第16話 “バーバリー”ショップ店員から:ブランドにまったく興味はないけれど

 バブルの渦中、『DCブランド』が流行した。アパレルメーカーによるファッションブランドの総称であり、バブル景気による消費拡大に後押しされたことで、全国に波及した。


“コムサ・デ・モード、エンポリオ・アルマーニ、コム・デ・ギャルソン、ニコル、メルローズ”といったブランドだ。当時、そうしたショップ販売員のことを“ハウスマヌカン”と呼び、それはそれはきれいなお姉さんたちの最先端職種のひとつだった。

 彼女たちと付き合えれば、それはもう鼻高である。大学生だった僕は、仕送りでは間に合わず、丸井の赤いカードを作り、足繁く通った時期もあった。なんとかお近付きになりたいと思ったからだ。

 が、しかし、ファッションのなんたるかもわからず、親のスネをかじって生計を立てているような人物は、彼女たちからみれば無価値だった。


 僕らはバブル真っただ中を生きてきたが、残念ながら、ほとんどの恩恵を受け損なってきた。景気は良かったのかもしれないが、その代わりすべてのモノが高く、結局のところ、お金持ちが、よりお金持ちになれる仕組みだったような気がする。

 なけなしの小遣いで買った数点のブランドのために、ローンがかさみ、その服が着られなくなった後も僕はしばらく払い続けていた。

 90年代以降、バブル崩壊による長期不況とデフレ拡大により、ブームは急速に失墜した。ユニクロに代表されるファストファッションが台頭したことで、完全に消滅、『DCブランド』という呼称は、バブル時代を象徴する死語のひとつとなった。


 そんな流行が落ち着いていくなか、僕は医者になり、遅ればせながら多少の金回りを生み出せるようになった――忙しくて今度は使う暇がないという、新たなジレンマが発生しただけなのだが――。

 ブランドというものに疎く、ほとんど興味はないけれど、多少の軍資金を手に、そろそろまたそういう領域に挑戦してもいいのではないかと思うようになった。

 そこで選んだのが、“バーバリー”である。たまにいくショッピングモールと、駅前の百貨店とに店舗を構えていたからだ。


 僕は、バーバリー・ロンドンに出向いていった。

 ほとんどの場合、仕事用のワイシャツとパンツと、たまにスーツとネクタイとを買う程度だった。要は必要に迫られた消耗品ばかりである。

 ビジネス用の衣類ばかりでは、販売員としてもススメ甲斐がなかったと思うのだが、普段着をおしゃれにしようという気はあまりなかった。


 代わり映えしないようなビジネススタイルだとしても、そのなかにも“流行り廃り”というのが一応あるようで、その都度、生地や素材、糸、デザイン、柄などを説明してくれた。

 バーバリーには二人の女性店員しかいなくて、ひとりは少し年配、もうひとりは若者だった。そのときどきで、両方あるいはどちらかが接客してくれた。『DCブランド』のマヌカンとはだいぶ違っていた。年配の方ははっきりモノを薦めてくれたし、若者の方はおっとりしていて、たいして薦めてこない。そのバランスが良かった。

 少しずつ仲良くなっていき、それにつれて、僕のようなファッションに疎い人間でも、行くのが愉しみになってきた。

 彼女たちの選んでくれた服を着て診療に臨むわけだから、自分の意図とは別に、僕は病院内ではかなりおしゃれに見られるようになった。と同時に、時計やカバン、手帳や万年筆、靴やベルトといった男のアイテムの重要性にも目覚めていった。


 ウィンドウショッピングが好きという人がいる。買うためというより、きれいな服を眺めることによって目の保養を得るとか、癒されるとか、それはそれでもちろん構わない。

 僕がバーバリーに行く理由はひとつ。アパレル業界という、自分とは対極に位置する業種の人たちと話をすることが楽しくなったからだ。知らないことをいろいろと教えてもらえる。もっと言うと、審美眼というか、モノを見る目が養われてくると、彼女たちが誉めてくれる。

 来店は、3~4ヶ月に一度くらいがちょうどいい。シーズンの変わり目に行くことで、新商品が入荷するから、たいして違和感を持たれず積極的に話しかけてくれる。


 若い方の店員さんに言われたことがある。

「いつもお越しいただきありがとうございます。こう言っては失礼ですけれど、最初に比べておしゃれになりましたよね」

 もちろん営業トークというのは百も承知だし、100%社交辞令だろう。

 彼女の性は“痣城(あざしろ)”といって、僕と同じ漢字を一文字用いた珍しい名前だったことが何かの縁だったかもしれない。2、3度、食事をご一緒させてもらった。


「やっぱり木痣間さんを見ていると、ファッションって大事だと思います。センスが磨かれることで、性格も明るくなったように感じますもの。こういうとき、自分は仕事をしてきて良かったと気付きますよ」

「自分の手柄のように・・・・・・、それに、僕の何を知っているというのだ」と、頭のなかで思ったけれど、でも言われてみればそのとおりだ。

 大学病院での事件、プライベートでの苦悩などを抱えていた時期ではあったが、まったく関係ない分野の彼女らとの会話によって、僕はずいぶん救われていた。


 被災地に来て9年、お陰でワイシャツとネクタイ、そして、靴はひとつも買わないで済んでいる。彼女たちを思い出しながら、「良いものは長持ちするな」ということを感じつつ日々通勤している。

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