第31話 食事へのこだわりのなさから:塩ケーキのおいしさ

 味覚について書こうと思うのだが、そうかと言って、料理や食事の何たるかを説こうというものではまったくない。

 というのは、僕自身、食事に何のこだわりもないからだ。レストランで普通に出される料理において、まずいと思ったことは一度もないし、何を注文してもおいしくいただける自信がある――もちろん、あえてゲテモノに仕上げているような料理は別だけれど。


 僕にとっての食事への評価は、「すごくおいしい」か、「おいしい」かのどちらかになる。そして、僕が「すごくおいしい」と思ったものは、世間的には「普通」という評判になり、僕が「おいしい」と思った店は「まずい」という査定がくだる。

「あのラーメン屋、おいしいよね」と格付けしても、「そうでもないよ」というふうに返されるし、「あの店すごくおいしいよね」と言っても「普通じゃない」ということになる。

 さらに言うなら、とてもおいしいとされる人気店の味を理解できない僕は、それを食べても「普通かな」ということになってしまう。「オマエに食べさせるのはもったいない」とよく言われる。

 好みの問題と言われればそういうことなのかもしれないが、実に複雑な味覚を有している。というか、単に味音痴なだけで、要は、食味の何たるかがまったくわかっていないことによる変な矛盾である。


「何でもおいしいと思うなら、それに越したことないではないか」ということになるが、プライベートで作ってもらった料理となると、少しだけ厄介な問題に発展する(ことがある)。

 女性から家庭料理を作ってもらうと、僕は間違いなく「すごくおいしい」と言うだろう。誓ってもいい、必ずそう返答できる自信がある。

「今日の料理の味、どう?」と尋ねられれば、そのたびに、毎回、判で押したように、「すごくおいしい」と答える。

「今日、何食べたい?」と聞かれれば、おそらくこれまた判で押したように毎回、「何でも、簡単なモノでいいよ」と答えてしまう。


 作り手からみれば、実に作り甲斐のない男ということになる。

“みぞれあんかけ豆腐ハンバーグ”を作ろうが、“エビと白菜の中華風クリーム煮”だろうが、“牛スネ肉のオムビーフシチュー”だろうが、結局のところ普通の生姜焼き定食と同じおいしさだ。

 それを指摘されると僕はきまって、「でも、いろいろとイチャモン付けられるより、黙って何でも『おいしい、おいしい』と言って食べてくれる男の方がいいでしょ」と説明するのだが、どう思うかは女性次第である。


 昔の彼女に、お手製のバースデーケーキを作ってもらったことがある。僕としてみれば、もうそれだけでお腹いっぱいという感じだが、もちろん「すごくおいしい」と言って食べさせてもらった。

 その後、彼女が一口味見をしたのだが、急に険しい顔になった。「これ、本当においしい?」と詰め寄ってきたのだ。

 僕は、「うん、おいしいよ、ただちょっとなんていうか、大人の味というか、甘さ控えめという感じかな」と答えた。

 スポンジ生地は正しかったのだが、ホイップクリームを作るときに砂糖と塩とを間違えていたのだ。


 数日前に、彼女の薦めで、僕は“塩パン”というものをはじめて食べた。

 おもわず、「しょっぱいパンだね」とびっくりしたのだが、「当たり前じゃない、塩パンなんだから。こういうパンもあるのよ。ワタシすごく好きなの」と説明された。

 一口目は、しょっぱいと感じて少し驚いたけれど、だんだんパン本来の甘みとバターとが絶妙にマッチしてきて、途中からはすごくおいしいと感じるようになった。あとをひく味だった。

 彼女は、やや塩がかった味覚が好みだということも理解した。だから今回のケーキも、スポンジ部分を甘くして、クリームはあえて甘みを抑えて作ったのではないかと考えた。

「あなたに与えるモノはなんでもいいのね」と冗談っぽく笑っていた。


 確かにバカ舌で、僕の味覚にはこだわりがないかもしれない。

 だから注文を決めるのがメチャクチャ速い。ファミレスなんかに入ろうものなら、メニューを開いたと同時に、ほとんど秒速で決まる。真っ先に目に飛び込んできた料理でいいからなのだ。


 僕の料理に対するこだわりのなさは、幼少時代における母の手料理の影響を受けている。

 こう言ってはなんだが、母は料理がとても下手だった。素材の味と言えば聞こえはいいが、とにかく調理法を知らなかった。野菜なら茹でるか炒めるだけ。魚と肉は焼くだけ。それを、塩か醤油かソースかマヨネーズか、いずれかの既製の調味料を付けるか、かけるかだけだった。味を調えるとか、専用ソースを作るとかいうことをいっさいしなかった。

 僕は、それが食事だと思って育ったから、大人になって食べた料理のおいしいことおいしいこと、料理ってこんなに手間暇かけて作るものなのだということを改めて知った。


 ただ、僕の食べられない食材は、梅干しと納豆だった。それから生卵がちょっと苦手だった。彼女は、これらすべてが大好きだった。

「あなた何でも食べられるし、何でもおいしいと言ってくれるのに、なんで日本人なら誰でも好きなものがダメなの。梅干しおにぎりと、納豆乗せご飯と、TKGを一緒に食べられないじゃない」と、いつも不思議そうな顔をする。

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