第94話 僕が泣いた唯一の手紙から:手紙によって運命が変わることもある
人を好きになるスタイルはそれぞれだろうけれど、僕というのはほとほと不器用で不誠実な人間である。切なくも狂おしいほどの恋に憧れていた時期もあったが、わが身にこんなことが起ころうとは・・・・・・。
イギリス留学中に郵送されてきた、ある女性からの、言ってみれば“ラブレター”というか、“告白文”というか、“誓約文”を紹介する(長いと思ったら途中でやめてください)。
これは、自分のモテるアピールでも、のろけでもなんでもない。内省とともに、己への懺悔と自戒である。大きく人の道を踏み外さないよう、20年以上経ったいまでも、僕はことあるごとにこの手紙を読み返す。
第69話「イギリス留学から」を把握した方が、この手紙の本質を正しく理解できると思うので、まずはそちらをご一読いただければありがたい。
手紙で泣いたことは、僕の生涯で一度だけだ。
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私の最愛の人へ:
こんにちは、お久しぶりです。
無事にイギリスに着いたでしょうか。逢えなくなってほんの少ししか経っていないのに、もう随分と長い間逢っていないような気がするのは私だけですか? この分だと、これからの私の2年間は、自分がどう過ごしていったらいいのか、まったく見当がつかず、不安で一杯です。
やれやれと思って、あなたは苦笑しているでしょうね。
あなたが2年間過ごしていくイギリスは、今、どんな景色が広がっていますか? 「エジンバラは田舎だよ」と、以前あなたが話していたように、とてものどかな自然が目の前いっぱいに広がっているのでしょうね。
日本から半日以上かけてやっと辿り着くイギリスに・・・・・・、遠く離れてしまった現実を改めて実感しています。
今まで一緒に過ごしてきた5年間は、年数にすると長いかもしれませんが、私にとっては、あっという間の短い時間でした。いろいろなものを一緒に見て、聴いて、感じてきました。あなたは、私と過ごしてきたこの時間、楽しかったですか?
私は楽しかったです。ときには悩んだり、落ち込んだり、悲しい気持ちになったこともあったけれど、やっぱり一緒にいて良かった、そう思っています。
離れていても、気持ちは一番近くにいたいと、私は思っています。
これが私の出した最終結論です。
お互いの結婚を機に、あなたから離れていくことが正解なのかもしれません。あなたが私のことを嫌いになるように、あなたが悩まず、苦しまずに、私から離れていけるようにしてあげることが、私があなたにできる本当の愛情なのかもしれません。
でも、気持ちの方向を変えてしまうことは、やはり無理でした。何度も何度も悩んだけれど、どんなことがあっても、やっぱりあなたと一緒にいたい。この気持ちを大切にしていきたいと考えました。この感情が変わらないことは、5年間一緒にいたあなたななら身に染みてわかるでしょう?
私の人生のなかで、あなたは私の一番大切な最愛の人です。どんなに時が経ったとしても、自分の人生を、一歩ずつあなたとゆっくり歩いていきたい。
あなたは、どう考えていますか? あなたが私を想っていてくれるなら、あなたが私のところへ戻ってきたいと願っているなら、私はきっとこれからの2年間、あなたのいない時間を頑張って過ごしていけると思います。
気持ちが重くなっちゃったかな?
この手紙は、私の本当の気持ちを知って欲しくて書きました。以前あなたは私に、自分のどこが好きなのかを尋ねたことがありました。答えは、やっぱりその時の答えと同じで、嫌いなところごと全部が好きです。
一緒にいて自然体でいられるから好きです。同じ空間にいて、何も話さなくても、その空気が心地良くて、たとえお互い違うことをしていても離れてバラバラになった気がしない。同じ物を見たり聴いたりして、感じたことが多少ズレていても、それがすごく新鮮で、一緒にいるのが当たり前と思える。嬉しかったことや、今日あったささいな出来事を真っ先に伝えたいと思うのは、あなただけだから。この気持ちは何年経っても、何十年経っても変わらない。人の気持ちはいつか変わってしまうことがあるけれど、私の気持ちは一生変わらない。
どんなにつらくても、苦労をしても、私はあなたを信じたい。自分の人生をかけて一緒に歩いていきたいと思ったたった一人だから、いつかあなたの人生を一緒に歩かせてください。何年かかっても待っています。
わがままで何て頑固なのだと思ったでしょう? でも、私が、私の意志で決めたことだから決意は変わりません。1年後イギリスに逢いに行くから待っていてください。それまでがんばって研究をしてください。離れていても、いつもあなたのことを思っています。
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一気には読めなかった。そして、僕は、何度も嗚咽をもらしながら泣いた。
いま読んでも、そのときと感情は変わらず・・・・・・、途中で何度も噎びそうになる。
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