第18話 二人の研修医から:つまらない大人にならないように

 僕も指導したことのある元女性研修医が、30歳になったときに書いたSNS記事である。若者が大人になるときに感じる想いが綴られている。ちょっと長いが引用したいと思う。


「若いからなんでもできる」、「若いって羨ましい」。こういうたぐいの言葉をかけられたことはあるだろうか。私は20代前半のときによくあった。

 この言葉に勇気づけられたのは事実なのだが、同時に老いのプレッシャーが生まれた。若さを失ったら価値はなくなるのかと。特に女性はこの種のプレッシャーに晒されている。いまの世の中は若さを過大評価して、老いへの敬意が失われているように感じる。若さへの賛美さんびが行き過ぎると、相対的に若者は、老いに対して、恐怖と忌避きひとの念が生まれるのではないか。

 歳を重ねたときにすることは、若者を鼓舞こぶし、賛美し、せき立てることではなくて、カッコいい老いをロールモデルとして示すことなのではないか。

「若ければなんでもできる」は嘘だ。若いからできないことも、若いから大変なこともたくさんある。まずお金がない。お金がないということは時間も案外ない。経験がないからとんでもない失敗をする。自己分析ができないから得意不得意がわからない。

 逆に、老いることで、できるようになることがある。試験勉強をしていて気付いたが、歳を重ねた方が忍耐力や理解力が増している。積み重ねた知識と経験とがあるからだ。

 また、人を許せるようになったし、他人に優しくなった。失敗を繰り返してきたことで、多少のしくじりなんかでいちいち落ち込まなくなった。

 というわけで、私は、自分より年下の人に対して若さの賛美はしない。その代わりに、人生を重ねることの価値を見せている。そっちの方が長い目でみれば、若者に勇気を与えると思っている。

 20代の女性に言っておく。歳を重ねると、いま大変なことが案外すんなり乗り越えられるようになるよ。30代は最高だよ。


 実に素晴らしい。大人としての深い洞察力に感服する。僕が30歳になったときに、こんな達観した考えを抱けたであろうか。無理だ、けっして抱けなかったと思う。

 自分が30歳のときは、大学院に進んでいた頃で、狂乱の時代だったから年齢を考えている余裕などなかった。だから僕は、いつの間にか歳を取って、気付いたときは大人になり損ねていた。

 そして、形だけ大人になってしまった。


 もうひとりの研修医の話をする。

 これは僕が、「ギリ大人を演出できて救われた」と思える事例である。

 大学病院を辞めたときだ。自分の正当性は別にしても、いずれにせよ大学に迷惑をかけたので、辞する覚悟を決めた。以前にも述べたが、それは40代のことだった。

 辞めて少し経った頃、若者との雑談のなかで、自分のキャリアについて話す機会に遭遇した。新しい福島県の勤務地でも、若手を受け入れていたからだ。

 そのとき、これまた30手前くらいの研修医に言われた言葉が、「でも木痣間先生、つまらない大人になる前に辞めてよかったんじゃないですか!」だった。

「大学には、くだらない医者もいますから。オレがそうだったら即効辞めてます」というものだった。

「たしかにね・・・・・・」


 世の中にはいまの地位にしがみつきたがる人がいる。とっくに自分の役割を終えているのに、会社にしがみつき、鬱陶しがられながらも居座り続ける人がいる。

 それは辞めるに辞められない大人の事情があるかもしれない。守るべき家族がいる。家のローンが残っている。世間体が悪い。権威を失いたくない。そういう理由があるということは十分理解の範囲であるが、それが大人の対応かどうかは意見の分かれるところだ。


 去り際の美学というか・・・・・・、よく言われるように、いつの時点でも、どんな立場でも引き際がある。僕の場合は、ギリギリ大人になれたと自分では思うのだが、それでも辞めることを申告してから年度末までの半年間は、けっこうつらかった。

 徐々に教授からは無視されるし、同僚の態度は冷ややかになるし、後輩は腫れ物を触るように振る舞う。“粛々”という行動の大切さを痛感した期間だった。


 辞めたほうがいいだろうと思ったから、僕は、その意思に素直に従い辞める決断をした。そこに、それほど深い考えはなかった。だから、居座ろうと思えば、そうできなくもなかったようにも感じる。

 でも、僕は辞めたし、結果的にそうすることによって大人でいられたように思う。先の研修医の意見に従うならそういうことになる。

 一歩間違えれば判断を誤った可能性はあったのだが、嫌気がさしたからでも、潮時を感じたからでもなんでもいいのだが、偶然にせよ、“辞め時”を見誤らなかったのは良かった。


 大人になるのはけっこう難しいことだ。カッコいい大人を演出し、若手に対して、自分の人生を重ねてもらえるような価値を示せればそれに越したことはないけれど、そんなことを考えているうちはきっとまだ子供なのだろう。

 深く考えるより、なんとなくでもいいから、自分の意思に素直に従うという行動のほうが、僕にとっては大人になれるような気がした。

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