第32話 乗馬から:己の未来と彼らの余生とのオーバーラップ

 僕には“乗馬”という趣味がある。しかも、馬主という立場で一頭所有している。

 そう聞くと、なんとなくおしゃれとか、セレブとか、お金持ちとか、思うかもしれないけれど、そういうのとはまるで違う。

 福島県のこのエリアでは、馬を用いたイベントが毎年行われている。地元の人からは、「“神事”なのだから、お祭りとかイベントとか言って欲しくない」と強調されるが、間違いなくサムライの格好をしたコスプレ祭りであることは、まあ否めない。


 国の重要無形民俗文化財に指定されている『相馬野馬追』という伝統行事である。それに毎年出陣している。震災の翌々年からだから、7年連続で参加していることになる。

 甲冑を着て、太刀を携え、旗指物を背負い、馬にまたがって街を練り歩く。自分としては、非日常に浸れる素晴らしいイベントなので、毎年とても楽しみにしている。


 福島の医療支援に来た年の夏、はじめてこの野馬追を観覧した。それは炎天下の昼下りだった。うだるような暑さのなかで繰り広げられた、戦国絵巻さながらの“本気度いっぱいサムライコスプレ大会”に目を奪われた。来年は自分も出たいと。

 いろいろなご縁に恵まれ、それから僕の乗馬練習の日々がはじまった。ナメてたわけではけっしてないけれど、それはそれなりに努力と苦労の連続だった。

 自分の技術力もさることながら、動物とのコミュニケーションだから相性のようなものもある。当たり前だけれど言葉の通じない、何を考えているかわからないパートナーとの一体感を築くスポーツだ。


 難しかった。


 早朝、眠い目をこすりながら馬を厩舎から引っ張り出す。馬装をして、1時間ほど騎乗する。乗り終えたら馬体を洗い、小屋を掃除し、餌をやる。日々この繰り返しだ。

 そんなことをしていれば自然と愛着が湧く。愛着が湧けば可愛がりたくもなる。そうこうしていれば、「移住してきたわりには、どういうわけか野馬追に一所懸命になっているコイツに馬を託そう」という人が現れる。

 ということで、野馬追に出陣する目的で1頭の馬を譲り受けた。それは、引退した競走馬だった。

 競走馬が、いきなりお祭りで使えるわけがない。“馴致”といって、競走馬から乗馬馬にするための再調教をすることになる。ベテランの人たちの協力のもと、それが行われた。


 乗馬を習いはじめた理由として、野馬追を観覧することによって、自分もそれに参加したくなったという願望があった。単純と言えば単純な動機だが、でも、そういうシンプルな部分が人間にはあってもいいだろうし、この地で生活していて、それをやらない手はない。

 だが、実際に習いはじめてわかったことだが、どうやら僕が乗馬を上手くなりたいと願う本当の理由は、もっとずっと奥深いところにあった。

 それは、この街に送られてきた元競走馬への哀愁だった。

 これまで何となく想像していたが、競走馬の生涯をはじめて理解した。どれほど強かった馬でも、やがてその勢いは止む。勝てなくなった馬は、否が応でも登録抹消、引退という道を敷かれる。その競走馬としての生き様が、僕の人生ともオーバーラップするのかもしれない。


 僕が、かつて大学病院で培った業績やスキルは、この地での活動に対して、もちろん有益に働いている。しかし、大学という巨大組織のフロントラインにいた過去の自分からみれば、この地での己に――もちろん、それは自ら望んで来たわけなのだが――、何となく“一線を退いた”というか、“閉塞した過去からのリセット”というか、そういう想いがあったのではないかという気持ちに駆られる。


 厩舎からは、時折闘争的な嘶きが響く。狭い馬場にも関わらず、それでもそのなかで軽やかな駈歩をみせる。そんな姿を見ると、「遥か昔の競走馬時代を思い出しているのかな」というような感慨に耽る。

 馬たちは、この地に送られてきてからの生活をどう思っているのだろうか?

「馬の瞳は優しい」と言われるが、もちろん何も語ってくれない。「馬は優雅で美しい」と言われるが、もちろん、この僕に対して何も表現してくれない。指示に従ってくれることもあれば、反応しないこともある。反抗的な態度を取られることも度々だ。

 どんな姿になろうが、何歳になろうが、彼らには疾走していた若き日のプライドがある。馬であったとしても、いや馬だからこそ、人間との共存を承認したその日から、長い長い葛藤と折り合いとがあるのだろう。


 先輩たちは、「馬に負けるな」というようなことを言って、技術的向上のためのアドバイスをくれるが、その狙いとするところは、「早く馬との歩み寄りを図れ」という意味なのだろう。馬との一体感を得ることが何より大切なのだ。

 競馬会を退き、野馬追に出ながらゆったりとした余生を過ごしている馬に対して、“都落ち”だとか、“望郷”だとかの言葉を当てはめては少しセンチメンタル過ぎるかもしれないが、それでもどこか優美に映るのは、それが馬本来の自然な姿だからだ。


 いまこの地で僕が馬に焦がれる理由のひとつは、何となくの陰りをみせ始めた己の未来と、かつて競馬馬だった彼らの物憂げな余生とを重ね合わせてしまうからなのかもしれない。


 うまく馬に乗れるようになりたい。人馬一体を体験したいと切実に思う。

 それは、きっと僕が、ここに来た証のひとつになると思っているからで、ここでの医者の活動を通して本来の自分の姿を取り戻したいからである。

 そんななかで、「いつの間にかバランス良くなったね」とか、「この調子なら野馬追大丈夫だ」と言われれば、僕にも新たな目標が湧いてくる。もう少し、この地での活動を続けていきたい気持ちになってくる。


 それは、いまの僕にとって、何ものにも変えがたい希望である。

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