第108話 走り続ける理由
僕らが毎週行っているジョギングの参加者のなかに、60代の男性がいる。
週一回の定期ラン以外に、ほぼ毎朝ジョグペースで8キロ程度を走っているとのことだった。近隣で開催されるマラソン大会にも積極的に出場している。
スリムな体つきで、余計な脂肪分などほとんどない健康的な細マッチョな体は、60代とはいえ見事だ。
僕なんかはまあ、太りたくないし、できれば身軽でいたいし、言ってみれば、見てくれを気にして走っているのだが、彼は結果にこだわっていた。きちんとしたマラソン大会に出場し、上位を目指しているのだ。
そうなってくると、同じ走るにしても本気度が違う。当然、走りに対する向き合い方も違うし、日頃のメンテナンスも異なる。当たり前のことだ。
なぜ走るのか?
いろいろ考えるけれど、僕においては、先に述べたように、要するに少なくとも走らないよりは走った方が体を軽く保てるし、何をするにおいてもフットワークを軽くすることができる。見た目も痩せていた方が何かと都合がいい・・・、というような曖昧な理由である。
彼も「いろいろある」とは言っていたけれど、「60代でフルマラソンを走れるという人は少ない。それを自分ができるということは、何にしても誇りを持てるということが最大の理由だ」と説明してくれた。
「素晴らしい」と言うしかないのだが、続けて打ち明けてくれた理由は、「カッコ良く言うと、やっぱり自分がそこで輝けるから」というものだった。
はい、それならなんとなくわかります。
承認欲求というのは自分にもある。こうして、毎回毎回飽きもせず駄文を書き連ねているのは、1人でも多くの人に読んでもらいたいという欲望があるし、あわよくば、エッセイストして文筆活動を副業にしたいという秘かなもくろみがあるからだ。
男には、いくつになっても輝きたいという根源的な欲求というか、野望というか、俗な精神がある。凡人が何かをなすには、実はそうするしかない。この歳になれば、黙っていて目立つなんてことはあり得ない。自分を過信することほど、愚かなことはない。
だから、「どんな目的であろうと地道な努力を積んでいることの何が悪い」という開き直りで行動している。
僕にとってはあくまで息抜きという部分が多かったので、ジョギングをハードに継続するという、常人にはできないような所業を繰り返している人のことをどこかで蔑視していた。が、しかし、基本的な部分では自分と同じ理由を有していることがわかった。
それは、己にとっての誇りというか、プライドというか――それは人それぞれだろうけれど――、いまの自分に飽き足らない人たちにとっての、せめてもの自尊感情というか自己肯定というか、もっと言うと“抗い”なのだろう。
「目標は、次の地元大会で、60代のグループで1位を取ることだ」と明確に語ってくれた。
「ああ、それからもうひとつあるね」
最後に本当の理由を明かしてくれた。
「定年までには少しあるけれど、仕事を最後までやり遂げたいから。いま何か病気になったとしたら真っ先にリストラの対象にされるけれど、体を丈夫にして仕事で貢献していれば、何かあったときに簡単には見捨てられないと思うから」
彼も、僕と同じシングルだった。もともと未婚なのか、別れたのかは尋ねなかったけれど、とにかくいまはシングルなようだ。最後に頼りになるのは、やはり自分の身体以外にない。
ジョギングは、生き抜くために自分でたどり着いた最終解答だった。
そう言われると、ジョギングのようなキツい運動に対しては、「何かを課す」という意味合いがある。ツラい行為と引き換えに、何かに救われたいという気持ちがある。あるいは、悩みや苦しみをどこかで解消してくれるのではないかという、わずかな望みがある。要は、修行みたいなものだ。
楽しくなければ続かないという習慣もあるかもしれないし、そういうもののほうが大部分だろうけれど、苦しいからこそ続けられる(続けなければならない)習慣もあるということだ。
彼のジョギングは、何から何までけっこう僕とそっくりだった。だから僕も、なんだかんだ言いながら続けているのかもしれない。
60歳になっても自分はまだ、走り続けなければならないのだろうか。
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