第86話 いじめ問題から:僕らの世代が基礎を作った

 頭痛と体調不良を訴え、親に連れてこられた15歳の少年を診た。不登校にもなっていると言う。

 メンタルの問題であることは明らかで、そういう子に対して医療的な頭痛薬や安定剤など無意味だ。なぜなら、原因としていじめの悩みを抱えていたからだ。

 “いじめ”の問題は、ときに深刻である。そして、僕はそういう患者に遭遇するたびに、居心地の悪さを感じる。


 自分自身、中・高時代において、あからさまにいじめられたという経験は、幸いなかったので、そうした話はできないが、それでもクラスのなかにはいじめられている子はいた。

 当時感じた恐怖は、いじめられる生徒といじめる生徒の下克上がすさまじかったということである。昨日までいじめていた子が、今日いじめの対象にされるということがたびたびあった。必ずしも大人しくて弱々しい子がいじめられるわけではなく、快活で明るい子がいじめられないわけでもなかった。

 はっきり言って、誰のために何のためにいじめがあるのかわからなかった。きっと、いじめている子も、いじめられている本人もわからなかったのではないか。


 一人ずつ誰かが餌食になるという常軌を逸した現場だった。いじめられていた子がいじめに回ったときの恐ろしさは半端なかった。きっと、いじめられた恨みを晴らしたいという気持ちが働くのだろう。


 そんななかにおける多くの生徒にとってのせめてもの自衛は、周囲の雰囲気を察知することだった。僕においても、いじめられることもいじめることもなかったが、そして、いじめに加担することもなかったと思うのだが、いじめられている生徒を擁護することもなかった。すなわち、見て見ぬフリをしながらのらりくらり立ち回っていたのだ。

 控え目で、たいした取り柄のなかった僕は、変な目立ち方をしなかったからこそ対象にされなかっただけだと思っている。要は、順番が回ってくる前に逃げ切れたのだ。


「いまのような陰湿ないじめの基礎を築いてきたのは自分らの世代だ」という自覚が、僕にはしっかりある。僕らの過ごしてきた学童期と、いじめが社会問題化されてきた時期とが重なるからだ。


 いじめの中核にいる生徒はもちろん、直接手は出さないが、はやし立てたり面白がったりしている“観衆”と、巻き込まれたくない、次のターゲットになりたくないという感情から、見て見ぬフリをする“傍観者”とのグラデーションの存在にしっかり気付いていたし、それに対して大きな違和感を覚えていたけれど、僕らは何も手を打たなかった。“無関心を装う”という備えを身に付けることで乗り越えようとしたのだ。

 いじめの卑劣さや生産性のなさを、クラスの雰囲気に浸透させようとする、そんな勇気を持つものはクラスの誰にもなかったし、卒業するまでの我慢だと思っていた。もちろん教師が何かをしてくれるということも、いっさいなかった。

 実際、卒業式は、「この嫌なクラスともおさらばできる」という、一種独特な晴れやかさの方が、(僕にとっては)大きかった。


「戦争を知らず忍耐力がない」、「甘えていて常識が通じない」と、さんざん揶揄されてきた“新人類”と呼ばれたうちら世代が大学生になったときに待っていたのが、“バブル期”だった。

 浮かれた世の中に対して、自分らの行動は間違っていなかったと安心したのも束の間、社会に出た途端にそれも崩壊した。ギリギリ、その恩恵を受け損なってしまった。

 結果、僕らのとった行動は、“無関心”に加えた“取り繕った振るまい”だった。

 バブル崩壊を引き起こした大人たちに冷めた目を向けつつも、間もなく訪れた就職氷河期に対して、新たに“ロスジェネ”と言われ、“負け犬”なんていう言葉も生まれ、世の中の理不尽と不条理とを一身で受けることになった。

 報われない成果のなかで、せめてもの対処法として「空気を読む」文化を、ここへきて完全に確立させた。


「いじめの起こりやすい環境は、子どもにとってストレスの多い環境というデータがある。不満やストレスの多い環境は、それだけで子どもを攻撃的にしてしまう。ガマンが苦手だったり、誰かに認めてもらいたいと思ったりする子は、そのはけ口を他者へと向ける」

 僕ら世代の大人が、自分の怠慢をよそに、したり顔で、こんなふうにいじめの理由を説いている。

 いじめに理由なんかない。あえていうなら、空気だ。雰囲気だ。もっと言うなら、ただの暇つぶしだ。


 訳わからずいじめられたり、将来を導ける根拠もないのに夢を語らせたり、勝手にゆとり世代と呼ばれたり、いまの子供を見ていると、しっかりとした対策を講じてこなかった大人の代償は大きいと感じる。

 その不始末を棚に上げて、「空気を読む」文化を確立させ、いじめを容認して下の世代に継がせてしまった僕らの責任は大きい。そうしたツケが回ってきた結果、いじめはけっしてなくならないものとなった。

 そしていま、新たに“誹謗中傷”が、同じループを繰り返して社会問題化されている。


 だから僕は、メンタルの問題を抱えて来院する子供を診ると、「いまのキミらの境遇を作ってきた基礎は、うちらの世代にある」と思って、いつもすまない気持ちでいっぱいになる。

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