第69話 イギリス留学から:会えない時間が(二人の)愛を育てる
海外留学を決行したのが20年前、大学院を卒業して間もなくだった。
表向きはこれまでやってきた研究を発展させたいということだったが、海外生活を経験したいという好奇心と、言っていれば箔を付けたいという野心だった。
いや待て。確かにそういう部分もなくはなかったが、本当の理由はもっと違うところにあった。
毎日の診療に飽きたので環境を変えたいという欲求と、二股をかけていた片方の女性と別れなければならないという責任とからだった。
そういういろいろな意味における人生のリセットを考えた場合に、もっとも言い訳の立つ行動は“外国留学”だった(身勝手と思われるかもしれないけれど)。
そんなわけで、2年半にわたるスコットランド(英国)留学を決行した。それはちょうど『ハリー・ポッター』が流行っているときだった。
あまり思い出したくないのだが、留学中の記憶を手短に一つ、二つ語るとしたら、あくまで「僕にとっては」という前提になるが、想像以上に厳しかった。
「もともとの動機が不純だったからだ」と言われれば、返す言葉はないが、異文化の受け入れと言語の慣れとが円滑でなかった。一言で言えば、コミュニケーションスキルに問題があった。
研究に関する議論は専門性を有するので、まだ納得しやすかったが、何気ないローカルな話題の方は、地理や習慣がわからないだけにほとんど理解不能だった。彼らにとってティータイムは大切な時間だ。ギャグを盛ることはできずとも、せめて会話についていけるくらいでないと楽しみを共有できない。
海外に行ったら図々しいくらいがちょうどいい。あなたの周りにいるウザいヤツ程度で全然OKだし、それでもきっと足りないだろう。“奥ゆかしい”、“慎ましい”は、海外ではまったく美徳にならない。すべて愛嬌でカバーするしかないのだ。
僕には、それができなかった。
医者になって、それなりの研鑽を積んで、研究でも一旗揚げて、実績と自信とをつけてきたが、やはりこういう切羽詰まった場所では、本来の引っ込み思案な性格が出てしまう。“にわか”は、どこまでいっても“にわか”だった。
さて、女性との別れ話しだが・・・、打ち明けるならば・・・、僕はこの当時、二人の女性と付き合っていた。
モラルを通すのであれば、早かれ遅かれどちらかの女性と別れなければならない。だから、これを機会に一人と決別しようと思ったのだ。
会うことはとてもできないだろうし、連絡さえ遮断すれば必然的に忘れることになる・・・・・・、はずだった。
「会えない時間が想いを育てる」というほどのロマンチズムではないが、結局考えることは、二人の女性との思い出や将来だった。どんなに言い訳しようが、どれほど取り繕うが、歓迎できないことをしていたのは事実だし、もちろん二股が良いとは思っていない。
でも、ちょっと言わせていただくと、「二股は絶対にダメだ」と言っている人を、僕は信ずることはできない。そういう人は、同時に二人の異性を好きになったことがないから・・・、あるいは、二人の異性から同時に言い寄られたことがないからそういうことが言えるわけで、言ってみれば、幸か不幸か、悩みをもつきっかけに巡り合わなかったというだけのことである。もっとはっきり言うなら、「恋愛にはあまり縁のない人」ということだ――さらに反感を買うことになったかもしれない。
“片思い”というものに対して狂おしいほどの悩みを抱くということはあるし、僕は、そういう状態の人を心から尊敬してきた。しかし、もっと尊敬した人は、二人の異性の間で揺らめく葛藤を経験してきた人だ。
生身の人間らしいし、どういう形に落ち着こうとも、深い洞察のなかでその人を大きく成長させてきたと感じる――まあ、たいして好きでもないのに複数の女性と付き合っていた友人もいたと言えばいたし、僕もそう見られていたかもしれないけれど。
きっと世の多くは、「一人の異性と長く付き合うことこそが、唯一、相手を深く知る最善最良の方法だ」と説き、そうすることを強く推奨するであろう。もちろん異論はない。そういう人は、長く付き合うために必要なノウハウを蓄積してきた。曰く、「相手を信ずる一方で、必要以上に干渉しない」というような・・・。
だが、持論になってしまうけれど、二人の異性と同時に付き合い、そのなかから生まれてくる熱い熱い葛藤と深い深い洞察とを繰り返し、選択を強いられ、結果を断行し、余念なきフォローを積んだ人間の方が、きっと学んだことは大きい。快楽と苦悩、喜びと痛みとを同時に味わったからだ。
少なくとも、何のためらいもなく、「二股はダメだ、不倫はけしからん」と言っているモラリスト(や、“綺麗事イスト”、“体裁イスト”たち)よりは、聞くに値する考えを内包しているように思う。僕が人生の悩みを相談するとしたら、きっとそういう前線をくぐり抜けてきた人だ。
・・・と、当時は思っていた。
僕の海外留学は中途半端なまま終了した。学問の探求はおろか、こともあろうか二人をますます好きになるだけで、別れることなどとてもできなかった。
ただ、壮大なスコットランドの絶景だけが僕の記憶に残っている。
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