第120話 “モトカノ”から木痣間先生に贈る言葉
木痣間先生(と木痣間先生のお書きになられている小説サイトの読者さん)へ:
先生お久しぶりです。
そして、はじめまして、私は、以前に木痣間先生とお付き合いをさせてもらっていた女です。
といっても、それはすでにウン十年前のことで、今となっては、思い出以外何もありません。
現在私は、夫と二子の母親として、ほとんど不自由のない生活を送っています。夫は、ただの会社員ですが、真面目で働き者です。子供は、息子は大学生、娘は高校生なので、まだ少し手がかかりますが、のびのび育てています。
私はというと、下の子が高校に入学したことをきっかけに、2年前から看護師の仕事をパートタイムですが再開しています。家計を助けるというというより、家にいるより働いていた方がいいと思いましたので。
この度、久しぶりに木痣間先生から連絡をいただき、当時のお付き合いについて、今、何を思っているかを告白して欲しいと言われました。いや、正確を期するならばメールなので、「書かれていました」ですね。
そんなことを突然言われても何を書いたらいいのか戸惑いますが、いろいろな意味で木痣間先生にはお世話になりましたので、ここにこうして当時を思い出しながら語ってみたいと思います。もしかしたら少しはしたない物言いがあるかもしれませんが、若気の至りということで、どうぞご寛大な対応をお願いできればありがたいと思います。
それでは独白に入ります。
看護師資格を取得した後、はじめて経験する現場として、私は大学病院を選びました。忙しくて大変であろうことは容易に想像できましたが、まずはそういうところで実績を築きたいと考えたからです。なかでも、“難病”と呼ばれる、どちらかというと肉体労働に近い仕事を余儀なくされるような患者さんの多くいる病棟を志望いたしました。
それが運命だったかもしれません。その病棟をメインとする診療科のひとりに、先生はいました。先生は、確か医者になって3年目でした。
私の第一印象は、背が高くてスラッとした先生がいるなということでした。顔はどうだったでしょうか? 可もなく不可もなくといった感じだったと記憶していますが、池田聡って知っていますか? 『モノクローム・ヴィーナス』という曲のヒットした歌手ですが、その人に似ていると思いました。よく言えば、いまでいうところの佐々木蔵之介でしょうか。
しかしながら、性格はというと、はっきり言って良いとは言えませんでした。威張っていて横柄で態度がでかい。私の方がずっと若かったですけれど、「なんて生意気な医者なんだ」と思いました。
私たち看護師に対しても口が悪い、まあ、ひとつ質問すると、十になって返ってくるという感じでした。
「この患者さんのいまの状態と治療方針を教えてください」と尋ねると、「キミはどう思っているの?」からはじまり、「何も考えないで質問しないで!」と返ってきます。カチンときた私は、それ以来、自分なりに回答を出してから先生に尋ねるようにしました。
でも、それに対しても、「どうしてそう考えるの? 根拠は? いまのキミが示した治療方針で本当に患者は良くなると思う?」なんてことを言われ、「医者じゃねーんだからわかんねーよ」と、同期の友だちによく愚痴っていました。同期は、「そぉ、そんなに悪い感じじゃないけどねぇ」なんて言って取り合ってくれなかったようにも記憶しています。
だから、私にとって先生の印象は、必ずしも良いものではありませんでした。どちらかというとかなり悪い。でも、不思議と怖さは感じませんでした。
半年くらい経ってからでしょうか、そんな先生に対する不思議さを感じました。
どうも冷静に考えると、いや考えるまでもないことでしたけれど、先生の担当した患者さんは、もちろん不運にして亡くなる人も多かったのですが、でもどう考えても良くなる確率が高いように感じました。
(病名は明かせませんが)「この患者さん、残念だけど助かんないよ」と思っていたのですが、ねばってねばって、がんばってがんばって、1ヵ月後には立って歩けるくらいになりました。
この人の診療は、他の医者とちょっと違うなと思いました。それは言うまでもなく、患者さんと真剣に向き合っていたからです。先生は、平日の夜中まではもちろん、日曜祭日にも必ず病院に来ていました。
いると、また何か悪態をつかれるのではないかという気もしましたが、でも私は、先生がいるとなんかホッとした気持ちになりました。先生が宿直の日は、仕事のモチベーションが上がっていたように思います。きっと先生がいれば、病棟で何かあっても安心だと心のどこかで思い始めていたのかもしれません。
そんなある日、先生からこんなことを言われました。
「あれっ、○○さん(私の名前)、今日は髪をアップにしていますね。どういう心境の変化かな。なるほどナースはうなじが大切だから、そこんところはもう少しきれいにまとめてね」と。
なんてヤツなんだ。いまだったら、完全にセクハラでアウトだろうけれど、当時はやむを得ない。
先生は、はっきり言って“女ったらし”でした。少しカッコいいと思い始めていた自分を恥じ、その気持ちを全面撤回しました。
やっぱりコイツはダメな医者だ。どんなに診療に優れていようが、性格がねじ曲がっていて、女好きでは話しにならない。
もうこの人には近づくまいと思い、私は別なルートを使って地元に彼氏を作りました。高校時代の友だちの紹介によって出会ったその人は、ちょっと強面でしたけれど、内面はとても真面目で優しそうな人でした。
それから私は、仕事に没頭する毎日になりました。ナース1年目で学ばなければならないことは山積しています。幸い、先輩には恵まれ、優しく丁寧な指導を受けるに従い、少しずつですが業務にも慣れていきました。
経験を積んでいくことで、自分の看護というものをだんだん確立していきました。彼氏とは頻繁には会えませんでしたが、それは充実した日々でした。
それでも、それでもきっと私は、先生のことをどこかでずっと好きだったのかもしれません。
変なことを言うようですが、いまの私の立場は、先生の“モトカノ”ということになります。私の若い頃には、そんな言葉はなかったと思うのですが、木痣間先生と別れて、だいぶたってからこの言葉が生まれました。若者言葉でしょうからね。
マセてきた娘から、「お母さんって、お父さんと結婚する前に“モトカレ”っていたの?」と尋ねられたことがあります。
“モトカレ”、“モトカノ”って、軽いけれどなんかいい響きだなって思います。
この歳になって言うのも恥ずかしいのですが、木痣間先生のモトカノなんです、私って。娘にも「もちろん、いたわよ」と答えました。
お便りが長くなってきました。感じの悪かった先生とどうして恋に落ちたのか、その続きはまた後ほど報告します。まあ、ひと言で言えば、まんまと落とされたってだけなんですけどね。
木痣間先生、被災地にいるとうかがっています。やっぱりあなたは、変わらず患者さん思いなんですね。いつまでたってもあの時のままなのでしょうか?
ますますのご活躍を願っております。
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