第106話 “キツい女性”の裏側

 どんな職場でも1人くらいは必ずいるであろう・・・、“キツい女”というのが。


 僕らのような職種には特にいる。女性の多い職場だし、命を預かる現場だし、一分一秒を争う状況だし、そんななかで俊敏に反応し、機転を利かせる人間がキツくないはずがない。


 “研修医あるある”だが、僕が研修医のころにもそういう看護師がいて、「いじめられた」と言うと語弊があるが、適切なお叱りというか、適度な指導を受けてきた。

「いったいどういう方針で治療するんですかぁ?」とか、「わからないなら上の先生と相談してから指示くださいね」とか、例を挙げればキリがない。


 そんなときは、多少へこむことはあったけれど、「まだまだ自分が未熟なのだから仕方がない。現場での熟達度は彼女らの方がよほど長けている。反省しつつも、医師としてのキャリアを積み、謙虚な気持ちでまた明日からがんばろう」・・・・・・という、まあきれい事はいいとしても、僕も人間だから、「あの人、めちゃくちゃ怖いよね」というようなことを同僚にグチることはあった。


 さらに、当時の直接の指導医(5年上の先輩)に対してまでも、「ちょっとあの看護師さん、怖くて生意気じゃないっすか?」みたいなことをしゃべってしまったこともある。

 先輩からは、「普通じゃない・・・」ということで、軽く受け流されてしまった。「いや、あれは確かに感情的になっていますよ」という、僕のさらなる指摘に対しても、「オマエなぁ、まだオマエが未熟だからだろ・・・。悔しいなら、いい医者になることだ」と、これまた、わかったようなことを言われた記憶がある。

「先輩はデキるベテラン医師だから怒られることはないだろうけれど・・・、こっちは」、なんてことを思ったけれど、ただ、そういうピリついた人がいることで、現場が締まるという場合があるし、適度な緊張感が生まれるというメリットもある。

 “必要悪”と言うと言い過ぎだし、失礼になってしまうが、でもそういう効果は確かにあった。


 やがて、こんな僕でも少しずつ経験を積み、研修医が終わるころには、多少は信頼される医者として成長していった。患者の急変に対しても、ある程度は適切に対処できるようになった。

 それにつれて、彼女との距離も少しずつ縮んでいった。


 僕は、何度か彼女の家に、しかも個人的に招待されたことがあって、そのときに振る舞われた創作料理的なものと、手作りの“カラシ入り明太子マヨネーズ”の味わいと、舌触りとが忘れられなくなった。マヨネーズというものは、自分流にアレンジして作ることができるということを、はじめてこのとき知った。


「僕に気があるのか?」と、一瞬思った時期もなくはなかったが、厳しさは相変わらずだった。

 なにゆえ、この人はそれほどキツいのだろうか? 職業的使命感や人道的責任感というのとは少し違う気がした。キツくあたられるたびに、ますます彼女に関心を抱くようになった。


 医者になって5年目くらいだったか、飲み会の席か、医局旅行のときか、はっきりは覚えていないが、じっくり彼女と話しをする機会を得た。

「看護師の仕事って、やっぱり医者から指示されないと何もできないのよね。だから、そうした指示が明確でないと、『どういうこと』って思っちゃうわけ。自分で考えて、自分で判断して、自分で行動できる仕事の方がよかったかなって思うことがけっこうあるわ」


 看護師といえどもそういう役割ばかりではないと思うのだが、彼女にとって、指示されて動くという職種は向かなかったのかもしれない。


「ああそう、でも、看護という分野においては、やり方次第によっては自ら計画して動くこともあるんじゃないの・・・・・・。それとは別に、僕自身も“さゆりさん”のおかげでけっこう成長できたと思うんだよね」

 いまの素直な気持ちに、嘘はなかった。


「それでね、木痣間先生、ここだけの話しをするけど・・・。ワタシ、看護師を辞めようと思うの・・・・・・」

「えっ、突然! なんで!! 辞めてどうするの?」


 彼女によると、辞めるのは以前から計画していたことで、辞めた後は小料理屋を開き、そこの女将として店を切り盛りするのだそうだ。そのための準備金も用意してあって、テナント物件もすでに決まっているとのことだった。


「そうなんだぁ、自分のやりたいことを自分の手でやりたいって言っていたものね。料理も上手だったし、準備していたのね」

 少し驚いたけれど、決断した彼女の考えには納得のいくものがあった。


 風の便りで知ったことは、小料理屋を立ち上げるために、僕のかつての指導医がけっこう多額な出資をしているということだった。

 その先輩と彼女とがどういう関係だったのかは知るよしもないが、僕が先輩の直接の部下ということで、特別に目をかけてくれたのか、先輩から「アイツは調子に乗りやすいからたまには締めてくれ」と言われていたのか・・・・・・、きっとそうなんだろう、だからわざとキツくあたっていたのだ。

 家に招いてくれたことも、料理の味を吟味してもらうために一般客として試食してもらったということで、すべては彼女と先輩との戦略だったのかもしれない。


 オープンした小料理屋を訪ねた。そこには、いままで以上に溌剌とした着物姿の彼女がいて、「これサービス、あの時のお礼よ」と言って、一杯の升酒とマヨネーズ付きの一品料理を出してくれた。

 感謝したいのはこっちの方だ。指導医が言えなかったことを彼女が代弁してくれていたおかげで、きっと僕の研修期間は充実したのだ。


 “キツい女”と見られがちな女性にも、その人なりの理由があり、相手のことを思ってということがあるかもしれない。数十年経って想い出す人というのは、やはりそういう人だ。

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