第121話 “モトカノ”から木痣間先生に贈る言葉 続き

 先日のとおりの報告を先生にしたところ、「肝心なことを言っていないではないか」という指摘のメールをいただきました。

「オレができる医者だったということは理解していたようだけれど、男としても、惚れるに値する人間だったということを言わなくてどうする」と、しかられました。


 そういうところは変わっていないようで、先生らしいと言えば先生らしい。懐かしい思いがしました。


 さて、では、その恋の部分について触れていきたいと思うのですが、はじめに言っておきたいことは、私自身に対して、「二股をかけていた」とは思わないでください。私も悩んでいましたし、私のせいで不幸にしてしまった人は、(先生を除いて)けっしてけっしていないと思っています。

 それから、そんなことを言ったら、先生は三股も四股だったかもしれませんので・・・・・・。


 いまになって冷静に考えると、先生は私のことを、からかいやすかったのかもしれません。いじめやすかったというか。

 言われた内容のほとんどが正しかったので、何も言い返せないことが多かったのですが、がんばって相手をしていたと思います。それでもフッと、とくに夜勤のときなんかには面白い話しをしてくれて、そんなときは夜中までくだらないことをしゃべっていたような気がします(休憩時間中です)。


 もちろん彼氏がいることは告げていましたし、それどころか、彼氏への悩みを相談したこともありました。もっとも、たいして不満はなかったので、どうすればもっと仲良くなれるかとか、どうしたらもっと頻繁に会えるかとか、考えれば贅沢な悩みだったと思います。

 それに対して先生からは、「会えない方が、会ったときの楽しみが増えるからいいんじゃない」というような、すごく真っ当な返答をもらった記憶があります。


 もしかしたら私は、先生と話したかったから、そして、自分の恋人を明かすことで、先生の恋愛観を探りたかったからかもしれません。じっくり話しをしてみると、そんなに嫌なヤツじゃないということが徐々にわかってきました。


 1年が経ちました。

 毎年年度末には病棟の歓送迎会が行われるのですが、はじめての配属でしたから私の異動はありませんでした。ですが、「新人さん、1年間お疲れさま」ということで、一応、壇上で挨拶をしました。

 先生から花束を受け取ったのですが、そこからの展開は、「第7話 看護師さんから」で述べられています。


 そのときの様子を詳しく説明すると、「機会があったら飲みでも連れて行ってください」と言ったことは覚えています。でもそれは、半分は社交辞令でした。それなりにお世話になった人ですから、それくらい言いますよね。言っても悪くないですよね。


 でも、そこからの先生の行動は速かった。「いまから行く?」ではなくて、「いまから行こう!」だったはずです。そうでないと、まるで私から誘ったみたいじゃないですか。私は、あれよあれよという間に連れ去られたことしか覚えていません。

 でも、嫌いだったら付いていくはずがありませんから、そう考えるとやっぱり好きだったのです。正直に明かします。私は、そうされる機会を待っていたのです。


 確かバーのようなところに行きました。

 緊張していたので、あまり飲めない私としては、少し飲みすぎかなって思うくらい飲んでしまいました。酔っぱらってしまって、後半はズケズケと本人を目の前にして、文句をあげつらってしまったように思います。先生は苦笑いをしながら、反論することなくそれを聞いていました。

 そして、最後に「まあでも、その甲斐あって、こうして二人で飲みに来れたんだから、自分にとっては嬉しいことだよ」ってなことを打ち明けられ、私はそこでまたドギマギしてしまいました。


 何度目の食事の後でしょうか、ホテルに行ったのは? そんなに期間はあかなかったと思いますので、次に会ったときには行っていたのではないでしょうか。

 病棟での態度とは違って、私に優しく接してくれました。

 恥ずかしいので全部は明かせませんが、先生のどこがステキだったかというと、手がきれいでした。長くてすらっとした指と、切り取られたような美しい爪の形と、適度な浮き加減の血管と、ゴツゴツし過ぎないナチュラルな肌の持ち主でした。


 仕事のときの先生は、相変わらず私につっけんどんな感じでしたが、白衣のポケットにペットボトルのお茶を入れていたり、お菓子をあげると喜んで食べてくれたり、寝ぐせを一所懸命なおしていたり、なんかカワイイなと思うところをいくつも発見しては、秘かに喜んでいました。


 会えるのは2ヵ月に1回くらいでした。病棟で二人きりになると、次に会う約束をしました。携帯電話で連絡を取り合うという方法もありましたが(いまなら『ライン』ですね)、なんかそういうものは使いませんでした。もしかしたら、私の彼氏に対する配慮だったのかもしれません。

 約束をしてから実際に会うまでの数日間は、どうにもこうにもウキウキが止まりませんでした。はしたないと思われますが、この時点から前戯がはじまっているように感じていました。


 そんなそんな、楽しい日々にもやがて終わりが訪れました。

 私にとって先生は、あくまで影の存在でした。先生もそれを理解してくれていました。「オマエは、いまの彼氏を大事にしなさい」と言われ続けてきました。もちろん、私も、彼を裏切るわけにはいかないと考えていましたし、もし万が一先生と結ばれたとしても、先生は私を幸せにしてくれるかどうか・・・・・・、たぶんものすごく不安に思っていました。


 別れの様子は「第89話 看護師さんから2」の項で、先生の言葉によって語られていますが、これに関して追加するとしたら、私にとって先生は、社会人としての成長の支えであったのはもちろん、人間として、あるいは女性としての意識をはっきりと目覚めさせてくれる存在でした。女子から女性へと、子供から大人へと、情熱よりも控え目を、自分をわかってほしいよりは相手をわかってあげることの大切さを知りました。

 恋って何なのか? 人を思うってどういうことなのか? せつなさや優しさってどういう感情から生まれるのか? そんなことを考え続けた4年間あまりでした。


 私は、先生と別れると同時に大学病院を辞めました。それによって、いっさいの連絡が取れない状況になりました。お互いの連絡先の交換をせずに別れた理由は、きっとそうすることによって、はっきりとした離別を自らに課したかったからだと思います。

 大学を辞めたあとの数年間は地元の小さな民間病院に勤め、しばらくの後、私は彼氏と結婚しました。そして、妊娠をきっかけにいったん仕事から離れました。


 そして、産休と育休を経た後に、実は一度、大学に復帰したのです。これに関しては、ただ単に家計のためという理由が大きかったのですが、もう一度先生に会いたい、という気持ちがあったのか、なかったのか・・・・・・、それはわかりません。いえ、「わからない」と思い込もうとしていました。


 運命なのでしょうね、私の復帰とほとんど同じくらいの時期に、先生はイギリスに旅立ちました。

 先生の文章にも触れていたように、最後に一度だけ、病院の会計窓口の前の椅子に座っている先生を見かけました(後で聞きましたが、イギリスに行くための準備で検診を受けていたそうです)。


 一瞬の驚きの後、先生は何かを言いたそうでした。ですが、私は笑顔だけを残して立ち去りました。女性は“上書き保存”、これはもう過去のことなのです。


 以上で私の独白を終わりにします。私の大切な大切な木痣間先生・・・・・・、愛してくれてどうもありがとうね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る