第21話 男のおしゃれから:移り変わる“おしゃれ感覚”

 バーバリーショップ店員の力添えによって、なんとか僕は男としてのおしゃれ感覚を身に付けたという話しを以前にした。本当にそれは最低限の身だしなみという程度ではあるが、少しだけ男のこだわりみたいなものに気が付いた。


 おしゃれやファッションというのは、基本的には本人がそれを身に付けることで、毎日のテンションやモチベーション維持につながるとか、パフォーマンスが上がるとか、きっとそういうことでいいのだろうけれど、僕の場合は、年齢と共におしゃれの定義というか、やり方が変わっていったように思う。

 ウンチクのようなことは語りたくないので、自慢しないよう心がけるが、30代くらいまでは、とかくブランド物に目が行きがちだった。審美眼のようなものが養われていなかったから、「高い物は良い物だ」というような刷り込みを盲信していた。

 もちろん、一流のブランド品は良質である場合が多いだろうけれど、したがって、そうしたものを身に付ければ、他人からの視線も印象の良いものになるだろうけれど、実際のところよくわかっていなかった。


 そうして僕は、カルティエのタンク(時計)やジョンロブのストレートチップ(靴)やモンブランのマイスターシュテュック(万年筆)やポルシェのケイマン(車)やアクアスキュータムのステインカラーコートやグローブ・トロッターのスーツケースを買った。もちろん、日常的に使うためだ。

 それらは全部、確かに良質だった。たとえば“靴”に関して言えることは、ホールド性というか足底へのアタリというところで、安物にはない機能性と疲れにくさを感じた。それは、かなり衝撃的だった。

 早々に劣化することももちろんなく、少なくとも安物より、格段に物モチが良かった。


 そんな時期を通り過ぎて、次に向かったおしゃれへの意識は、「良い物とされるには訳がある」ということを考えたくなってきた。

 そこで感じたのは、良質で高級な物は、たいてい一手間かかるということだった。

 機械式時計の時刻合わせ、ヒモ革靴には靴ベラが要、万年筆のインク補充、ワイシャツのカフス、オーダースーツのクリーニング、スーツケースの鍵、などなど。

 職人による創り込まれ感というものがあるから、易々とは扱わせてくれないというオーラを感じるものであった。手間をかけることによって格式が上がるような気がした。


 高級の実態がわかってくると、物質以外の物にもおしゃれを感じるようになった。

 それはアートであったり、スポーツであったり、音楽であったり、飲食であったり、風景であったりした。文学というものの深みについても考えてみた。

 つまり本物を生で観ることの目覚めである。帝劇で芝居を、西洋美術館で印象派の絵を、歌舞伎座で歌舞伎を、四季劇場でミュージカルを、馬事公苑で馬術競技を、武道館でRATTのコンサートを、久兵衛で鮨懐石を、というようなことを一通りこなした。

 苦しいながらも文豪と言われる作家たちの代表作を読んだが、三島由紀夫と川端康成は、難しすぎるのと叙情的すぎるのとで挫折した。


 と、ここまで述べてきて、再度申し開きをさせてもらうが、僕は何も自慢したいわけではけっしてない。おしゃれを考えていたらこうした方向で話しが進んでしまったということで、けっして金をかければいいというものではないという話しをこれからさせていただく。


 最近考えていることのひとつは、月並みなことだが、値段の高い物が優れているとは限らないし、安くても良質な物はある。

 さらに言うなら、良質な物を身に付けたとしてもセンスが悪ければ、すべては裏目に出てしまうし、トゥーマッチ過ぎても嫌味になるだけだ。

 ただ、これは「金をかけずともおしゃれは磨ける」という、半分は負け惜しみから発せられた言葉になっていないか、もう一度吟味する必要がある。


 さらに当たり前なことを言うと、容姿が良ければ何だって似合う。西洋人のように9頭身だったらTシャツ、ジーンズで十分カッコいい。さらに若くて有名ならば、それだけで大抵のモノはセンスだと思われる。

 おしゃれは自分のコンプレックスを減らすためなのか、ステータスを増やすためなのかによっても意味合いが違ってくる。

 たとえば、プロポーションを“矯正”するためならベルトや加圧素材、“強調”するならボディにフィットする小さめのTシャツでも構わない。


 おしゃれに対して「目的なんかない。単にワタシが好きなものを着るだけ。自分が心地よければそれでよい、自分が幸せならばそれで満足」、そう主張する人もきっと少なくないと思う。

 だが、それも確かに理由のひとつになるが、その結果として人目を惹いたり、誉められたりしたら、もっと心地がいいし、もっと幸せになれる。

 いや一度でもそういう経験をしたのならば、女性は――と言うと、ちょっと反感を買うかもしれないが――、その時の快感をずっと忘れられず、無意識のうちにそれを次のおしゃれのモチベーションにする。


 僕も何度かおしゃれを演出してきたが、最初に言ったように、究極的には自尊心を高めてくれるという理由でいいと思っている。

 ただ、歳を重ねるにしたがい最大のおしゃれネタは、いつまでもスリム体型でいるということと、毛髪量が減らないということである。そして、笑顔を絶やさないということである。それさえあれば、大抵「おしゃれな方だよね」と言われ続ける。


 結局、おしゃれの基本は、人と違った高い物を持つというのではなく、並以上の人間性というか、優しさというか、人情味のようなものがにじみ出ていることに優る物はないようだ。

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