり前で、なくなることはない。解決しようなんて思わないことだ。仮にその人との関係が修復されたとしても、別な誰かとの新たな相反関係を生み出すだけで、はっきり言ってあまり意味がない。

 それよりもっと大事なことは、何の軋轢もないように感じている相手ほど、心のなかでは憎悪を抱いている場合があるということだ。嫌な人間と思える人の方がわかりやすくて、実は害は少ないということに気付く。


 だから僕は、相変わらずマイペースでのんびり、「何を言われてもへっちゃら」というマインドを鍛えていく。

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