第42話 女性の魅力から:能役者の色気
女性に対してどういうところに魅力――“色気”と言ってもいいが――を感じるかというと、それはもちろん基本的には容姿であったり、優しくて気さくな性格であったりというところかもしれないけれど、年齢とともに変わっていった部分もあるということに気が付いた。
10代から20代前半くらいまでは、単に谷間の見える服を着ているとか、高いピンヒールを履いているとか、そういう単純な部分に魅力を感じていたが、もう少し大人になってくると、いわゆる“パーツ”に色気を感じるようになった。
胸の谷間より“鎖骨頭”とか、細い脚より発達した“ふくらはぎ”とか、そういうことである。あるいは“うなじ”だったり、“二の腕”だったり、“肩甲骨”だったり・・・・・・。言ってみれば“フェチ”と呼ばれるような部分である。
見えそうで見えないメンテナンスの盲点というか、そういう女性としての影の部分に興味が湧いてきたということである。
肌や髪に“質感”があるかどうかというのも重要で、要するに、手間をかけた綿密なケアが行き届いているか否かをチェックすることで、色気があるかないかがわかるようになった。
“女子”から“女性”になるのもこの頃なので、切り替えに成功した人とそうでない人とがはっきり区別されてくるのもこの年齢だ。“女性”と呼ばれるか“オバサン”と呼ばれるかの分かれ道である。
さらに、もう少し年齢を重ねて30代くらいになると、マナーがしっかりしているかどうかとか、モノの扱いを丁寧に行っているかどうかが色気の判断になってきた。わかりやすいところで言うと、公共の場で姿勢よく座ったり、お箸の持ち方が美しかったりするかどうかである。
意識をしていれば、誰でも所作や言葉遣いを取り繕うことはできるが、ふとしたときの本性によって明暗が分かれるということだ。
40代になると、“感情”あるいは“情緒”という部分での評価が加わった。
いつも笑顔でポジティブ、感情に浮き沈みがなく安定している女性に大人の魅力を感じるようになった。急に不機嫌になったり、取り乱したりするようでは、到底色気のある女性とは言えない。
自分を棚に上げて、男の身勝手を語っているが、要は、見た目を重視していたということである。
あの女性を知るまでは。
知人の紹介で、“観世流能楽師”の女性と話す機会を得た。年齢は35歳、能役者である。
着物姿で現れたその女性は、瓜実顔の一重まぶた、パーツは小さく色白、背はあまり高くないけれど、背筋の通った人だった。長い髪を後ろ手に束ねていた。
「はじめまして、能役者の渡瀬です」
その一言によって、空気は一瞬で張り詰めた。
緊張しながら、「木痣間です。大学病院で医師をしています」
「お医者さまの日々のご努力に感謝しております。なかなか大変なのでしょう・・・・・・」
そう切り出された彼女との話しは、淡々と進んだ。
彼女のオーラは、すべてにおいて感度がいいというか、鋭敏というか、研ぎ澄まされているというか、そういう感覚がした。
「目に映るもの、心に浮かぶものを芸に取り入れよ」という教えにしたがい、日の光、風のざわめき、雨だれの音、季節のうつろい、人との対話、そうした自然の営みに心を寄せ、五感の感応を養っていくことを大切にしているということだった。
能の演技は、何百年も変わらない“型”によって構成される様式美だ。
形をなぞるだけだったら誰が演じても同じになると思われるが、もちろんそうではない。演じる人が、内面にどれだけのものを込めるかによって、観る人をどこまで物語の世界に引き込んでいけるかどうかが決まる。
普通の芝居や演劇というのは、セリフ、動き、舞台装置、音楽、照明、どれをとっても溢れんばかりに説明的で、何かを伝えるためのエネルギーがものすごい。だが、能の型はあらゆることが抑制的で、極限まで簡素化されている。
『シオリ』という悲しみを表現する型があるが、額のあたりに手をかざし、涙を隠す。大袈裟に号泣する表現は興醒めで、涙を隠すという抑制された表現にこそ、観る者の共感が生まれる。
外に向けて発散するのではなく、内に向けて抑制するのが能の表現法である。
ひたすら型を習う。演劇とは違ってセリフ回しや動きによってオリジナリティを出すということのない世界である。そんななかで一体何を表わせるというのだ。
最小限の動きに制限された環境下において、ジレンマと葛藤とで、もがき苦しんでいる様子が彼女から伝わる。
とことんまで閉じ込めた内なる躍動、それが色気につながっているのだ。
「木痣間先生は、自然体ですね。自由な発想をお持ちな不思議な人です」
よくわからない評価にどう答えていいかわからなかったが、僕の得体の知れなさがバレていることだけは確かだった。
能をはじめたきっかけや日々感じていることをもう少し詳しく尋ねたかったが、「能とは何か?」という問いかけは、「人とは何か?」という問いかけと同じなような気がして、終わりがないように思った。
それでもまっすぐにひたむきに稽古を繰り返す。能役者とはそういうものだった。
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