第56話 医師の適性から:人間性が必要とは限らない

 医師の適正には、どういうものが求められるだろうか?

 きっと多くの人は人間性だとか、使命感だとかを考えると思う。すなわち「他人の気持ちに立って物事を考えられる素性がある」とか、「高い技術力でもって治療にあたることのできる能力を有している」とかいうものだ。

 もちろん、そういうことがあるに越したことはないし、実際の医療現場には優秀な人で溢れている。


 が、しかし、そういう人ばかりとは限らない。


 彼は、東京大学理Ⅰを卒業してから医学部に入学し、20代後半で研修を迎えた。いまの制度では、医学部を卒業した後の2年間は、研修医としていろいろな診療科をローテーションしなければならない。医師としての幅広い知識を身に付けたうえで、3年目から専門を選ぶことになる。


 僕の診療科にローテートしたときの第一声は、「ここへは、規則だから仕方なく来ました。だから、あまり熱心に指導していただかなくて結構です。自分は臨床医には向いていないので、将来どうするかは思案中です」とのことだった。

 ある意味、すがすがしい。「やる気がないから教えなくてもいい、将来医者をやるかどうかもわからない」と。

 ただ研修医担当の僕としては、そう言われてもなかなかそういうわけにもいかない。最低限のことはしてもらわないと合格ラインの評価は与えられない。


「じゃあ、どうして東大を出たにもかかわらず、医者になろうと思ったの?」

「ええまあ、医学部ってどんなところかなぁと思いまして。いまとなっては後悔しています」


 他人は他人、わりと人の行い対して理解のある僕だったけれど、さすがにちょっとカチンときた。

「キミが入学したせいで入学できなかった人間が1人いるのだ、そいつに申し訳ないと思わないのか」という考えが一瞬頭をよぎったけれど、とりあえずまあいい。患者を診るだけが医者の仕事ではない。頭のいいヤツだろうから、研究者や技術者という道筋だってあるわけだから、そういう方面に進んでもらえれば、それはそれで社会の役に立つ。

 必要以上に熱を入れることを止め、最低限の研修を行わせるだけで、彼の関心のありそうなことを自由にさせていた。いいところだけ伸ばせてあげられれば、きっとそれでいいのだ。


 彼は、それなりの仕事を淡々とこなしていた。点滴の習得なんかはまじめに取り組んでいたし、電子カルテなど、システムとしての流れは必死に覚えようとしていた。薬の作用や術式なんてものにも興味はあるようだった。物事を論理立ててこなしていく作業に対しては、さして問題はなかった。

 すなわち、人間を相手にすることが苦手というだけであって、機械や物体を扱うことに関してはスムーズなのだ。繰り返すが、頭はいいのだろう。


 そんななかで、無事に最終日を迎えた。人間を対象とする医師としての適性に難はあるものの、選択さえ誤らなければ使えなくもない。だから最後に、「医者としての方向性を間違えないように」ということを伝えて研修は修了した。

 彼は、「はい、そうします」とだけ、つぶやいた。


 その後、彼は小児科医になった。なんと臨床医になったのだ。あれほど適性を間違えないよう説いたにもかかわらず。

 小児科といったら、子供だけでも大変なのに、子を心配する親を含めて、もっともコミュニケーション力の求められる診療科だ。何を血迷ったのか、よりにもよってそういう診療科を選ぶなんて。

 よくよく聞いたら、小児科のなかでも“NICU”を希望しているとのことだった。新生児集中治療室だ。


 そこでは、未熟児が主な患者ということになる。言い方に語弊はあるかもしれないが、まだ人間として未完成な対象物を扱う診療科だ。カプセルのような容器に入れられた患者との間に、対話的コミュニケーションは存在しない。彼からしてみれば、緻密な機械を取り扱う喜びなのだろう。高性能のおもちゃを、自分の手で完成させていくような。まさに、理系の彼にとってはピッタリの部門だった。

 NICUに務めるナースに尋ねると、「すごく熱心に仕事をしています」とのことだった。


 1年後、検査室で出会った。白衣とエプロン姿の彼は、児から採取した採血管を握りしめていた。

「新生児室にいるんだってね、がんばっているようで安心したよ」と声をかけたところ、「はい、なるべくそうしています」とだけ、つぶやいた。

 去年と言っていることは同じだったけれど、なんか立派になったように見えた。


「ああ、木痣間先生・・・・・・、研修医時代、他の診療科では『やる気があるのか』と、うるさく言われましたけれど、先生の科は、先生の判断かどうかわかりませんが、ボクを自由にしてくれました。NICUの新生児は話しができませんから楽です。自分の適正には合っていると思いますので・・・・・・」


 どういうところに適正があるかなんて、人間わからないものだ。

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