第15話 屋久島から:「姉妹にも人生があるということを、先生から母によく言ってください」

 なぜ“屋久島”に行くことになったのかというところから話しをはじめなければならない。


 神経を巻き込む免疫の病気に罹患している50代女性の入院患者がいた。夫はすでに他界していて、娘が2人いた。長女はすでに結婚していたが、次女はまだ独身で実家にいた。

 異常免疫を抑え込むための治療は長きに渡った。当然関わりも長期におよび、状態の変化に対する家族への病状説明の機会も増えていった。

「まだちょっと不安定で再発の危険性もあるから、もう少し地道に治療していきます。イライラするようなことがあるようですので、できるだけ支えていきましょうね」というのが常だった。


 3ヶ月程度かかったが、それでもなんとか落ち着き、この機会に一旦自宅へ退院した。もちろん、その後も薬の調整が必要なので、外来への定期受診をしてもらっていた。

 付き添ってくるのは、必然的に次女さんだった。

「お母さんがわがままなので、けっこう大変です。私の自由時間があまりなくて」と、ときどきグチっていた。

 病気がそうさせている部分もあったし、心配される気持ちもわかる。にしても、患者はかなり神経質で、思い込んだら修正の効かないタイプだった。

「まあ、ちょっと手間のかかる病気だから仕方がないです。お母さんのためにもがんばりましょう」というような返答で、どうにか励ますしかなった。次女さんには同情するが、確かに仕方のない要素はあった。


 そんなこんなを繰り返しながら、どうにかこうにか先の目処がたってきた。ただ、長い間手足の動きが麻痺していたので、その後遺症として筋肉が弱ってしまった。本人、ご家族との協議の結果、しばらくリハビリ病院に入院してもらうことにした。


 明日リハビリ病院へ入院するという日に、定期受診があった。診察室に入ってくるなり、いつもと少し異なる光景に、「あれっ、今日は長女さんといらしたのですね」

 長女とも幾度となく話しをさせてもらってきたので、無論、さして違和感はなかったが、でもなんとなくこれまでとの雰囲気の違いを感じた。

「妹は屋久島に行ってくると言って、先週から出かけてしまいました」

 長女は、今回自分が付き添ってきた理由を説明した。

「屋久島ですか・・・・・・、なぜ?」

「きっと母の介護に疲れたんだと思います。リフレッシュしたくなったのでしょう。いつ帰ってくるか言っていませんでしたから」

 納得のいく行動だった。リハビリ入院をしているしばらくの間、気分転換を目的に離島に行きたくなるのは無理からぬことだろう。


「屋久島ですか、いいですね。僕も山登りをするからわかりますが、この島には九州でもっとも高い“宮之浦岳”という百名山があって・・・・・・、“白谷雲水峡”という『もののけ姫』の舞台になった場所や、樹齢1000年以上の”縄文杉”もあります。気分転換をするには、きっともってこいの場所です。僕も一度は行ってみたいですね」というような当たり障りのない、でも本心による言葉を伝えた。

 一瞬の間があって、「じゃあ、先生、来ませんか?」

「はいっ!、どういう意味ですか?」

「私、今度、妹のところへ行く予定なのです。旅館に住み込んで働いているので、そこに泊まろうと思っています。そのタイミングで先生も来ませんか?」


 僕の屋久島行きが急遽決定した。離婚した直後で、気持ちは塞いでいたが、時間的には実は暇だった。何かを吹っ切ろうと思って、この時期、僕はけっこう山に登っていた。僕もリフレッシュしたかった。だから、一も二もなく承諾した。

 久しぶりの独り旅である。休暇をしばらく取っていなかった理由を挙げ、大学病院に対して、「しばらく旅行に行ってくる」とだけ伝えて、僕は山岳ギアを携え屋久島へ向かった。


 まずはレンタカーを借りて屋久島内を探索した。次女さんに山好きな人を紹介してもらい、往復10時間をかけて宮之浦岳への登頂を果たした。リバーカヤックやトレッキング、温泉などを楽しんだ。120%の自然漫喫アクティビティだった。


 3日目の夜、誘ってくれた彼女たちと会食をともにした。まずは誘ってもらったお礼を述べ、屋久島の楽しさについての会話が中心だったが、どうしたってそこはお母さんの話しになる。

「母が頑固で融通が利かないので、私たち姉妹は苦労するわ。お父さんが生きていた頃はまだよかったのだけれど、死んでしまってからは、余計に私たちに干渉してくるのよね」という、まあ、わからなくもない不満だった。

「この調子でいたら私はいつ結婚できるかしら・・・・・・」と次女。


 姉妹の会話が進むにつれて、けっこう深刻な話題になってきた。

 長女が言うには、「実は、お母さんが私たち夫婦を別れさせようとしてくるのよ。夫のことが、すごく気に入らないみたいなのよね」

「ん、どういうことですか?」と僕は問いかけた。

「要するに、お母さんは自分の思い通りにならないのが嫌なのよ。私の主人は忙しい人だから、滅多に実家に寄ってくれないし、話しも聞いてくれない。それが気に入らないみたい。実際私たち夫婦もそれほどうまくいっていないから、余計割り込んでくるのよね」


 それは初耳だった。次女さんのみならず、長女さんにまでいろいろと口を出してくる、それから夫婦間もうまくいっていない。患者とはいえ、このお母さんの資質というのはいったいどういうものなのだろう。

 それにしても、僕の周りには恋愛の悩みを抱えている人のなんと多いことか。

「先生、うまく母に言ってください。娘にも人生があるっていうことを。それから、先生はどういうきっかけで離婚したんですか?」


 屋久杉の香りがしなかったら、屋久島ということを完全に忘れてしまうくらい現実的な話題へと突入してしまった。

 リフレッシュどころではなくなりそうだが、でも、僕が呼ばれた理由がなんとなくわかったような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る