第36話 医学部志望から:医科大学という憧れだけで

 医者になるには? 医学部を目指すしかない。これは明らかなことである。医学部を目指すには? 高校生の時点で志を立てるしかない。これもある程度の事実である――なかには社会人になってから医学部を目指す人もいるので。


 高校生の時点で医学部を目指すという、ある意味希有な決断をしなければならない。代々医者の家系という理由を除けば、ある程度の条件が整わなければそういう志を立てることはできないだろう。

 僕の医学部志望の理由は以前に述べた。父が獣医師だったということを紹介したが、それもよく考えるとたいした理由ではない。三浪中の医学部志望の先輩からインスパイアされたという話しもしたが、それもきっかけに過ぎない。


 当たり前のことだが、その気持ちをどう持続させるかという方が重要である。

「毎日ジョギングをするぞ」と誓ったところで、継続させるのは困難なことである。「早起きするぞ」と思うことは簡単だが、毎朝実行するのは大変だ。

 医者の何たるかのわからない状態で、その世界に途方もない憧れを抱く必要がある。まだ見ぬ未来を最大限に想像し、その気持ちを維持するのである。


 月並みな回答になるが、僕の取った浪人時代の行動は、医学部のある大学を勝手に見学に行くということだった。“オープンキャンパス”のような仕組みが、いまはあるようだが、当時はまだそういうのはあまりやられていなかった。ましてや、医学部でのそういう試みはほとんどなかった。


 それは関東圏の、都会から少し外れた場所にある医科大学だった。

 日中の午後の時間だった思う。大学が近づくにつれて、まず目に飛び込んできたのは、銀杏と桜の木のきれいに配列された大学前のストリートだった。附属病院があるわけだから、見栄えはもちろん立派だった。ただその中にも、安心感を与えるような構造設計がなされていた。

 埼玉の田舎から出てきた浪人生にとって、ディズニーランドとは違うけれど、でもそれと同じパワーを持った重厚かつ静穏な世界観だった。“白”で統一されている、まさに“城”である。

「はぁー、でかいなぁ」というのが、第一印象だった。


 病院内の紹介は省くとして、僕はおもむろに大学の方に歩を進めていった。グラウンドの片隅に学生の一団がいて、ちょうど体育(スポーツ実技)の授業を行っているようだった。

 しかし、よく見ると女子学生ばかり。

「ん! ここは“女子医(東京女子医科大学)”ではないはず・・・・・・、そうか、看護学部か!」

 少し怪しい言い方になってしまうが、そこには男子高校生にとって、知られざる女子大生の集団行動があった。艶やかと言うと意味不明だが、でもそこだけ綺麗に彩られた光り輝く空間のなかに、舞い踊るような色気のある人体が・・・・・・いくつも見えた――ただ、準備体操をしているだけだったのだが。


 それから学生食堂と売店に行った。いちいち当たり前のことを言うけれど、そこには医学生たちがたむろしていた。中にはたばこを吸ったり、髪を茶色に染めたりといった学生もいたが、みな一様に活気があった。

 クラブのミーティングっぽいことが行われていて、部長と思われる中心人物が、熱弁を奮っていた。

 高校とはまるで違う、“大人の自由”という雰囲気を感じた。

 実習の合間なのだろう、白衣に聴診器という出で立ちで医学書を読んでいる人もいた。6年制だから、学年が進むごとに医者の貫禄が備わっていくのかもしれない。


 そこからはもう、妄想にかられた純粋無垢な青年さながら、医学書を持ってキャンパスを闊歩する自分、聴診器を首にぶら下げて女子学生と談笑する自分、クラブ活動を通しての合コン三昧の自分・・・・・・、心臓マッサージをしている姿やメスを奮う姿を目に浮かべて・・・・・・、ひたすら憧れだけを頼りに受験勉強に励むことになった。


 強い使命感、揺るぎない責任力、高い道徳心、大きな倫理観、深い慈悲心、そんなものはなくても構わない。動機はなんてものはなんだっていい。僕の経験だが、医師を目指して受験勉強をしていると、だんだん理想の医師像なるものが妄想のように膨らんでくる。そうやって皆、医師を目指すようになる。

 一番大切なのは、自分の目で、自分の体感で、医学部の現場を魂と心に刻み付けることである。


 オープンキャンパスでなく、勝手に見に行ったというのがもしかしたらよかったのかもしれない。生の医学生の行動が垣間見られたからである。用意された表面だけを見ただけでは、ここまでのリアリティは伝わってこなかったかもしれない。


 皆さんも憧れの大学があるなら、勝手に、でも怪しまれないように見に行くことをお薦めする。

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