第24話 夢から:医者になるってなんだろう
皆さんは将来の職業をどうやって決めているのだろう? それは本当に、夢の実現になっているのだろうか。
大学時代の就活で決定するのが一般的だろうけれど、早い人は、高校生くらいから専門学校を選んだり、なかには芸術やスポーツの道を志したりする人もいる。
僕らの仕事は、どちらかというと後者の部類である。医者というのは、大学に入学した時点で選択の余地はない。医学部というのは医学専門学校と言ってもいい。
そういう意味で、医学部を卒業したにもかかわらず医者にならないという人は、まずいない――医師国家資格だけを取得して、“臨床医”にならないという人はまれにいるが。
すなわち、高校生の時点で自分の生涯の職業を決めるということだ。
僕の場合は、はっきり言って暗い高校生活だった。県立の男子校で、流行の音楽はよく聴いていたものの(高校時代における唯一の趣味)、クラブにも属さず、何かに打ち込むこともなく、ゲームセンターに通い、漫画を読んで、アニメを観て、適当に友達とダベるだけの毎日だった。文化祭だけを楽しみに3年間通ったが、女子に声をかけるなんてことは、いっさいできなかった。
成績はどんどん降下するなかで、惰性で時を過ごし、気づくと受験シーズンを迎えていた。
そんな怠惰な男子高生が医学部を目指すという暴挙に出た。
シュヴァイツァーや野口英世の伝記を読んだからではない(読んでいない)。親族が身近で亡くなったわけでもない(亡くなっていない)。“国境なき医師団”のNGO活動に憧れたという理由でもない(当時は、存在すら知らなかった)。成績、お金、名誉という動機でもいっさいない。もちろん、夢でもなんでもなかった。
しいて挙げるなら、父親が獣医師だったので、動物よりも人間の医療に魅力を感じたという何の根拠もない、たったそれだけの理由だった。他に特別な才能があるとは到底思えず、消去法にて医学部を選んだのかもしれない。
そんな高校生だから現役の時はあえなく玉砕、すべての受験に失敗し、浪人生活が決定した。親だけは多少慰めてくれたけれど、でも、落ちた叱責のほうが大きかった。
だから孤独だった。友人なんてものは卒業とともにバラバラとなり、たまに電話連絡を取り合う程度で、何の励みにもならなかった。
“宅浪”は相当つらいだろうと思ったので、親に頼んで、東京での予備校費を捻出してもらった。埼玉から毎朝、東武東上線と山手線を乗り継ぎ、高田馬場まで電車通学をすることになった(これまた親不孝なことに、途中から通わなくなってしまったのだが)。
そこには僕と同じように、大学受験に失敗した高卒生がワンサカいた。若者ばかりではあったが、なかには年齢不詳の人もいて、たばこは吸うわ、怪しげな本や音楽を聴くわ、なんだか訳のわからない格好をしているものもいた。
来年の目標を見据えて活気のある学生もいないわけではなかったが、どこかどんよりした雰囲気が漂い、カラ元気と挫折感との微妙なコントラストのなかで、授業がはじまった。
いま考えるとそこは独特な場所だった。肩書きのない、アイデンティティのない、親のパラサイトという社会的底辺の立ち位置で、勉学だけを強いられる。不安とプレッシャーと孤独の毎日だ。
どこに行っても、何をしても構わない、でも、合格ラインに至らなければ、来年もまたこの場所で、いまと同じ生活を余儀なくされる。
無限ループのなかで、自分の裁量だけで判断し、行動する。応援してくれる人はおろか、見てくれる人もいない――家庭によっては、親が多少応援してくれるだろうけれど――。何をするにも自己責任という環境に、早くも放り込まれるのが浪人生活だ。
何をモチベーションに勉強したかというと、それはもう、「自分のようなヤツが普通の大学を出ても、たいした人間にはなれない。サラリーマンになって一生こき使われるのがオチだ。現にいま、こうして耐えがたい満員電車のなかを通っている。これが生涯続くのだ。でももし医者だったら、少しは自分を開花させることができるのではないか」という、繰り返しになるが、何の根拠も脈絡もない、ただの幻想だった。
細かい背景は忘れてしまったけれど、そんななかで、予備校で知り合った医学部を目指した三浪中の(予備校)先輩に言われたのが、「やっぱ努力なんだよね!」という言葉だった。
「オマエに一番必要な言葉だよ」と思ったが、正論すぎる正論に、思わず、「まあ、それはそうだよな」と感じた。当たり前すぎる当たり前に、素直に、「自分にとっても、それしかないか」と思わせる言葉だった。
何の才能もない、親のコネもない、のんびりと惰性に任せて生きてきた17歳が、何かをなすには努力しかない。本気で医学部を目指そうと思った瞬間だった。
来春、僕はやっとの想いで三流私大ではあるけれど、医学部の端っこに引っかかった。だが、その先輩の合格の声は聞こえてこなかった。
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